ミツ子さんのある一日
OLミツ子の朝は早い。
職場へ到着したミツ子がまずすることは。
事務所の入り口扉前で足を止め礼儀を正し、そして。
「おはようございます」
深々とおじきをしてから、一拍おいて朝の挨拶をするのである。
『おはよう、ミツ子さん』
優しげな老婦人の深い声がミツ子の耳に届き、観音開きの木の扉がゆっくりと開かれる。
「いつもありがとうございます」
『いいえ、いいえ』
――この挨拶を皮切りに、ミツ子の仕事が今日も始まる。
◇◆◇◇◆◇
ミツ子の勤める職場である事務所は、全ての窓という窓がカーテンに覆われ、外の朝の明るさから隔てられ、とても重苦しい雰囲気であった。それもいつものことである。
壁、天井、床など全てが草臥れたような木材で作られた事務所内は、とても薄暗い。さながら“何か”が出るのだと説明されても納得してしまうくらいであった。
また空気も凝ってしまっているため、閉めこんだ部屋独特の埃臭いような、かび臭いような室内臭に満ちていた。“何か”とは別の黒く素早い“あれ”が出てきてもおかしくはないだろう。
しかしミツ子は、そんな重苦しい空気にしり込みもせず、また“何か”や“あれ”に臆することなく、すたすたと迷うことなく窓へ歩み寄る。
「おはようございます」
重く厚手の布地のカーテンの前に立ち、ミツ子は一礼し挨拶をする。ミツ子の手により次から次へと、シャッシャッと小気味良い音をたててカーテンが取り払われ、内側のレースのカーテンが顔を出す。
小気味良い音から、素早く取り払っているように思うが、ミツ子はゆっくりと優しい手付きで――まるで労るように、取り払っていく。
カーテンが取り払われたことで、ようやく事務所内に明るい朝の日差しが差し込んだ。暖かい日差しに埃が舞い、きらきら、きらきらとダンスをしているかのようだった。
『オハヨウ、オハヨウ』
実際、よくよく見れば日差しの中、つまり空中に舞う半透明の妖精の姿が見てとれるはずだ。 洋物の絵本の描かれているような、花々を陽光の如く輝く髪に差し、花びらを何枚も重ねたひらひらのドレスに、四枚の透明な羽を背に生やした、小さな小さな妖精だ。羽は陽光に照らされ、彼女らが動く度に、周囲へ虹色の輝きが落とされる。
小花柄の真っ白なレースのカーテンを背景に、彼女らは互いの小さな手を取り合い、円陣を組んで空中を踊るように舞う。楽しそうに、明るい調子の曲を口ずさみ、足でリズムを取りながら。これも、いつものことである。
「おはようございます」
そんな彼女らが、くすぐったいようにはにかみながら、ミツ子に挨拶を返す様子はとても愛らしい。ミツ子の顔も自然と綻ぶ。
うふふ、としばらく笑いあったあと、妖精が場所を移動した後、ミツ子はレースのカーテンをゆっくりと開け、軽くのびをした。
優しくも暖かい朝の日差しに、ミツ子は自然と背筋がのびるのだった。
次にミツ子が向かったのは、事務所の角にある掃除用具が収納された掃除用具入れの前。深みのある焦げ茶色の、たくさんの時を経たことで独特の色艶を帯びた、四隅の桜の掘り模様美しい、たいへんレトロな雰囲気の縦長の木製のロッカーだ。
自分の身の丈と同じロッカーの前に立ち、ミツ子は深呼吸をひとつしてから、挨拶をひとつ。
「おはようございます」
挨拶をし、一呼吸置いてから、戸を開けようとミツ子は手を伸ばす。しかし微かな気配を感じとり、ミツ子は苦笑しながら手を引っ込めた。
『みっちゃん、おはよう』
重く低いダンディーな声が響き、掃除用具入れの戸がゆっくりと自分で開く。これも、いつものことである。
『会いたかったよ、みっちゃん。ダンの野郎は酒しか呑まない。誰も事務所の清潔さには気を向けないのさ』
