表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

カギリアルミチ


その夜の晩餐は、ごく普通の家庭的なものであった。


シンプルな野菜炒めをおかずに、ほうれん草の味噌汁を啜りながら、日本米を食した。肉類は無かったが、使われている野菜はとても美味しく、思わず「美味い」と零すとサリカが嬉しそうにほほえんだ。


「これの材料はどうしているのか?」

「米は私が向こう側から持ち込んで、他の野菜は自家栽培しているの」と里山モネは答えた。


考えてみればこの世界の環境では野菜が育たないから室内で栽培するしかないのだろう。菜園は二階にあるらしく、「見るかしら?」と興味を持って欲しそうに聞いてきたが、特に僕の好奇心は擽られなかったので断った。植物のような世話が必要不可欠なものは苦手である。


それから、僕は里山モネの家のシャワーを借りた。本当はお湯に浸かりたかったのだが、足首と背中、左目の傷が治りかけで不安だった為、シャワーのみにした。

浴室は掃除が行き届いていてとても綺麗だった。少し気になることを挙げるならば、洗面所や浴室内に鏡が無かったことだろう。この世界の常識で考えるのならば、当たり前のことだろうが、何かが足りないもの寂しい気持ちになる。エビがないエビピラフのようなものだ。


シャワーから上がり、そして居間でぼうっと曇ガラスを眺めている内に、カディス、サリカ、里山モネは各々寝床につき、僕は一人になる。


足首の傷は癒え、元通りまでとは言わなくても、歩けるようにはなっていた。ごっそり抉られた肉もいつの間にか生え、見た目の色が周りと比べて異なることを除けば、気にはならない程度だ。痛みも、患部の周りの腫れも大分引いている。


「本当に僕は脱出したいのか?」


声に出して自分に問いかける。僕の声は誰もいない部屋に跡形も無く消えていく。


前世と言って良いのか。

僕の体は生まれ変わり、もう元の人と名乗れるものではない。心音は薄れ、目は片方は失い、もう片方は変色。いくらサリカの世話になったとは言え、体も異常と呼べるほどの回復力を持っている。

里山モネを地面の下から飛ばした地雷のような、あの不思議な力も人とは掛け離れている。

そんな体でこの閉鎖的な世界から抜け出して、元の世界に戻っていいのだろうか。元の世界でも、今まで通り上手くやっていけるのだろうか。


やり残した事がありすぎる。親孝行も出来ていない、僕は糞息子だ。両親に会いたい、妹にも会いたい。走馬灯のように流れてくる思いに流され、我が家が恋しくなってきた。だとしたら、僕は行こう。迷ったらやる。これが僕のモットーだ。


外に出た。

風は吹いておらず、相変わらず、あの異臭がそこはかとなく漂っている。


土地勘は全く無いため、どちらに行ったら良いのか分からない。だが、ここに来た場所、あの巨大な門が見える方向に行けばまずは間違いはないだろう。


里山モネが住処としている家からは、そう遠くは無さそうだ。無意識に振り返ると、家の遥か後ろには相変わらず塔がこちらを睨んでいた。


「そう言えばこの塔が何なのか聞き忘れてしまったな…」


天を突き刺すほど高い塔は窓が一切無い。鼠色のそれは酷く不気味で気持ちが悪い。

意図も用途も分からない塔は、眺めていてもどのように使われているのかさっぱり想像もつかなかった。


里山モネの家は路地裏にあり、まずは大通りに出ることにした。人に見つかりやすいと言ったら確かにそうだが、見た感じだと人の気配は一切しない。大晦日、年明け前の田舎だってもう少し賑やかであるだろう。


大通りに出ると、僕が住んでいた、至って普通の街のように綺麗に道が整備され、植樹がされていた。環境汚染が悪化している中でも緑は生きているのだと関心したのは束の間、近寄って触れるとそれは、精密に作られたプラスチック製の木である。花では無いが造花というものだ。


「…本当に植物が育たないんだな」


僕はサリカが言っていた事を再び噛み締める。

いつまでも、辺りを警戒しながら彷徨っていても、何にもならない。また僕は歩み出す。


今度はただ歩くだけではなく、走った。

実際に体は軽く、まるで弾機のようで足に少々力を込めただけで驚異的な跳躍を生み出した。里山モネの言っていたような屋根から屋根へ、最短のルートを瞬時に把握し、走り抜けていく。空気は最悪だったが、前髪を撫でる風は心地よく、爽快であった。


そして、僕は例の別館の屋上に到着する。



壁の側面にあると施設。

その別館の屋上に僕は来た。推測でしか無いが、此処に来るのは、恐らく僕が1日眠っていたと思われるので約1日半振りである。

別館と僕が監禁されていた本館は渡り廊下で繋がっているが、今は施錠され往来が出来なくなっていた。どちらにせよ、用事があるのは別館なのだから問題はあるまい。


屋上から下の階に向かう扉に手を掛けたが鍵がかかっていた。ドアノブを捻ると金属が激しくぶつかり合う音がする。


「…どうすりゃ良いんだ、これ」


今なら退散しようとすれば出来るが、ここまで来たんだ。諦めたくはない。脱出すると決めた上に、僕はこの世界から解放されたいと決心したのだ。それが男というものの信念であろう。


ふと、ここで僕が里山モネを地雷のように吹き飛ばしたあの不思議な能力が脳裏を横切る。

あの時、地底を通る鉄パイプも粉砕していた。予測でしか過ぎないが、もしかしたら里山モネはパイプが破損した衝撃で飛ばされたのかもしれない。と、するとーーーー


「実はサイキックな破壊が出来たりするのか…なんて」


サリカも〈兵器〉の特徴の一つに異能力を挙げていた。故に僕が物を崩壊させる能力を持っている可能性は高い。問題があるとすれば、扉を破った衝撃音で館内にいる人に気付かれ、また牢獄生活を送ることになることか。


「手加減すれば良いんだよな」


自分に言い聞かせ、扉の鍵の奥である凸部分を意識した。


壊れろ、壊れろ、壊れろ。開け、開け、開け。そう、強く念じる。


するとパキッとプラスチック製のスプーンを足で踏んだような、乾いた音を立てて、鍵が破れた。


「開いた?」


嬉しくも、半分驚きに包まれながらドアノブを握り中に侵入する。僕がこの世界で手に入れた能力は破壊の能力でビンゴだったらしい。


館内は暗かった。防犯カメラの位置を慎重に歩きながら確認する。里山モネが言ったことが真理なら、真っ直ぐ行けば階段に行けるはずである。しかし、現実はそう簡単に行かないらしい。


「…ちょっととは言え、暗すぎないか」


僕の瞳は、人体実験の影響でかなり視力が上がっている様子だ。しかし、それを通り越して暗すぎる。


窓も蛍光灯の光源も一切遮断されている。幽閉されていた本館と異なり、この建物の目的は何であろうか想像も付かない。


壁に手を付き、沿いながら歩いていくと扉が開いた部屋があった。内部に顔を覗き込むと、ひんやりとした冷気が頬を撫でていった。


駄目だと言われても、したくなる。それが人間の心理だ。


興味本位で部屋の内部へと入る。

内部は学校の教室二つ分ぐらいの広さで、診療所のようにアルコールの匂いが鼻を刺した。鈍い銀色の台や、棚などが綺麗に並んでいる。棚の戸をスライドさせると僕の息は詰まった。


