無
「…で?」
ため息混じりに、目の前に座る友人に問いかける。
小説を書いたから読んでくれ、と呼び出されて、読まされたのがただただ真っ白な100ページだ。発想は斬新なのかもしれないが、読み手からすると、正直裏切られた気分だ。
「この真っ白なページに、自分なりに深い解釈を与えろってこと?解釈は完全に読者に委ねられたってやつか。」
半ば皮肉でそう言うと、彼は笑った。
「そんな高尚なもんじゃないよ。これにはちゃんと、俺なりの解釈が施してある。」
そう言って彼は、コーヒーを一口すすった。
「裏切られただろ?」
角砂糖が俺の手からポトリと落ちた。彼は挑戦的な顔で、こちらを見て笑っている。
「『無』というタイトルと、延々と続く白紙のページ。大体の人は、最後の最後になにかしら結末となる文章を期待するはずだ。しかし、最後までページをめくっても結局、なにもなかった。」
角砂糖を一つ入れたコーヒーは、予想以上に甘ったるい。ほとんど減っていないコーヒーを置きながら、俺は言った。
「人の期待を裏切って楽しいか?」
まさか。と彼は笑う。
「それが狙いな訳じゃないよ。これを読んで期待を裏切られた人は、つまらない、と評して、その後これを忘れるだろう。お前もそう感じただろ?」
そこまでわかっているのなら…
いいかけた言葉を、甘すぎるコーヒーで流し込み、彼が話し出すのを待つ。
「この小説はその瞬間、その人にとって、何の価値も無いものになる。その後の生活が劇的に変化する訳ではないが、なにかしら不幸が降りかかるわけでもない。あってもなくても同じだったような、本当に、どうでもいい存在になるんだ。」
再び彼はコーヒーを口に含む。そしてゆっくりと息を吐いて、静かに言った。
「人は皆、世の中のもの全てに価値を求めようとする。何の価値も無いものはいらない、そう考えて、無価値な物を切り捨てていくんだ。だがそれなら、価値あるものに溢れた世界に、無価値なものが取り残されていたら、希少価値、という意味で、それはこの上なく価値のあるものになるんじゃないか?
価値がないが故に価値がある。そんな矛盾した存在に、この小説にはなってもらいたかったんだ。」
そう言って彼は、コーヒーを一気に飲み干した。
俺は目の前に置かれた真っ白な小説をじっと見つめる。
彼の言いたいことはなんとなくわかった。だけど何か、ひっかかるものがある。 納得したのに俺はどうしてか、この小説には真っ白でいてほしくないと思っているのだ。
それなら、どんな言葉で締めればいい?自分自身に問いかける。
琥珀色の液体の底に、溶け残った角砂糖がうずくまっている。それを見た俺の頭に、一つ、この真っ白な小説に付け足す文章が思い浮かんだ。
いや、ないな。俺は小さく笑って、すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に煽った。さっき浮かんだアイデアを溶かしこむように、勢いよく。それで溶けてしまうほど、俺が考えたアイデアは陳腐なものだった。
口の中に残った砂糖の甘さが、やけに不愉快だった。