ダンディーな声が、呆れたような調子で語る。やれやれと頭を振る様子が目に見えるような声調である。
掃除用具入れから塵取りを取り出しかけていたミツ子の手が止まった。
「――室長、また……ですね??」
ミツ子のフレームがフォックスタイプの眼鏡(つまりつり上がった形、ザマスの眼鏡)のレンズが、朝陽を浴びてきらりんと光った。
『……程々にな、みっちゃん……』
呆れの混じったダンディーな声が響くなか、ミツ子は不気味に肩をうふうふと上下させながら、けたけたとしばらく笑い続けていた。
◇◆◇◇◆◇
結局全ての清掃が滞りなく終わったのは、ミツ子が出社してかなりの時間が経過していた。
ミツ子は自分の事務机に片頬をぺちゃっとつけ、半開きの口から半透明の眼鏡をかけた魂を飛ばしていた。
「うふうふ……」
ミツ子のきっちりとひっつめた髪も見るも無惨にほつれ、何本も髪が顔に垂れ落ちてくる。それすらも気にせずに、ミツ子は一人「うふうふ」と時折思い出したかのように笑い出すだけ。
しばらくミツ子がそうしていると、ふと事務所の扉に変化が見られた。
ミツ子が目を向ける先で、木製の古い扉がまるで腹を立てているかのように、ギシギシギィイ、とたいへん耳障りな甲高い悲鳴のような音を派手に立て、非常にとろとろと開いていく。
一人ののっぽの男が、頭部をぶつけないように頭を下げて室内に入ってきた。少し長めの前髪が特徴な、金茶の短髪の三十路前後のどこかキザな雰囲気の男だ。前髪をさらっ……と手でかきあげて「ベイビィー」とかいいそうである。
そんな彼は、自分に自身でもあるのだろうか。手鏡を見ながらポーズを決めているようだ。絶対「ぼくちゃん今日もカッコいい」と悦に入っている顔だ。彼はそんな男である。
ミツ子は、まだ彼女に気付かない自分の“一応”上司を見て、笑いが込み上げてきた。笑いを隠さずに、室長に挨拶をするため、彼女は立ち上がった。
「うふふ、うふふ……“おそよう”ございます、室長――」
室長はびくうっ、と体を仰け反らせた。ガッシャン、と音を立てて手鏡が床に落ちた。あの音からして鏡面は割れたに違いない、南無。
一方ミツ子といえば――両腕をだらんとさせ、口にほつれた髪を何筋かくわえ、俯き加減の顔でにたぁ……と室長に笑みを向けた。片端をつり上げた口からは、怨嗟が押し込められたどす黒い笑い声が漏れ出て行く。
そんな恨めしそうな視線と雰囲気に、室長は顔から一気に血の気を引かせ、反射的に後退り――ばこぁん! と、扉から激しいタックルを後頭部と背中と腰に食らった。まだぶつけたりないのか、扉はまだギィ、ギィと重く鳴る。
とても怒りに満ちたその扉の動きに、ミツ子は「ぐっじょぶ!」とぐっと親指を立てた。
◇◆◇◇◆◇
「わたしがアーテレイアへ出張していた間に、いったい何をなさっていたんですか?」
窓に面して配置された、大きな室長のデスク。これを挟んで、上司と部下――室長とミツ子は向かい合っていた。
ミツ子は室長のデスクに分厚い書類の束を叩きつけている。バシーン、バシーンとリズミカルに叩きつけている。
「室長?」
俯いて顔をいっこうにあげない室長を、ミツ子は見下ろす。今、ミツ子は仁王立ちだ。肩幅に足を開き、左手は腰にあて、右手で書類をばっしばししている。
「だんまりではわかりませんよ。ほら、これとか」
バシィン、とミツ子は手首のスナップを使い、書類の束をゆっくり叩きつけた。その書類は一般的な大学ノートのサイズで、厚みは五センチほど。黒く大きなクリップで止められており、一枚目に“ドファーレ界の神々の意見収集書”と書かれている。
「確か三日前でしたよね、期日。ドファーレの神様方は比較的穏やかな気性です。一度目ですし、苦笑して許してくださるかもしれません……」