里山モネが、寄り道をしてはいけない、と言ってたのが理解出来てしまったのであった。


ーーーー棚の中に並んでいたのは、人間の臓器だった。


臓器だけではない。眼球、舌、頭皮など見るだけで吐き気を催すものばかりだ。ホルマリン漬けにされたそれらが、意識を失った思念体のようにただそこに佇んでいる。丁寧に、鉛筆で日付のような文字が記されたラベルが貼られており、筆跡の新しさから最近のものだろう。


棚の引き出しを開けると、メスのような金属製の刃物が大量に詰められている。それは、まるで汚れた空気が下の方に留まるかのように、僕の胸の中を掻き乱す。気持ちが悪い。吐きそうだ。


「…狂ってる。やばい、やばいって…、逃げないと」


銀色の台はよく見ると拷問台だった。鈍く光るその色が、僕を想像の恐怖へと落とす。


「つーか扉を開けっ放しにして置くなよ…。興味を持つのも仕方ないだろ」


段々と語彙力が欠落してきているが、こればかりはどうとも表現しがたい。後ずさりし、部屋から出ようとしたところで僕は罠に嵌った。


足元、と言ったら良いのだろうか。視認しにくい壁の下側に、先程までは点滅していなかった赤いランプが、自己主張するかのように瞬いていた。


「もしかして…」


言うまでもない。赤外線センサーである。

館内に警報が鳴り響いた。甲高い危険信号の和音が僕の耳を貫く。


危険を察知し、脱兎のごとく部屋から飛び出た。長い廊下を走り抜け、足の筋肉が許す限り全力で動かし、下の階へ向かうことだけに全神経を集中させる。


ようやく階段が見えてきたが、その手前にティー字路があった。どうやら、反対方向から、足音がぱたぱたと聞こえる。音の数からして4、5人だろうか。


「こうなったら…」


音のする方向の床部分を意識し、例の能力を解放した。何かが砕ける爆発音がし、瓦礫が散乱し、それに人々が悲鳴を上げる。「〈兵器〉が逃げしたか」やら「〈カタストロフ〉がまた現れたか」といった人々の噂声が僕の耳に入った。


その隙を付き、階段を降りる。しかし能力を使った反動なのか、無いはずの左目にじんわりと痛みを感じた。医療用テープで固定していたガーゼを取ると、僕の鮮血で濡れていた。


「無償でこれを使えるってわけじゃないのか」


なるほど。限度というものがあるらしい。目を凝らすと僕の皮膚にも薄ら血が滲んでいる。これは僕が失敗作だからか、それとも元からの〈兵器〉の特質なのかは判断出来ない。だが、使用はなるべく渋るようにした方が吉だろう。使いすぎると皮膚が裂けるといったものかもしれない。いわゆる、ペナルティだ。


血塗られたガーゼをポケットにしまう。そうしているうちに二フロア分降りた。あと1階降りれば地下に行けるところで背後に気配を感じる。


気付いた時にはもう遅く、何者かに脳天を鈍器のようなもので強く殴られた。


そして、僕の脱出計画は、見事なまでに無惨に散ったのである。



床に冷気を感じて目覚めた。

見えるものは天井、それは染み一つないことが違和感を覚える、雪のように真っ白なものだ。いつか僕が閉じ込められた独房のようなものとよく似ていた。


「起きたの?もう平気なのかな」


若い少年の声が僕に話しかけた。軽く脳震盪が残る体を起こして、声の主を探すと赤髪の少年と目が合う。見た目からして小学生ぐらいだろう。


「君は誰だ?」僕が問うと、少年は一言「レン」と言った。


レンと名乗った少年は部屋の隅っこに座り、赤川次郎の本を読んでいた。タイトルからして探偵ものらしい。


彼は、入院の時に病院で配られる病衣のようなものを身に纏っていた。顔以外の皮膚を包帯で巻いている。おまけに、右腕から点滴の管をぶら下げていた。


「お兄さんは名前、なんて言うの?」


僕の異質な視線に戸惑うこと無く、本を畳む。そして、僕の方に前屈みになり、近付いてきた。


「てかさ、〈兵器〉だよね?その瞳と髪の毛、生まれつき?」

「…僕は佐月。失敗作らしいが、〈兵器〉であることは間違いない。この目は実験での副作用、髪は地毛だ。お前までステラとやらに似てるとか言い出すのか?」

「いいや。別に。……その様子だと、もしかして、異世界から連れてこられたの?」


この世界に異世界の認識があって驚いた。僕から見たら〈エラ・ステラス〉が異世界だが、黙って頷く。


「じゃあ、何にも知らないんだね。この世界が狂っていることも。でも、まあ知らないから、脱走したのかなぁ?その姿じゃ街も歩けないでしょ?」

「どういうことだ?その姿ってことはステラは嫌われているのか」

「ステラ様には様付しなきゃ駄目だよ」


レンは1拍ほど溜めて尋ねる。「この世界の敵、〈ダンテ〉のことは知ってる?」

「ああ。呪いとやらでこの世界を拘束しているんだろ?壁や環境を蝕んで、女王(クイーン)の精神を鏡の中に閉じ込めた」


サリカから聞いたことを要約して伝える。

彼は満足げに相槌を打った。


「なんだ、知ってるじゃん。その〈ダンテ〉もね、お兄さん…サツキさんと同じ、黒い髪と青い瞳を持っているんだよ。この世界でとても貴重な、それをね。女の人達は、ステラ様に似てるとか言われて好感を持たれるんだけど、男の人は悪い魔法使いだとか、そう言われて偏見されるんだ。世の中って理不尽だよね」


サリカが僕にステラ様と同じ外見だと言ったのは気遣いだったのか、とふと思った。機会があったら彼女に感謝したいと、少しだけ僕は思う。


「ちょっと待ってくれ。僕が住んでいたところは黒い髪と黒い瞳を持つ人種の国だったんだ。で、僕のことを実験台にした里山モネという女は黒い瞳は青に変わると言ったんだ。〈エラ・ステラス〉には他にも僕と同じような被験者がいるはずだ。何故珍しがられる?」


ずっと疑問だった。仮にも永野太一や端っこの男などが僕よりも〈兵器〉としての能力が完成していたら、この世界で黒髪碧眼がここまで重宝されることは無いのではないだろうか。


「皆死んじゃうんだ。国から、そして異界から人間をたくさん連れてきて、モルモットのように弄って、皆死ぬ。ぼくだってあとどれくらい生きられるか、いつ死ぬかも分からないよ」


