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わが心かくもかなし

「さて、まずそなたの学校の話じゃが、すでに転校手続きが取ってある」

「……そうですか」

 覚悟はしていたものの、その言葉を聞くのは辛かった。

 オレが通っていたのは、幼等部から大学部への一貫校だ。

 同級生の中には、両親よりも長い時間を過ごしたヤツもいる。

 けれど、祖母の言葉はオレの予想を超えていた。

「案ずるでない。転校といっても手続き上の話じゃ。そなた、院内学級のことは知っておるかえ」

「……入院している子供たちが、勉強をしているところかと」

「そうじゃ。そなたはそこへ転校したことになっておる」

 その言葉に唖然としたオレは、後ろの瞳子とうこさんへと振り向いた。

 すると、瞳子さんは瞳子さんでにっこりしている。自分に追求するなということだろう。

 オレはのろのろと祖母へ視線を戻すと、祖母へ尋ね返すことにした。

「あの、僕、どこも悪くないんですけど……」

「仕方あるまい。それが一番手っ取り早かったのじゃ」

「手っ取り早いって」

 そんな理由で転校させられては、祖母といえどもたまったものではない。

「では聞くが、そなた、この一族のことをどこまで知っておるのかえ?」

「どこまで、と申しますと?」

「わかる範囲で良い。何にたずさわり、どんなものを経営しておるか--そういった話じゃ」

 その言葉に、僕は記憶を探り出した。祖母の一族が関わるもの。一族の名を冠し、子供だったオレでも知っているような存在。それでようやく結びついた。

「学校と、病院……ですか」

「そうじゃ。一族には理由があっての、学校と病院、両方を運営しておる。そなたはその病院へ入院し、正式な手続きを取った上で、一族が運営する学校の分校にあたる院内学級へ入ったことになっておるのじゃ」

「……理由については」

「それを知るにはまだ早かろう。一族にとって最も慣れておるゆえ、手っ取り早いと申したのじゃ。その意味がわかるまでは、下手に首をつっこむでないぞ」

「わかりました」

 何だか一気にきな臭くなってきたが……思えば母方の祖父も、電話をしながら別人のような顔をしていた時があった。

 結局、ただ漫然と受け取れるものなど、どこにもないということだろう。

 母方の祖父は母方の家のため、父方の祖母は父方と自分の実家のため、必要とあらば裏の顔を作ることもある。

 では、オレは?

 おそらく多分に父方の実家から受け継いだものが混じっているのであろう、父親の遺産を継ぐオレは、いつ、何のために裏の顔を作るというのか。

 そんなことを考えかけて--打ち消した。

 今考えるには遠すぎる話だ。いくらだって後で考えればいい。

「つまり……僕の復学する先は、元の学園ということですね?」

「うむ」

 重々しく祖母はうなずき、少しだけ目を遠のかせた。オレの後ろに誰かの面影を見るように。

「そなたの父が通っていた学園じゃ。……ひいては、そなたの祖父、曽祖父と、そなたの一族の男子がみな通ってきた学園でもある。他へなど、行かせるわけがなかろう」

 その言葉に、オレは恥じ入るしかなかった。

 思えば、あの母親ですら、初等部へ上がらせることをためらわなかったのだ。

 こんな遠慮をするべきではなかったのだろう。

「しかし、みなが全て大学部を卒業したかというと話は別じゃ。外部進学を選んだ者もおれば、転入していった者もおる」

 人それぞれじゃ。

 そう言った祖母の言葉は、オレの何かを打つものがあった。

 きっと、オレの自由を認めてくれていたのだと思う。進学する自由も、しない可能性も、全て含めて。

 あらためてオレは祖母へ頭を下げ、礼を言った。

「ありがとうございます……お祖母さま」


 それから先は、淡々と進んだ。

 祖母的には、と付け加えるべきだが。

 実はオレの後見人として瞳子とうこさんの夫がつくことになっていたこと、しかし実質的には瞳子さんが今までどおり、オレの面倒をみてくれること。

 初等部までは今の別邸にいるが、中等部からは瞳子さんの家へ世話になること、それはオレに「家庭」という経験を積ませるためであって、追い出す気など毛頭ないこと。

 気が変わって母方の祖父母の家へ行きたくなればいつでも言えばいいし、瞳子さんの家が合わなかった時も、それは変わらないのだと。

「そなたの家は三つある。母方の祖父母の家、一族のこの屋敷、そしてそなたの父が残した海外の不動産。中等部を出るまではここか、母方の家かに限りはするが、それから先は好きにするが良い」

 国内におろうと、海外へ出ようと、好きにすれば良いのじゃ。

 こう締められて--オレの祖母との初対面は終わっていた。


 気がつくと、オレは自分に与えられていた別邸で、ぼんやりと外を眺めていた。

 ガラス戸越しに雨だれが響く、静かな自分の部屋の中で。

 特有の湿気と、薄暗い室内が、ぼんやりと母親の姿を思い出させる。

 こんな時だ。母親が、独身時代に好きだったというフランスの詩を口ずさんでいたのは。

「--げにこよなくも堪えがたし、恋もなく恨みもなきに」

 わが心かくもかなし。

 そう終わるこの詩を、母親は、どんな気持ちで暗誦したのか。

 祖母との対面を終え、色々なことがありすぎたオレは、思いっきりうちひしがれていた。

 けれど、自分の全てでぶつかった。何よりも欲していたものを、掴み取ることだってできた。

 思い描いていた姿とは、まるきり予想もつかなかったけれど。

 無様でみっともない姿もさらしてきたけれど。

 この日オレが掴んだものは、自分にとって、最上のものだと今でも思っている。

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