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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アレックス・エドワーズ教授の記録

作者: あすく

 アンデスの高地に吹く風は、身も凍る寒さを我々にプレゼントしてくれた。その嬉しくない贈り物に対して、両の手に息を吐きかけて対抗を試みる。うなりを上げる風がこの世ならざるものの来訪を告げているようにさえ感じられた。

 先行する若い隊員の声が、目的の場所に近づいていることを伝える。目指すは標高五千メートル。魔の山岳遺跡と呼ばれる古代遺物である。

 某大学で考古学の教鞭を取る私に、その話が舞い込んできたのは、未だ年も明けぬ一九九八年十二月十五日のことだった。研究室に入ってくるなり、その黒いスーツを纏った男は、政府の高官であることを明かす名刺を差し出してきた。そして、数枚の衛星写真を私の机に並べた。国防省のロゴが目に付くその写真は、男のどんな言葉よりも私の興味をかき立てた。規則的に配置された石組み。積み上げられたタワー状の巨石。明らかに人の手の入ったと思しき数々のモニュメント群。考古学者の私でなくとも、それが古代の遺跡であると理解できるだろう。

 国防省の軍事衛星が、南米の地形の写真調査を行っている最中に、偶然的にそれを発見したという。男の話を信じるならば。私はこの黒いスーツの男がどこか信用できないでいた。それは男の声が妙に感情を欠いた、どこか無機質ともとれるように聞こえていたからか。

 何故かは知らないが、これが私の元に持ち込まれるということは、私にこの遺跡の発掘調査を行えということなのだろうか。疑問を持つまでもなかった。私は調査隊の隊長として既に政府の中で内定が出ているらしい。私に拒否する権利は無かった。より正確に言うならば、拒否する心理が無かった。どこか胡散臭く思いつつも、私の心はこの未踏の遺跡に対する興味に支配されてしまっていたからだ。私は契約書にサインした。

 翌一九九九年六月十二日、私を隊長とする調査隊は南米への旅に出発した。ブラジルからアマゾンの密林を抜け、アンデスの高山へと到る道程である。途中、現地の先住民の集落に立ち寄って食料その他物資を調達し、その先も様々な労力を費やして、我々がやっと目的の遺跡に到達したのは、出発から実に十日後のことであった。

 遺跡は険しい山の山頂付近に存在していた。斜面に転々と存在する様々な石造物は、衛星写真から想像していたよりも、遥かに巨大で重厚な威圧感を持って我々を出迎えた。息が詰まるのは、五千メートルの薄い酸素のせいだけではないようだった。無論、調査隊は高山病の対策として、酸素ボンベを大量に用意してきていた。

 巨石に圧倒されながらも、我々は早速作業にかかった。できるだけ早く調査を行いたい、そんなはやる気持ちを抑えて行った最初の仕事は、ベースキャンプの設営である。高所での作業はかなりの体力を消耗する。学生時代にフットボール部で名を馳せた私は、体力には多少の自信を持っていたものの、見事にこのアンデスの高地に追い詰められてしまった。だが、五十五歳という私の年齢を考慮すれば、最後まで立っていたのだから大健闘と言うべきかもしれない。明らかに私よりも若い二十代の学生や院生たちは、しかし大半が私よりも先に根を上げてしまっていたからだ。

 ベースキャンプ設営の中核を担ったのは、探険家のリチャードだった。この四十代の屈強な大男は、南極の横断経験もあるベテランの探検家で、今回の調査隊のサブリーダーであり、技術面におけるチーフの役割を果たしてくれていた。彼の存在が無かったら、我々は調査対象であるこの遺跡まで辿り着くこともできなかったに違いない。彼のおかげで仕事は片付いたものの、結局丸一日をキャンプと格闘して潰してしまったために、調査は翌日からとなってしまった。妙に耳障りな風の音が響き、テントをざわめかせていたが、皆疲れていたこともあり、眠れぬ者はいなかった。

 明けて六月二十三日、調査がスタートした。私は下見としてあちこちを見て回ったが、遺跡の奇妙さに幾度も驚かされた。インカを筆頭に中南米に花開いた文明は鉄器を持たなかったことで有名だが、ここは明らかに鉄、あるいはそれに類する金属によって加工がなされた形跡があった。金属使用の最も端的な証拠が、大学院生のジョアンナの手で発見された。薄汚れたその破片は、簡易分析器を通して高純度のタングステンの可能性が示唆されたのである。考古学上の常識を覆すオーパーツの出現だった。我々の興奮は高まる一方であった。そしてそれは、調査が順調に進んでいる根拠となるはずだったのだ。