レンは続ける。

「あと里山モネ、っていう人は分からないけど、それってもしかしてモネ・フィーヴァルのこと?」

「モネ・フィーヴァル?誰だそれ」

「本館に勤務する研究者だよ。たまにしか会えないけどね。ステラ様とよく似た外見をしているんだ」

「多分そいつだ。僕の知り合いで、そいつにこの世界に連れてこられて、あいつの家に世話になって脱走してきた」

「大人しくしていればいいのに。何をしたって、この世界からは、抜け出せないよ」

「でも、それが出来るらしいんだ」


僕はポケットに手を入れ、彼女から受け取った指紋と数字が羅列した暗証番号をレンに見せる。


「別館の地下に秘密の通路があるらしい。里山モネはそこで自由に出入りして外から実験体を連れてくる」

レンは興味津々に僕が差し出したものを見て、「こんなものがあるんだ、知らなかった」と言った。


「お前も脱出するか?僕と一緒に」

「ぼくは遠慮しておくよ。外の世界には興味は無いんだ。第一に、ここは本館だから、別館まで移動するのは、ぼくの体じゃ無理だよ。ぼく1人だけじゃ歩けないから。ぼくは〈兵器〉ではないけど、薬物投与の実験をされているんだ。毎日毎日毒を盛らされて肌が痛むよ」


レンは寂しげに言って包帯だらけの腕を摩った。


「サツキさんは、ここからまた脱出するの?ほぼ不可能だと思うけど」

「情けないが、身内に助けて貰うことになるかな。絶対に僕のことを死なせないってさ。そう約束されたから」


里山モネは、僕が捕まったら助けに行くと言ったはずだ。

男としては恥だが、彼女からの救いの手を待つことしか出来ないだろう。ここにいたら間違いなく、また半殺しにされるはずだ。しかし、自分のことを半殺しにした本人を信用するなんて何とも奇妙な話だが。


「約束か。ステラ様みたいな人だね」

「…ちょっと何を言っているのか理解出来ないが」

「いや、ステラ様もね、〈ダンテ〉と戦う時、この国の人を絶対に助けるって約束したんだ。彼女は捕まっちゃったけど、最終的に国民全員があの魔法使いから命を奪われずに済んだ。でも国自体は傾いて人体実験による死亡者が溢れるようになったけどね」


ここでサリカがステラが今も生きていると言ったことを思い出した。


「そのステラ様は捕まった後、どうなったんだ?今もご健在らしいだろう?」

「あの塔の中にいるよ」


彼は紅玉の瞳を高い塔が立つ方向に向ける。「彼女は密かに生きている。あの中にね」


「あの塔は女王(クイーン)が住むところだったのか」

「でも正直、彼女は姿を見せないからぼくには生死を判別できない。生きているという人もいれば死んでいるという人もいる。確かに死んでいたとしたら、この国の惨状は納得出来るけどね。なにせ、100年も前の話だから」


レンが語り終えると、鐘の音が三回鳴った。骨の中から響く低い音で、朝の訪れを表す合図であった。


「もう朝だね」とレンが言うと、彼が壊れかけのロボットのように止まる。


「…何か来る」彼は囁き、小窓の方を見つめる。それに続いて状況を把握しきれない僕も同じく窓の方を見た。残念ながら、僕には何も感じない。


すると、どうだろう。壁が振動し破壊され、鉄筋がむき出しになった。まるで大地震か大津波みたいな天災が訪れた後の、見るも無惨な形に成り果てる。


「よお、ハゲ。何捕まってんだよ」


低く、美しい声が房の中に響き渡った。


壁面の向こう側には、純白の翼を広げて、宙に浮き、不思議な紋章が描かれた仮面を付けた男がいた。


男はどこかぼんやりとした印象を放っている。燕尾服と軍服を足して2で割ったかのようなジャケットの下には、見たことのある執事服が覗く。仮面からはみ出した金髪の猫毛が僕の曖昧な記憶を確信に変えた。


「カディス…、か…?」

「年上にはさんを付けろ。若僧が」


カディスは汚い言葉で僕を罵倒する。仮面を額に上げ、黒い手袋で覆われた右手から光を放つ。


「もしかして…テロの人(カタストロフ)?」


レンが驚き、目を見開く。


「顔バレしたら眠らせる。それが俺たちの規則(ルール)だよ」


カディスは発光させた右手から氷の剣を出すとレンの頭に突き刺した。


「〈カタストロフ〉って、私たちもいるんですけどね」


そう言って現れたのはカディスと同じジャケットを羽織った〈カタストロフ〉女性陣であった。特に、里山モネの目立ち度は異常で、黒い派手なドレスを着ている。どんな馬鹿でも一目でリーダーだと分かってしまうほどだ。


「サリカ、里山モネ!?本当に助けに来たのか?ていうか、お前ら人を殺さないテロ組織じゃなかったのかよ!?」


色々ツッコミたいこと満載だが、氷剣を打たれたレンは頭から血を流し、倒れていた。血の量が夥しく、例え回復力に富んだ〈兵器〉でも、放っておけば間違いなく死亡するだろう。


「この子、〈兵器〉だから大丈夫でしょう?しかし、佐月はいつになったら私のことを下の名前で呼んでくれるのかしら?」

「そんなの知らねぇよ!その子、レンは〈兵器〉じゃないって言ってたぞ。確か薬物投与がどうとか」


僕の言い分を聞くとカディスは固まった。彼の頬に汗が垂れるのが分かる。


「…多分死なないと思う。…強そうだし」

「何処が!?頭から血出してるの見てよくそう言えるね!?」

「サリカ、あとは頼んだ」

「人任せかよ!?」


任されたサリカは溜息をつき、レンの元に駆け寄り、治癒を始める。


「カディスは本当にアホですね。ところでどうします、モネ様。サツキくんをうちに連れ帰るんですか」


モネは考えると僕に質問を投げかける。

「ねぇ、佐月。ここから脱出するか、それとも私たちと共にテロを起こすかどちらが良い?あ、何度も言うけど、不自由な生活はさせないわ。強制もしない。佐月が私たちを拒否すればこのまま立ち去るわよ。その場合、この壁の残骸について、罪に問われるでしょうけど」


そしてまた付け加える。

「ひとつ言わせて貰うわ。あちらに戻ることはお勧めしない。浦島太郎状態になるわよ」


「ごめん。全然関係ないんだが、質問に質問を返すようで悪いが、聞いていいか?」

「何よ。このジャケットがかっこよすぎて仲間になりたい?むしろ大歓迎よ」


里山モネはアイドル衣装のような、グレーのジャケットをひらひらとさせる。


「…それよりジャケットの下のドレスの方が気になるわ…、ってまた話が逸れる」


僕は苦笑いをし、話を続ける。


「僕がここに来る前に拷問器具の部屋を見たんだ。ここではそういう残虐なことをしているのか?」

「私は担当じゃないからよく分からないけれども。そう簡単に何人も拷問している訳じゃないと思うわよ。流石に倫理に反するわ」


人を拉致して体を弄って倫理もクソもあるのか非常に疑問である。だが今はそれどころではない。


「じゃあ、いるんだな?」


僕の問いに里山モネは記憶を捻り出す。

「いるはず、よ。…地下に閉じ込められていたかしらね?その子も確か最近〈兵器〉になったはず…あっ!」

「なんだよ」

「その子、確か、私が回収した目玉を埋められてたわ。あなたのかどうかは、分からないのだけれど」


もしかしたらと思った。

あの臓器と拷問器具の部屋の中で僕は無意識に自分の眼球を探していた。ホルマリン漬けのボトルには親切にラベルが貼ってあって、いつ回収されたかわかるようになっていたのは、僕の記憶に新しいことである。