ミツ子の静かな言葉に、室長はさっと顔をあげた。真っ白な顔に、ほんの少し朱が混じり、ちょびっとだけ喜色と期待に満ちた表情を浮かべていく。
「……でもですね。こちらのミラーシド界はいけません」
ミツ子は“ミラーシド界の神々の成り立ち”と書かれた厚さが十センチのバインダーを、ドスンと存在感を強調するかのように、ゆっくりと丁寧に置いた。バインダーは書類をたくさん詰め込まれ過ぎて、本来の二倍の厚みに膨れ上がり、威圧感が滲み出る存在感を放っていた。
ミツ子の言葉とそのバインダーに、室長の顔から朱色と喜色その他が失われていく。
「こちらの神々、とくに闘争の神・ジャファーナル様は許しはしないでしょう。約束を一度破れば、待つのは地獄直行だけです」
室長の顔が真っ白を通り越し、土気色になりつつあった。
「あと、こちらも、こちらも、こちらも」
その束を皮切りに、ばさばさばさっ、とざわつく音を立てて、書類の束が次から次へとデスクに積み上げれていく。
何度も何度も積み上げて、デスクに書類の塔を築き上げつつも、ミツ子はわざと真ん中だけをあけておく。
「おわかりですよね、室長」
ミツ子は極めつけとばかりに、書類の塔で埋め尽くされたデスクの真ん中にあけられた空間に“それ”をでんと置いた。
“それ”を見た室長は、水槽を漂う観賞用の小さな魚のように、口をパクパクと開閉させるのみ。
そんな室長に、ミツ子は追い討ちをかけた。
「これ、酒神の庭の朝露の雫と名付けられた焼酎の一升瓶ですね。先日、ランデニーフェ界の女神からお礼にと頂いた特別品です」
瓶の上部から下部にかけて、青空のような青から、宝石のような水色に移り変わるグラデーションが美しい瓶だった。中には南の海のような碧色の透き通った酒が入っていた。
中身が減るにつれて、瓶の色が変わるという一風変わった特徴がある。減り始めれば、上部の青が徐々に紫に変じ、最終的には紫一色になる。
しかし変化するのは色だけではない。材質も、ガラスではなくなるのだ。今、一升瓶は下まで全てアメジストになっている。つまり――中身は。
「中身はありません、しかし中身が入っております……ちゃぷちゃぷいってます」
ミツ子が一升瓶を振れば、ちゃぷちゃぷ、どっぷんどっぷんと音がする。重みもあり、中身は満杯のようだ。
「そ、そうだ、入っているではないか! き、君は上司を陥れるのかい?! そ、それに外観が明らかに違うだろう、君の酒とは! 君のは青の綺麗な酒瓶、それは宝石だ!」
室長がどもりながら叫んだ。唾も飛ばし、見た目イケメンが大変残念である。
そんな室長に、ミツ子は動じない。
「か、返したまえ! それは僕のだ!!」
室長は叫びながら手を酒瓶にのばす。けれども、あと少しというところで、酒瓶はミツ子がひょいっと回収する。室長が手をのばしたことで、デスクの上の書類の塔がいくつも崩れていく。
「ぐえ」
室長は書類に埋もれた。ミツ子は冷めた目で室長を見下ろした。
「これ、酒神様からのわたしあての頂き物でした。今度の休日に、おそれ多くも酒神様と酌をかわす機会を頂いたんですよ、飲みっぷりを誉めていただいて。……もちろん、このお酒で。で、きちんと仕舞っていました。誰にも、見られないように」
崩れた書類から室長の顔が出た。恨めしげにミツ子を見上げる。
「室長はどうして、青の瓶だと知っているんですか?」
ミツ子の淡々とした声に、室長の顔が赤と青とを忙しなく行き来し始めた。まるで点滅するライトだ。
「そんな小さい子でもわかる嘘はやめてください――言い逃れなんて、このごに及んでできませんよ」
室長は、何もいわない、否、何もいえないのか。
「人のお酒を飲んでただけですか?