 一週間も過ぎるころには、調査の方向性が見出されてきた。この遺跡の特異性が、あらかた浮かび上がってきたからだ。目下のところ、最も我々の興味を引いたのは、『神殿』と名付けられた建造物だ。『神殿』は他の如何なる文明のものともかけ離れた、極めて異質な建てられ方をしていた。崇拝の対象として安置されたと思われる物は、既存の知識では考えられない物であった。『神殿』内部に置かれていたのは、一辺が正確な一〇フィートで巨大な岩石から切り出されたと思しき立方体だったのだ。立方体の周囲の床や壁面には、奇怪な文様が刻み込まれていた。文字はアンデスの古い時代には存在しないとされているが、この文様は文字のようにも見える。振動による探知の結果は、『神殿』の地下に広大な空間が広がっていることを示していた。

 この『神殿』こそが、都市――この遺跡は都市の様相を呈していた――の中枢に違いない。私は直感と知識を基にそう結論付けた。第一陣ということもあって十分な時間的余裕も無かったために、我々は他の場所の発掘を犠牲にしてでも、『神殿』の調査を優先することとした。『神殿』内部は周辺と隔絶された環境らしく、澱んだ空気が調査隊の面々を不安がらせたが、それだけだった。ときおり感じる頭痛は高所故の軽い高山病と見られたし、背後の気配に振り向いても何者の影も見ることができないのは、その気配が閉鎖された空間に反響した自分や他の隊員のものであったにからに相違あるまい。

 だが、年若い学生の隊員の中には、こういった独特の雰囲気に当てられて、おかしな妄想を抱く者もおり、私は隊長としてその精神に覆い被さる不安を取り除いてやらねばならなかった。

 ある早朝も、そうした一人が私の所へと相談に来た。ジェームスという、見るからに神経質そうな彼は、おかしな事を私に言ってきたのだ。曰く、深夜に遠くから不審な物音がするという。私は、慣れない高地の生活に体が付いてきていないのだろう、気のせいだから安心するように、とお決まりの言葉を出した。その間彼は、同級生に自慢していたロレックス社の高級腕時計を所在無さげに弄りながら、私の話を聞いていたが、私が彼の気を紛らわそうと『神殿』の話を始めるや否や、顔にはっきりと怯えの色を浮かべて、自分を『神殿』の発掘メンバーから外してくれと言ってきた。『神殿』の雰囲気は独特なので、本人の希望とあらばそうした方が良いと思い、その日の彼の担当を屋外の作業に変更してやった。そして、『神殿』内の作業のローテーションを組みなおすことで、この問題に対処した。

 その日はそれだけで済んだ。しかし、数日が経つにつれて同様の不安を訴える隊員が増えてきた。不審な物音を聞いた者の中には、極限状況に慣れているはずのリチャードの名まであったのである。私の頭には、麓の集落で現地の老人が恐怖とともに語った、不吉な伝承や、集落内に広がっている不気味極まりない噂話が思い出されていた。それらの伝承や噂には、必ずと言っていいほどの頻度で、不気味かつ奇怪な物音の話題が出ているのだ。それは、何か大きな物体を無理矢理に転がしたような、ガタンガタンという音だ。私自身もまた、その音が聞こえるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 不気味な不安が、皆の間に染みの様に広がっていた。それは徐々にではあったが、同時に確実でもあった。私はリチャードと相談した上で、できるだけ早く発掘作業を終えて、下山するべきであると判断した。

 一九九九年七月七日、夕方。散歩に出るといって出かけていったジェームスが帰ってこない。学生たちから報告を受けた私は、リチャードと共に彼を探しに遺跡へ出向いた。ジェームスのものと思しき足跡が、ベースキャンプから遺跡へと一直線に続いていたからである。進むにつれて、私の頭に疑問が浮かんできた。足跡の向かう先が『神殿』であることに気付いたからである。『神殿』をあれほど怖がっていた彼が、わざわざ『神殿』へ行くだろうか。しかし、リチャードが先に立ってどんどん進んでいくので、私は後に続かざるを得なかった。

 日暮れの『神殿』は否応にも不気味さを増していた。私の心には最初の頃の興奮はもはや無く、ただその佇まいが恐ろしいものに感じられた。中をのぞき、懐中電灯で照らしたリチャードが、うっとうめいて手を口に当てた。何事かと後ろから顔を出した私も、数秒後に同じ反応をすることとなった。『神殿』に入るたびに、常に重厚な威圧感をもって出迎えてくるはずの立方体は、そこには無かった。代わりに、全身に奇怪な穴を開けられ、無残に切断されたジェームスが、生贄の様に祭壇に捧げられていたのだ。