その中に僕のモノはなかったのだ。もし、僕の眼球が他の誰かの元に渡っていたのだとしたらーーーー。


「その子に会いたい」

「それなら私たちの仲間になりなさい。はい、暗証番号と指紋の紙返して。ミルに怒られちゃうわ」


返してといいながらも、彼女は僕のポケットに強引に手を突っ込み奪還した。返すのではなく奪わせるの間違いではないだろか。


「正直に言えばサツキシンヤの救助を建前に、ここでテロを起こすのが目的だったんだけどな。序に、仲間も増やせたらとか思っていたのだが」


カディスは無表情のまま、仮面とジャケットを僕に手渡す。最後まで狡猾な手段でやるのは実に里山モネらしいと思った。テロというか昨日言っていた『クソ上司』とやらの復讐でないのか不安になる。


「これを僕に?」

「仮面は魔力紋が埋め込まれていて、視認出来ないようになっている。一瞬認識出来ても、次の瞬間には忘却する便利な代物だ。ジャケットはユニホームだと思ってくれ。因みにサリカがデザインした」


ジャケットを羽織り、仮面を付けた。穴から見える風景がいつもと異なり何だか落ち着かない。


「ようこそ、政府反逆テロ組織、〈カタストロフ〉へ。それを着た佐月(サツキ)慎也(シンヤ)は私の指先の一員よ」

「はいはい、そりゃどうも。ていうか馬子にも衣装って言うけどさ。このアイドルが着るみたいなジャケット。…僕に似合うか?」


里山モネを軽くあしらい、自分の服装を見直す。襟の辺りの装飾が華美で気になる。


僕のその様子に、レンの傷を回復させたサリカは「細身のサツキくんにはばっちりですよ」と目を輝かせて言った。

例えお世辞でも、褒めてもらえることは嬉しい。


「それじゃあ手分けしますか、っと。まだ職員は出勤してないとは言え、警備員はいるわ。カディスには、なるべく静かに壁を破壊してもらったけど、これだと、そろそろ気付かれるわよね」

「何処が静かだよ。鉄筋剥き出しで廃墟みたいだぞ」

「…それはそうとして。サリカと私は上から監禁されている人たちを解放するわ。どうせなら大胆にやってしまいたいものだし。カディスと佐月は地下に行くわよね?」

「テロ組織のプロに言っちゃアレだが、テロなんて起こして大丈夫なのか?仮にもお前の職場じゃないのかよ」

「いいのよ。別に今日は研究日で休みだし。それに、上司の困っている様子が見られるのは、とっても楽しみだわ」

「やっぱりお前の性格は最悪だな」

「悪くて結構よ。あと、佐月。能力の使いすぎには気を付けなさい。負荷を掛けすぎると、体の内側から、ちゅどーんするわ」

「それもっと早く教えて欲しかったよ」


里山モネと僕が話している間に、カディスは独房の鍵を破壊して扉を蹴り倒した。凄まじい音が鳴り響く。


「おいハゲ。モネ様と親しげに話していないで、さっさと行くぞ」

「誰がハゲだよ。こんなにフサフサだぞ」


僕が反論しても、うんともすんとも言わず、彼は廊下へと出た。


「屋上で合流ね。捕まったら承知しないわよ?」と背後から聞こえる里山モネの声に、短く「ああ」とつぶやき、僕は彼を追って走り出した。飛び出す先には、黒い四足歩行のロボットが重たいボディを転がしている。


「なんだあれ、警備ロボットか」


大きな存在に怖気付いた僕に、カディスは淡々と説明する。


「ドローンだ。あれの視界に入るとレーザーで焼かれる。…入らなきゃ良い話だ」


彼はそう言って、手袋で覆われた手をドローンに向ける。すると、ドローンの動きは止まった。作動中を表す赤いランプが消えている。


「中のバッテリーの温度を下げて動作を停止した」

「一応、僕の能力って物を破壊するのなんだけど」

「お前みたいな若造は、使いすぎると体を壊す。少しは俺に頼れ」


汚い言葉で罵倒する語彙力のない男かと思っていたが、案外気遣いできる人であった。ツンデレというものだろうか。


どうやら、僕とレンが閉じ込められていた階層は2階であったらしく、1階に降りるとそこにはもう階段がなかった。ここから地下には行けないらしい。


「廊下に出て、排気口に潜り込む。そこは裏通路に繋がっているから、そこから地下に行く。高所恐怖症とかじゃないよな?」

「大丈夫。運動神経には自信があるから。どんなものでも平気だ」


相変わらず、人の言う事には返事はしないし、無愛想で何を考えているか分からないが、今は彼を信用するしかない。この建物内を、把握しているカディスに委ねるしかないのだろう。


「またドローンがいる。これを仕留めてから行くぞ」


そう囁くとカディスは階段の影から飛び出て、ドローンの動きを能力で封じた。そして僕にアイコンタクトを送る。それを確認して、僕も付いていく。


「なあ、カディス。ここって警備員の人とかこんなに少ないものなのか。全て機械任せだったりするの?」


彼は男性にしては長い、鎖骨に届くくらいある髪を結い直す。

そして、高い身長を生かして、独房のドアの上の排気口を氷の剣で壊して拡大させた。


「この時間帯でも雇っている人はいるはずだし、いつもは、もっと多いはずだ。可能性としては、モネ様が狂ったように排斥しているか、それとも俺たち以外の第三者がそうしているかだな」


「第三者?」僕は聞き返す。

「そういえば、僕が脱出する時に誰かに後頭部を殴られたんだ。今は痛みは大方引いたけど、もしかして、その事と関連してたりするのか?」

「それは分からないな。俺が言う第三者は『協力者』だ。モネ様の知り合いのな。サツキを殴ったのはここの警備員じゃないか?」

「それなら納得出来るんだがな」


しかし、わざわざ後ろから襲ったりするのは不可解だ。

仮に〈兵器〉として警戒されているとしても、警備員なら先ほどのドローンか、それともこの世界を象徴する文明の機器で確保されたいものである。


「上に上がるぞ。手を貸そうか?」

既に排気口によじ登ったカディスが仮面をずらす。「ありがとう」と僕は言って、彼の手を握り、狭い入口に体を滑り込ませた。

彼の綺麗な緑の瞳と目が合うと同時にその左目に違和感を感じた。全然気付かなかったが、片方だけ眼球が動いていない。


「もしかしてカディスって義眼?」


僕の質問にカディスは頷く。

「そうだ。綺麗だろ、これ?」


彼の言う通り、左目は人形の目玉のように美しく、透き通っていた。光の角度で緑にも青にも見えるそれは、とても儚げである。


「もうすぐだ。下に降りるぞ」

「ここって独房の天井裏じゃないのか?降りられたりするの?」

「この下の部屋だけダミーなんだ。隠れ通路になっていて、降りることで地下の部屋に行ける。かなり長い梯子だから、どうするか?俺から行くか?」


通路を這いながら真っ直ぐに進むと、穴があり、そこから梯子がかけられている。まるで底なしの井戸のようだが、その下には僅かな光があり、地下部屋の存在を強調していた。


「カディスから先に行って欲しい。手を滑らせないようにするから」

「分かった」


カディスはそう言って、体をくねらせて器用に梯子を掴み、慎重に降りていく。彼が降りて一分程したら、僕も同様に降りる。


基本的に、この世界は暗いが、この通路も暗かった。見えにくい足場をつま先だけで捉え、手を鉄の棒に絡ませて、ゆっくりゆっくり下へと向かう。手袋ごしに伝わる鉄の冷たさは、不思議な感じがした。