飲むだけだったんですよね? だから……この書類の添削もなさらず、こちらのサンプルの校正もなさらず、あちらの作成中の案の推敲もなさらず。
……見てください。溜まった書類で、こんなに高い書類の塔がたくさんたくさん出来上がりました」
デスクに積み上げれたたくさんの書類の束の数々。それらはすべて、ミツ子が出張中に「お願いします」と室長に頼んだ仕事であった。
しかしそれらはミツ子が出張する前のままの状態であった。一切手をつけたあとが見られなかった。
「……はぁ。だんまりですか。まあ、妖精ちゃんとツクモ神さんたちの目がある限り、あなたの罪が証拠不十分でお蔵入りになることはありませんので」
ぱちん、とミツ子は指を鳴らした。
ミツ子の目の前では、白目をむきかけている室長が一名。顔面の美しさがよろしいと、どんな表情でも美しさは損なわれないとか、怒りの表情も悲しみの表情も美しいというが――白目をむきかけていれば、さすがに美しさは損なわれるらしい。
「あとは、あなたの仕事です」
ミツ子は振り返り、いつの間にやらミツ子の背後に控えていた“彼”に頷く。“彼”も頷き返し、ミツ子の横に立った。
「――……っ」
彼がミツ子の横に立った途端に、室長はついに完全に白目をむき、口から泡を吹いて、回転椅子を巻き込んで卒倒した。
「はあぁ……」
出張先から職場へ直帰、出勤して蓋を開ければこのザマ。ミツ子はこれからすること、そしてしなければならないことを頭に思い浮かべ――はあぁとさらに溜め息を吐いて天井を見上げた。
『あーら大変ねぇ』
ミツ子が見上げた天井には、蜘蛛の巣を好物とする虫食い女郎(顔だけ白塗り厚化粧の掌サイズのカマキリ)がけたけたと笑っていた。
「……女郎まで湧くほど掃除もしてなかったんですか………」
ミツ子の出張は、こちら換算で一週間。
「………もぅやだ………」
へなへなと、ミツ子は脱力し尻餅をついた。髪をかきむしり、ほつれてきた一筋の髪を口にくわえながら、ふらふらする体を彼に支えられて「うふふふふ」と黒い笑みを漏らし始めたのだった。
◇◆◆◆◇
「――ってなわけですよぉ!!」
所と時は変わり、とある居酒屋、業務後。
「生ぁ追加ぁああ!!」
ガタンッ、とミツ子は勢いよく空のジョッキをカウンターに叩きつけた。
「ちょっとぉ、みっちゃああん、ガラス製品は繊細なんだからぁ、もっともーっと優しく扱ってぇ〜」
重低音のがらがら声、間延びした女言葉。そんな声がうつむいていたミツ子の耳に届く。アフターファイブならぬアフターイレブン、残業激務の後、髪をおろしたミツ子は、滝のような真っ黒の大量の髪が顔を覆い隠していた。だから、ミツ子の行き付けの居酒屋の――ここのマスター、人呼んで重低音のさっちゃんからは、常連客ミツ子の顔が見えなかった。
「うふふふふ」
ミツ子は笑いながら、ゆっくりと、ゆっくりと顔をあげた。針金のように真っ直ぐすぎる髪が、ミツ子の動きにそって顔の上から退場していく。
「うふふふふふふふふふふふひぃっ、ひあっは、ははっあはっ」
ミツ子の狂った笑い声をバックに、ミツ子の隠された顔が露になっていく。
疲労に満ちたミツ子の顔はやつれ、そして酒を浴びるように飲んだことで真っ赤、熟れたリンゴのようにまっかっか。髪に隠れている耳も赤いだろう。チャーミングポイントのザマス眼鏡もずれ落ち、ミツ子の青黒な隈に彩られた落ち窪んだ目が丸見えになり、アルコールの赤と対比するとかなり鮮明だった。