 不安は、ここに最悪の形で現れてしまった。

 私は引き上げるべきだと決断した。『神殿』の不吉な気配は、既に目に見える形で我々の前にある。少なくとも、人間の命をこのような形で奪う何かがあることは確かなのだ。

 リチャードと私は、すぐにベースキャンプへ引き返した。残してきた隊員たちが心配だったからだ。異変は、すぐにわかった。キャンプがなぎ倒されている。一面に血痕が残っていた。我々は、既に手遅れであった。テントの布の中でガサガサと音がして、私たちは身構えたが、そこから姿を現したのがジョアンナであるとわかって、胸をなでおろした。彼女は放心状態だったが、私の顔を見ると、震える唇でこう呟いた。立方体が生きている。

 私は、その意味をすぐには理解できなかった。ガタンガタンという例の音が近づいてきて、私の目の前に厳然たる恐怖として形を成しても、まだそれを現実と認めることができなかった。

 一辺が一〇フィートの立方体が、表面から複数の触手をくねらせながら、重い音を立てて転がっていた。ある触手の先端には、眼球だけが付いていた。ある触手の先端には、肉切り包丁のごとき巨大な爪が付いていた。ある触手には液体を滴らせる穴が開いており、またある触手は先端部が無数の細い触手に枝分かれしていた。人間の肉体の一部と思しきものが付いている触手さえあった。

 それだけでも十分すぎるほどの恐怖だったが、ある触手の先端に付いている人間の腕に、ロレックスの見慣れた輝きを認めた瞬間、ついに私の口から叫び声があがった。

 腕は、動いていた。明らかに人間の肉体としての機能を果たす必要が消失しているにもかかわらず。

 リチャードの悲鳴が響き渡った。彼の体は、いつの間にか触手に捕まっていた。ああ、無機物に過ぎないはずの立方体の前面が、左右に大きく開くなど、誰が想像しようか。触手に捕まったリチャードの頭部が、トマトジュースのように真っ赤な血を噴出しながら、胴体から引き抜かれた。立方体の深紅に染まった内部から、新たな触手が伸びて、リチャードの胴体を引きずりこむ。先端に何も付いていない触手が、宙に浮いたリチャードの頭部に突き刺さった瞬間、おぞましい絶叫がほとばしった。紛れも無い、リチャードの声で。私は動くこともできないまま、その光景を目撃してしまった。

 私は理解した。理解してしまった。

 気が狂ってしまえば、どんなにか楽だっただろう。私の隣で、登山用のナイフを自身の胸に突き立てるジョアンナの姿を見ながら、この私の、論理に凝り固まった脳は、考えることを放棄してはくれなかった。

 あの立方体――既知のあらゆる生物と系統を異にする、あの恐怖すべき生命体――は、こともあろうに、知性を持っているのだ。更に恐るべきことだが、おそらくは既に生命活動を停止した生命体の肉体を、己の意のままに制御することができるのだ。しかも、対象の生物が知的生命体であるのならば、その脳に触手を接続することで、情報を得ることができるのかもしれない。それが証拠に、見よ、あの触手の先のジェームスの腕が、時計の針を合わせるための螺子を回しているではないか。

 この遺跡を残した文明が立方体を崇めたのは、この頂上の生物の存在を知っていたからに他あるまい。もしくは、ここは彼ら自身の築いた都市であったのか。何らかの原因でこの生物は衰退し、現生の人類に認知されるより以前に、高山や地下に姿を隠したのだろう。そしてきっと、この地球の覇権を握るために、遥かな年月を耐え忍んできたのだろう。そう、我々人間には想像もしえない、気の遠くなるような永い年月を―――。

 私はこのことを伝えねばならない。合衆国に。国連に。全人類に伝えなければならない。この戦慄すべき生物の存在を人類の前に明らかにし、その襲撃に備えさせねばならない。私にはその責任が生じてしまった。しかし、私が生きて帰ることができなかったときは、そのときはこの記録を見た何者かよ、直ちにこれを世に出してもらいたい。たとえこれが誰にも相手にされなくとも。

 あの音が近づいてくる。あの転がるような音が。時間が無い。これを隠している時間が。もう、時間が無い。おお、神よ。我々を、私を、人類を救いたまえ。AMEN!




 記録はここで終わっている。


いかがでしたでしょうか。学生時代に書いたものなので、今見るとちょっと荒いかもしれません。R15タグを付けようか迷いましたが、今回は付けないことにしました。ご意見、ご感想があればお待ちしています。

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