とにかく、湿気が凄いとしか言いようが無かった。

円柱になっているこの梯子の空間は、音が反響しやすく、地下水が滴る音が響く。

定期的に鳴り渡る振動は、地下鉄でも通っているのだろうか。大きなその音は、僕の聴覚を鋭く刺激する。


10分ほどして、下からカディスの「着いたぞー」という声が聞こえた。僕は曖昧に返答し、滑らないように着地。カディスと合流する。


「なんか物置小屋みたいだな」


そこは白い扉があり、なんだか、元の世界のレンタル倉庫によく似ている。おそらく、これが入口で、その中にその例の拷問されている人物がいるのだろう。


「鍵かかってんな。まあ壊せば良いが」


カディスは一瞬で氷剣を掌に収め、ドアノブの部分を破壊した。


「それにしてもよく、その氷は折れないよな」

「常に低温を保っているんだ。だから、折れそうになったら空気中の水分を強引に集めて、砕けた部分を修正している。ここは湿気が凄いから詰みにはならないだろう」


そう言って、扉を開くとまた扉が並んでいる。個室のようで、少し大きめの女子トイレの個室か、またはカラオケボックスを連想させるような感じだ。


「試しに一つ開けてみるか」とカディスが一番手前にある扉を開けると、中は拷問器具が並んでいた。


「…やっぱりビンゴか」

「そうだな。それに軽く血の匂いがする。とりあえず全て中を確認しながら奥に行こう」


その提案に乗り、片っ端から中を確認していく。通路はエル字型になっていて、一番奥にある部屋の扉が頑丈になっていることに僕は気付いた。


「多分これだな」

カディスが言い、僕は頷く。


「覚悟は良いか?」

「人が来ないうちに早く済ませよう。流石に全部の部屋に拷問器具が置かれていると精神に堪える…。でも、僕は、真実を知りたい」


僕の言葉にカディスは扉に向かう。そして、能力で鍵を壊した。


金属部分が折れ、大きな音が反響する。毎回思うが、一体どんな馬鹿力で破壊しているのだろう。


蝶番が壊れ、今までと同様にカディスが扉を蹴り飛ばすと、部屋の内部が明らかになった。真っ白な部屋に少女が一人、両手両足を枷で拘束され、その子から伸びた鎖は、背後の壁へと繋がれている。


「女の子かよ!?」


曇った昼間の空のような乱れた灰色の髪。長いその髪が大きく揺れた。


少女は僕を見るとキツく睨み付け、これでもかと言うほどに生気の失われた目でこちらを見る。その目は右目が紫で、左目が青でーーーー直感で僕は、その左目は自分のものであると思った。あの時、青く変化した眼球は、僕しかいないはずだ。


「その、左目…」

「…何しに来たの。それに、その服、その仮面。〈カタストロフ〉ね…?私を災厄の底に落としに来たの?」


僕とカディスの服装をまじまじと見上げて、再び睨む。

警戒を危惧した僕は仮面を外して、彼女の方へ接近しようとしたが、カディスが遮った。


「おい、女。お前〈兵器〉だよな」


相変わらず他人の神経を逆撫でするような物言いでカディスは少女に話しかける。


「しかも、その体。この男と同じで【羽なし】だろ?」


少女は首を縦に振る。しかし、よく見ると彼女が身に纏う病衣のような服装から伸びる手足は、傷が一つもない。本当に拷問を受けているのか疑ってしまう。


「能力は無限回復、といったところか。サリカの自己治癒バージョンだな。いや、サリカの場合は魔法だから違うか。それはともあれ、拷問の理由はそうだろう?お前のその力に、興味津々なんだろう?」

「…そうよ。だから何?私に何する気?」

「俺たちと一緒に来ない?なんてね」監禁されている身からしたらそうとうな誘惑だが、彼女はきつく断る。

「いや…!人なんて信用出来るわけない…!それに脱出したら見つかる!そうしたら、私はまた体の何処かを引きちぎられる!」


怒鳴るように彼女は言うが、カディスは聞かず、彼女に近付く。


「来ないで、って言ってるの!聞こえないの!?私に関われば、あなたも辛いことに会うに違いない…!人が来ない内に早くここから出ていって!」


カディスは無言で氷剣を具現化し、少女の鎖を切った。その少女は、その刃物の音にびっくりしたのか。震えている。


「おい、もう僕は満足だから、帰ったって良いんじゃないか?里山だって外で待ってるんだし。その子だって、僕と違い、脱出するのを夢見てる訳じゃないんだろ?」

「いや、俺は諦めない」

「うわぁ…、この人頑固だ…」


少女は拘束の解けた己の両手両足を見つめた。

千切れた鎖をジャラジャラと鳴らしながら、こちらに近付くと、その瞬間に背後からカディスに抱き付く。


少女に抱きつかれたカディスは、苦しげに呻き声を上げ、その場に崩れ落ちた。


「どうした、カディス。萌え死んだのか?」


僕のジョークにも何も言い返さず、上がった息で胸を震わせる。


「こいつ…。やべぇ…動かねぇ…。エナジードレインを、使いやがった」

「エナジードレイン?ということは能力を二つ使うってことか?」


しかし、そう考えたならば、我々の精力を吸って彼女が延命しているという合点が付く。きっと、それが能力を2つ持つことの絡繰なのだろう。そして、拘束されていた理由も、この施設の職員に危害を加えるからに違いない。


「分かったんだったら、早くあんたも何処かに消えて」

「…そう焦るなって」


どうしたことか、完全に警戒されている。僕一人ではカディスを担いで、あの梯子を登るのは不可能に近い。もしかして、これは詰みってやつなのか?


ここで留まっていては仕方がない。時間稼ぎは出来ないが、里山モネがこちら側に気付くまで彼女の心を開き、打ち解ける術しか残されていないのか。


「僕と少し話そうか」

「…早く帰って。聞いていなかったの?馬鹿なの?」


少女は反抗する気力を無くしたのか、その場にへたりと座り込み、壁に寄りかかる。


「…声が聞こえるわ。上は相当な騒ぎになっているみたいね。テロを起こして楽しい?ねぇ、私みたいなのを冷やかして楽しい?」

「ああ、ごめん。実は僕、今日〈カタストロフ〉のメンバーになったばかりなんだ。それに、どちらかと言えば君に会いたかったから。冷やかしはない、と思う」

「今日…?え…?」


彼女は驚くと、僕の髪と瞳をじっくり見つめる。

「確かに有名なテロ組織にあなたのような〈ダンテ〉みたいなのがいたら、認識阻害の魔術があってもすぐ噂にされるものね。その目、その髪。すごく不快」と言った。


「やっぱりそう思われるのか、これ。でも、君のその左目だって青じゃないか。しかも僕のだし」

「…え?ってことは、あなたも〈兵器〉?誰かのだとは思っていたけど、あなただったんだ。埋め込まれた時は、すごく痛くてよく思い出せないのだけれど…ここの科学者が『綺麗な青色』って言ってた」