「み、みっちゃあん……? みっちゃんやあーい? とにかくガラス製品は丁重にねぇ〜……ね? 物作り命のドワーフ親父から怒られるのよぉ……」
マスターさっちゃんは、ミツ子の鬼気迫る迫力にドン引きし及び腰になりがらも、おそるおそるといった手付きで、ミツ子の眼前で手をヒラヒラさせた。
「ドワーフがなんじゃあああああ!!」
ミツ子はガン! と握り拳をカウンターに叩き付けた。「ひんくつひねくれエルフの木材卸し問屋の木なのにぃぃ!」とマスターさっちゃんが泣いているが、ミツ子は気にしない。他の客が、ミツ子の故郷・地上はジャポンから輸入したスマホでどこやらへ電話してもミツ子は気にしない。
「みっちゃあん、ちょっとおお?!」
悲鳴をあげるマスターさっちゃんのごっつい顎割れ顔は、彼の故郷の珊瑚礁の海もびっくりな真っ青だ。これでもマスターさっちゃんは漁人だ。漁師だ、海が生んだおと――海のおねぇだ。
そんなマスターさっちゃん、勇気を出して常連客ミツ子、もはや迷惑客と化した酔っ払いミツ子を取り押さえようと腕をカウンター越しにのばし――
「さっちゃん」
落ち窪んだ、骸骨も幽霊も然もあらんなミツ子の濁った目が、マスターさっちゃんをい抜く。
マスターさっちゃんは思い出した――海の上でクラーケンや鬼マグロ、海坊主や蛸の王と素手で格闘した時を。彼らの目、眼力もこんな感じだった。まだ青臭い坊主でマスターでなかったさっちゃんは、よく腰を抜かしたものだ。その、目だった。あの頃は若かった、渚を彼と――
思い出という名の海に浸りかけたマスターさっちゃんは、一気に現実へ引き戻された。
マスターさっちゃんの目の前には、海のおねぇもびっくりな素早さで彼のおててを掴んだミツ子がいた。マスターさっちゃんのもじゃもじゃおててをがしっと掴んだミツ子は、彼を見る。ミツ子の目が、かっと見開き、ぎらんと光る。マスターさっちゃんは再びドン引きする。
そして、ミツ子は口を開いた。
「彼を見て気絶しやがったやつを連行して引きずって、ドファーレまでいって頭を無理矢理地面に押し付けて土下座してしめて許してもらってえ、締め切りのばしてもらってぇ、同情されてぇ、その足でランデニーフェの酒神の庭にいってえ、酒神様に土下座して万歳三唱してぇ、ひとまずお尻ペンペン三京回で許してもらってえ、その足でミラーシドまでいってジャフのおっちゃんに頭下げて頭下げて、アホの身柄引き渡して地獄直行便の権利交渉して許しもらってぇ締め切りのばしてぇ、神々の円卓会議にあいつ連れていってぶちこんでぇ、それからうちの上司のコネで、世界の時間神に頼んで、時間が流れない特殊な牢獄開けてもらってぇ、そこでやつが貯めた仕事ぉおを、おお! やっつけちゃーて! さっき終わったのよおお!」
と、一気にマシンガントークを一口で語った。さらに明後日から「お礼参りならぬ謝り参りよおお!」と叫んで「生まだー!」と叫ぶ。
そんな暴れるミツ子の肩に、ポンと手を置いた強者が一人。「ようやく来たよ」とスマホを持った客。彼らはいそいそと机の下に隠れ、メニュー表で急ごしらえのバリケードを作った。それを見たマスターさっちゃんもカウンターの下に避難した。
「御手洗河原ミツ子さん?」