彼女は自らの左目を抑える。

「…突っ立っていないで、隣座っても良いよ。別に気を許した訳じゃないから。…あの無礼な男は知らないけど」


少し緊張もほぐれたのだろうか。

少女は右隣に目配せし、そこを片手で軽く2回叩いた。僕は遠慮せず座り、自分の名前を名乗る。


「佐月慎也。サツキでいいよ」

「珍しい名前ね…。なんか変な感じ。どっちがファーストネーム?」

「僕はこの世界の出身じゃないから。シンヤが名前。サツキが名字。我ながら名前みたいな名字だって思うけどね」

「サツキ…シンヤ…」


少女は譫言のように繰り返す。

「私たちにも異世界の認識はあるのだけれど、あなたの住んでいた世界はどんな世界だったの?」

「僕から見たら、こっちが異世界なんだけどね」


ここの住人は、意外にも『異世界』の存在を認めていることに驚きだ。常識を弁えている人なら、戯言と言って耳を傾かせないように思える。


「ここより空気は綺麗で、法律で拷問は禁止されている。それに僕の暮らしていた国は戦争も無いし、治安が良いからテロを起こす人もいない。でも勉強ばかり…だったか。学歴社会だから、優秀な大学に入らないと、将来暮らしていけない。まあ、なんだ…?面倒な世界だが、〈エラ・ステラス〉よりマシだ」

「平和なのは素晴らしいけど…学歴社会ね。でも羨ましい。あ、そうだ」


少女は壁の隅に重ねられていた本の一冊を取り、僕に見せる。


「この本ってあなたの世界のものなのかしら?すっごく感動したの」


少女が取ったものはO・ヘンリーの『賢者の贈り物』だった。僕が高校生の時、英語の授業で学習したことがある。彼女が持つものは日本語版で、それも幼児向けに書かれたものであった。


「日本語の文字、読めるんだね」


僕の反れた質問に少女は頬を膨らませる。

「日本語が何か分からないけど、ここに来る前には、きちんと学校に行ってたの。…でも、学生生活を送る途中で政府の人が家に来て、家族に裏切られてね。この施設に送られちゃった」


少女は自嘲気味に乾いた笑い声を上げる。


「毎日毎日、痛い目に合わされて、名前を捨てられて番号で呼ばれて、もう昔のことも、自分の名前も思い出せない。だけど、ここには本があって、それだけが救いだった。文字だけは忘れないようにこっそり勉強しているんだ」

「本が好きなんだな。他の部屋にも本があったが、ここの施設のオーナーの趣味なのか?」

「オーナーでは無かったけれど、確か…」

少女は首を傾げる。

「ここの研究員だったはず。かなり熱心な読書家で、顔は覚えていないけど、私が昔通っていた学校にも時々来て勉強を教えてくれたの。大体八年ぐらい前だったから今も働いているか分からないのだけれど」

「そうだったのか」


読書家で研究員となると里山モネにぴったりだが、そこまでの偶然は無いだろう。八年も前となると、里山モネの年齢が気になるが、長年高校に居座り続けたぐらいなのだから本性は侮れない。

少女は意識を失ったカディスを見つめる。


「悪い人じゃないみたいね」

「まあ。カディスもお前のことを助けたかったみたいだからな。僕はと言えば、君の左目が気になっただけで地下に来たが…。こいつの目的は仲間を増やすことだったんじゃないのか」

「…そう、なんだ」


「ねえ」少女は僕の顔を覗く。彼女の美しい異なる色の両目が、僕の顔を朧月のようにぼんやりと映す。


「私に名前を付けてよ」

「僕が?…僕が付けるのか?緊張するな…」


里山モネなら何と名付けるだろう?

サリカの名前はフランク王国のサリカ法典に由来していると見た。女性の王位継承を認めない内容だった筈だが、この世界でその名前というのは随分皮肉なものだ。

カディスの名前はカディス憲法からだろう。こちらはそこまで詳しくないが、法である事は間違いない。何かお洒落で、里山モネが気に入りそうな名前は…。


「カノンとかどうだ?」


「カノン?」少女が聞き返す。

「イスラーム法のカーヌーンと楽器のカーヌーンを掛けてみた。後者はギリシア語の『カノン』に由来しているんだ。カーヌーンだと可愛くないからカノン。僕の住んでいた地域でも同じ読みの子はいたから、西洋さは欠けるがおかしくはないだろう?」


「そうなんだ…。嬉しい。ありがとう」


少女ーーーカノンは立ち上がり、千切れた鎖の付いた枷に嵌められた両手を僕に差し出した。


「私を、助けてください」


僕はその錆びた鉄の枷の上に自らの手を重ねる。そして、能力を放つ。

破壊の力が流れた手枷は壊れ、無様な金属音を立てて床に砕け散った。同時に足枷も壊す。


「喜んで」


カノンは微笑み入口の方へ目を向けるが、足元のカディスを見て困った顔をする。


「どうしよう…。酷いことしちゃった。この人…えっとカディスさんだっけ?私が触るとまた能力が発動しちゃうし。それにーーー」


「どうしたんだ?」


彼女の視線、壊れた扉には白衣を着た男が二人立っていた。1人は小学生のように小柄で、もう1人はメタルバンドをやってそうなチャラ男である。その為、恐ろしく白衣が似合わない。


「黒髪碧眼の〈カタストロフ〉か。見慣れない顔だね」小さい方が僕に話した。


しかし、視認を阻害する魔力紋が刻まれていると言っていたが、何故この人たちは僕の顔を認識出来るんだ?そう思って、自分の素顔に触れたら仮面が外れていた。そうだ、カノンに接近を試みた時、仮面を外してーーーー


「顔バレしてんじゃん!」

「806を連れ去ろうっていうのか?まあ連れ去る前に、オレらが、お前ら犯罪者を連れ去るんだけどな」


背後のカノンは怯え、僕のジャケットの裾を掴んだ。

この目の前の男たちが彼女を拷問し、実験し続ける奴らなのだろう。僕1人で戦えるか。能力を酷使すれば、何れ体が尽きる。しかし、僕を含めた生存ルートはこの男らをこの場で始末するしか無いだろう。


僕は床に転がっていた、カディスの氷剣を手に取った。手袋越しに冷気が伝わる。


「カノン、君は下がってて」


そう僕は告げると、まずは小男の方に回り込んだ。後ろから首を目掛けて剣を振り下ろすものの、解剖の時に使うメスのような刃物で弾かれる。その隙を付いたのか、チャラ男が僕の右腕に刃物を刺した。


「痛てぇ!マジで痛てぇ!あと僕、分かってたけど、すごく弱い!!!」

「そんなんで彼女を守れると思ったのか、〈兵器〉にしては動きが鈍いな。毒でも盛られた?」


小男が挑発する。左手で傷口を抑えるものの、血液がドクドクと溢れてきて、その度に口に出来ない程の激痛が襲う。


「うるせぇよチビ!」覚悟をして叫んだ。



「【|crash(ぶっ壊せ)】!」


詠唱は特に必要無いが、場の雰囲気というものである。

放たれた能力によって、男らの真上の天井が崩壊し瓦礫の山と化す。だが、男も瓦礫に潰されるほど弱くは無いらしい。舞う粉塵の中から、チャラ男が、息を切らして出てきた。


「破壊の能力か。…お前、名前は?」


小男もチャラ男に続いて、瓦礫の中から出てくる。どうにかしてこの二人を倒す方法を考える。

こんなに追い詰められているはずなのに、想像を超える愉快な状況に僕は不敵に笑う。

ああ、どうしてこんなにワクワクするのだろう。


「ーーーもし僕が、『ダンテ』と名乗ったら、お前らはどうする?」


男らは一瞬黙ったが、その次の瞬間に笑いだした。


「〈ダンテ〉はそんな弱くねぇよ」小男が言う。


「だけど、その自虐したセンスは褒めたいぜ」

「そりゃどうも」


背後のカノンを見るとドン引きしていた。この世界で〈ダンテ〉というワードは度を越す程、口にすりのがタブーらしい。


「そりゃどうも、じゃないわよ。馬鹿」


カノンの声ではない、澄んだ川の音のような美しい女声が荒んだ部屋に響いた。彼女の、その喪服に酷似した真っ黒なドレスが翻る。


「里山!?やっと来てくれたのか!」


僕の歓声に里山モネは「名前出すんじゃないわよ」と仮面の裏の目で語るとこちらに近付く。


「私もいるんですけどね、ってカディス!いつ死んだ振りを覚えたんですか!?」


倒れたカディスにサリカが駆け寄り、治癒を始めると、僕の後ろに隠れる少女に気付いた。


「あれ、あなたがここの人ですか?」

サリカの質問にカノンは小さく「あ、あの…ごめんなさい」と呟いた。


「まあ後で説明するよ。取り敢えず今はこの悪党共を倒す事が先だ」

「分かってるわよ。一瞬で終わらせてあげるわ。覚悟しなさい、この社会の排泄物共が」


世界を統べる大魔道士のように、大袈裟に里山モネが両手を掲げる。

里山モネは、青の閃光を放ちながら男2人の体が宙に浮いた。そのまま正面の壁に形容しがたい力で叩きつけられ、男の体が砕け、内臓が飛び散った。一瞬で終わった成敗に、僕は何とも言えない気分になる。


「…あのさ、人を殺さないテロ組織って何ですか、里山さん」

「佐月の顔見られちゃったし今のはノーカン。見られたら殺すのが常識でしょう。それに、きっともう二機残ってるから1UPすれば元通りよ」

「ゲーム脳か!?」

「それよりその子、どうするの?」


その視線の先には、カノンがいた。里山モネの顔を見ると、怯えながらも律儀に頭を下げる。


「カノンって名付けた。お前が言ってた地下に閉じ込められた少女だ。助けて欲しいって」


僕がそう言うとモネは彼女に接近し、乱れた灰色の長髪に触れる。


「あなたの敵は死んだ。私たちのところに来る?味方はたくさんいた方が心強いわ」


里山モネの言葉に、カノンは大きな目に涙を浮かべ、そして笑った。その歳相応の愛くるしい笑顔だった。


「…そうさせてください。こ、これから宜しくお願いします!」


里山モネは微笑むと「帰るわよ」と短く言って、出入口に向かった。


「それと…」

「なんだよ」

「良いセンスねって言いたかっただけよ」

「女性の王位継承を認めない内容の法を引用した名前を付けるお前よりは、いいセンスだと思うぞ。それってどんな皮肉だよ」


「ふふっ、世界への反逆よ」そう言い、その例の話題の的であるサリカと倒れたカディスに向かう。


「カディスはもう歩けそう?」

「…なんとかな。サリカ、ありがとう」

「どういたしまして。でも、まだ危ないですよ。サツキくん肩貸してあげてください」

「ご、ごめんなさい!私のせいで…」


カノンは自分にやらせて欲しそうだったが、彼女に触れさせるのは危険だ。それゆえに断る。

僕は辛うじて歩けるようになったカディスの手を、自らの肩に回した。


「〈カタストロフ〉、全員帰還するわよ!」


一人だけテンションがぶっちぎりで高い里山モネの後に続き、僕たちは上の階へと向かった。



「屋上には行かないのか?」


スペースが狭く羽を持つサリカやカディスは広げられないため、梯子を何とかして上ると里山モネは裏口へと歩み始めた。廊下は壊れた壁の残骸や、ガラスの破片が散らばっている惨状である。


「迎えに来てくれている人がいるの。信用しても大丈夫な人だから安心しなさいよ」

「ミル姉が来ているんですか?」


サリカの質問に里山モネが肯定した。『ミル姉』という人物はよく分からないが、今迄の会話から推測するに『協力者』と呼ばれる人物こそが彼女だろう。


裏口まで駆け足で行くと、黒塗りの車のような乗り物が止まっていた。車と違い、フロントガラスやミラーは無く、一風変わったオープンカーのようである。その車のような乗り物から、黒い丈の長いカーディガンを羽織ったオレンジの髪の女性が出てきた。


「遅い、モネ。早く乗って」


ドアを開けると僕達は、詰め放題でビニール袋に入れられる野菜のように、後ろから押されて乗り、シートに凭れる。因みに座席は、助手席が里山モネでその後に僕とカノン、さらにその後がサリカとカディスという具合だ。


「悪いわね。飛ばせる?」


女性は頷くと、エンジンを掛けて車を走らせた。これは変わった乗り物で、形容しがたい早さで走っているのか、窓の外はモザイク処理を施したように見えない。


「紹介するわ。佐月とカノンは、はじめましてよね。彼女はミルファー・リークネクト。私の同僚で『協力者』。無愛想だけどとても優しくて賢い女の子よ」


里山モネに紹介されたミルファーは「よろしく」と無表情な顔をそのままにして言った。


「佐月、あなた変わったわよね」


疲れきったメンバーがぼんやりと外を眺める中、里山モネが助手席から独り言のようにつぶやく。


「例えば?どういうところがだよ」

「人と関わりたくないと言っておきながら、巻き込まれる。いや、自分から関わりに行ってるのかしら?私の時だって〝いじめ〟を止めようとしてくれたもの。ただ今回は、以前よりちょっぴり英雄さが増したかしら」

「お前らが僕を巻き込むんだろ。あと悪いが、お前の、その〝いじめ〟を止めた件はマジで分からない。それ本当に僕だったのか?」

「記憶戻らない?サリカに戻して貰う?」


里山モネがそう言うとサリカは「今日はもう魔力切れですよ、勘弁してください」と言った。


「サリカもこう言ってるし遠慮しておく。それにその内思い出すと思っている。僕の記憶が改竄された理由の方が知りたいよ」


「夏目雅之ーーーー多分アイツよ」


覚悟はしていた。唯一、里山モネの存在を忘れないでいた存在。そして、僕に悪魔の囁きをし、こちらの世界に堕とした青年。あの日彼と会い、唆されていなかったのならば、僕はこの世界に訪れることは無かっただろう。


「しかし何でタイミングが今なんだろうな。僕とアイツは小学校からの知り合いなんだ。〈エラ・ステラス〉に誘導したければ、もっと良いタイミングがあったのかもしれないのにさ」


よりによって、今は五月。それも卒業してからだ。小学校及び中学校では里山モネのようなこの世界の住人と接点が無かったが為に、平凡な日常を送ることが出来たと考えても良いのかもしれない。