彼が口を開けば、途端に店内にブリザードが吹き荒れた。比喩ではなく、本当に吹雪いている。店内は一気に室温がさがり、うっすらとだが積雪しはじめている。
「ゆ、ゆ、雪哉くん………」
ミツ子はゆっくりと振り返って――見た。見てしまった。
「個“神”情報を、流さないために庁舎内に作られた居酒屋で漏らしていたからいいものの」
真っ黒なさらさらな髪を女のようにゆるく結い上げ、わざと着崩し、片腕を袖から抜いて襟から出し、半纏を肩にかけただけの“調査班のカブキ者”と呼ばれる、雪神の眷属、雪哉。
「僕を見たらみんな恐れていろんな意味で漏らすし、卒倒する。僕は怖いらしいよ? ほら、美しい顔って、怒るとさらに“美しく”なるよね、相手をびびらせるくらい」
ミツ子は“本当に”美しい顔は何しても美しさを損なわないと、身をもって体感してしまった。
室長も、確かに美形だった。しかし雪哉の美貌の前ではスッポンだった。どうしても届かない高みの月が雪哉で、スッポンが室長。なら平々凡々なミツ子はあれか、枠外か論外か。
神々に愛された、中性的な美貌。整いすぎて、半分人間の血が入っているなんて信じられない、その麗容。
「ミツ子、おいたされてほしいの?」
ひゅおお、と吹雪く音とともに、固まったミツ子は雪哉に抱かれ退店した。
◇◆◆◆◇
御手洗河原ミツ子、ジャポンのある会社の事務職であったが、ある日トラックにはねられ昇天、しかし天界のとある庁舎とある部署に、生前の優秀さをかわれヘッドハンティングされていつのまにか一世紀。
勝手にクビという突然の解雇はなし、必ず週休二日、残業しても手当てはきちんと、等と福利厚生を盾に配属された先は“神話作成・整理室”。
業務内容は既に作られた神話の整理、そして神話をつくること。各界の一癖二癖三癖四癖五癖もある神々と対面し、交渉し、時には(口で)戦い、時には酒を飲み交わし、ミツ子は難しい顧客の心を掴んでいった。
定年を迎えた孫大好きな紳士な雪男の好好爺室長と、二人三脚の仕事は楽しかった。
なんだかんだでもうすぐで百年目という手前、ついに定年退職した室長の後釜が、親の七光りな顔面だけのキザ野郎でアホで。
仕事はさぼるわ資金に手をつけるわ部下に罪をなすりつけるわ遅刻無断欠勤無断早退は当たり前。
結果、庁舎内の監査室課の調査班――仕事してますかと見回り取り締まる――にミツ子は泣きつき、ようやくアホはお縄に。しかし代償は大きかった。
各界の神たちに謝り参りもそのひとつ、だが。
「ミツ子」
「何ですか女たらし」
雪哉に回収され、酔いも一気にさめたミツ子。
現在、庁舎内の空き部屋で壁ドン。
後ろは壁、左右は雪哉の腕、前は雪哉の美顔。ミツ子は彼の囲いの中。
「女たらし? でもミツ子はたらされてくれない」
「顔がよくても中身が強引なら、たらされません」
ミツ子はそのまま壁にすぅー……と消えていく。文字通り、消えていく。
「わたしにはツクモ神ちゃんてゆー最強のお友達神がいますからー!」
捨て台詞を吐きながら、ミツ子は退場した。
ミツ子は百年の間にツクモ神とお友達になった。そのお友達に助けてもらい、いつも会えば迫る雪哉から今日も逃亡する。
「だから君は面白い」
雪哉にさらに「欲しい」といわしめて、時刻は今日は終わり明日へとなっていく。
ミツ子の一日が、また始まる。