高校三年生で夏目が里山モネの本来の姿に気付いたとしても、僕の記憶の一部分が欠落していることから、彼としては彼女とは関わらせたく無かったのだろう。無かった筈と考えたいのだがーーー


「正直、夏目がここの住人だとは考えもしなかったわ。後、佐月の能力適正値が高かったことを知っていたとしたら、真っ先に政府の組織の人間を挙げられるけど、あんな男は把握してない」


僕たちの会話を割り込むのを申し訳無さそうに、ミルファーが「…着いたよ?」と言った。


外のモザイクな景色は見覚えのある里山モネの家の周辺に変わっている。車が路地裏に止められているのは身元が発覚するのを懸念した彼女の気遣いだろう。


「ミルはこれからどうするのかしら?」

「わたしは今から出社する。モネが好き勝手したお陰で片付けやらされるかも」そう言うと「じゃあ」とだけ残して再び車に乗り込み、姿を消した。不思議な女性だ。


「お腹すいたわね。朝ご飯は何食べたい?」

「モネ様の焼いたパンがとても柔らかかったのでパンが良いです!」

「じゃあ俺もパンで。つーか小麦粉残ってるのか?」


サリカとカディスが口々に言う中、カノンだけは首を傾げる。


「カノンとサツキもパンでいい?この間買ったホームベーカリーが結構いい感じなのよ。流石メイドインジャパンね。カノンは味覚あるのかしら?」

「あ、はい。味覚も痛覚も人より劣りますが生きてます」とカノンは驚きを浮かべる。


「少し失礼な気がするのですが…モネさんは別として、何故食事と呼ばれる行為をするのですか?」

「腹が減っては戦は出来ないわよ?」

「そうじゃなくて…本来、痛覚のない〈兵器〉なら、食事は不要じゃないですか?食べなくても生きていける体になっているはずじゃ…」

「そんな小さなことはどうでもいいのよ」


ドアの鍵を開け、中に入ることを促す。

「私の趣味なんだから付き合いなさい?さあ、入って。で、佐月もパンで良いわよね?朝はご飯派とか言わないわよね?」

「僕もパンで良いよ」そう言うと「良かった」と里山モネは微笑んだ。


抜け出したくて仕方が無かった世界だったが、案外悪くないのかもしれない。僕はそう思った。



朝にしては少し早い目覚めだった。鐘の鳴った気配が無い為、恐らく起床時間の二時間前ぐらいだろう。目を開くとそこは自室の天井でも白いものでもなく、木製の二段ベッドの、簀子の木目が見える。


意識が覚醒してくるのを待つと、僕は三日間もトイレに行っていないことに気が付いた。このまま二度寝は出来そうにないので、体を起こし、二段ベッドの下の層から身を乗り出して御手洗に向かう。


用を終え、部屋に戻ると曇りガラスの窓から、ちらちらと漏れる陽の光は幻想的に思えた。この部屋は急遽、里山モネが僕とカノンの為に用意してくれたもので、ベッドの他には古びた勉強机とゴミ箱しかない質素な部屋である。

上の段から聞こえてくるカノンの寝息を聞こえる。


特にすることも無かったので、僕は古びた勉強机に腰掛けた。


机の上には、それぞれ異なる出版社の古語の辞書が三冊ほど並べられていた。順番に手に取り、ページをパラパラと捲っていると、大学受験のことを思い出して切なくなってくる。


机の引き出しに手をかけると、中には僕のスマートフォンが入っていた。レースのハンカチに包まれている。ハンカチを捲り、中身を出すと泥、で汚れていた。電源を入れることを試みるものの、付かない。

真っ黒な画面に僕の青い隻眼が写る。


ーーーーー写る?


忘れていた。やっぱり僕は何処かが抜けている。


刹那、画面に写った僕の顔が大きく歪み、両目が抜け落ちた状態に変化した。皮膚が爛れた骨と皮だけの顔はホラー映画のゾンビを連想させる。


この世界の呪いを侮っていた。失われた筈の左目の傷が強く痛み出した。能力の使いすぎの時と大きく異なり、ペンチのようなもので、無いはずの左目が引き抜かれる感じの痛みが襲う。

直接的に襲われてはいないのに左目から出血し、涙が頬を伝うように流れていく。


『わたしをたすけて』


女の声が聞こえた。


「…え?」


『あなたはわたしをしっているはず』


「駄目!」


後ろから、凄い勢いで、僕が握っていたスマートフォンを手で払われる。

丸めたテッシュで出血をする患部を押さえられた。


二段ベッドから身を乗り出したカノンだった。


「…ヴォル・フレーム、ヴォル・フレーム、どうか私たちをお許し下さい」


カノンは謎の詠唱を繰り返しながら、出血が止まらない目にティシュを当て続ける。


血が止まったことを確認すると、押さえていた手を離し、二段ベッドから降りて出入口前のゴミ箱に血の付いたティシュを捨てた。


「落ち着いた?」


ピンクの花柄のパジャマ姿のカノンが心配そうに僕の顔を見る。落としたスマートフォンを裏返しにしながら丁寧に手に取り、ハンカチで包んで机の引き出しにしまった。


「何だったんだ…あれが女王(ステラ)だと言うのか?」

「うん、正確にはステラ様の精神だけどね。私も二回ぐらい鏡に姿を写す実験をやらされたから、何となくだけど分かるよ」

「声が聞こえたんだ…」


僕は震える声を振り絞る。

「女の人の声で、どこか聞いたことがあるような懐かしい感じがした。思い出せないんだけどな」

「〈兵器〉になれる人の適正値って、ウイルスの抗体の他に、如何にステラ様の目に付くかとかそういうことも考慮されているって聞いたことあるの。もしかしたら、ステラ様との〝距離〟が近かったのかもね」


カノンは大きく伸びをして、曇りガラスの窓を開けた。


「ねえ、シン。どうしてここの住人は鏡に写ることが出来ないか知ってる?」


唐突に、僕のことを渾名で呼んだ彼女は、この世界の掟について投げかけてきた。


「呪いってやつじゃないのか?〈ダンテ〉が施した」

「それもあるけどね」

少女は続ける。


「〈兵器〉は鏡に写ることが出来ないのよ」

「何故僕は先程鏡に写ることが出来たんだ?」

「悪い精霊の仕業ね。それかステラ様の悪戯か。どちらにせよ、例え不完全でも、私たちは決して鏡に写ることが出来ない。〈兵器〉の実験を公にしたくない政府は、そうして姿が写るものを取り締まったの」


少女は止めることをせず、語り続ける。

「能力と違って素質さえあれば、魔法が身につくぐらい、発達した世界よ?その気になれば鏡の中の悪魔なんて魔力紋で封じることだって出来るはず。気付いていると思うけどーーーーー」


「心の音を限りなく緩やかにされ、不老長寿、それに食べることも排泄することもしない私たち。モネさんはそれを隠そうとしているけどね。即ち、〈兵器〉になることは死。もう分かるよね?」


机の上に開かれた古語の辞書は、窓から吹く風がカ行のページで止まった。

『かぎりあるみち』の語句があるところに、丁度陽の光が照らす。


「私たち、死んでいるんだから」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