ゆえしれぬかなしみぞ
それから先は……まあ、峠を越せたのだと思う。
流れるようにとはいかないまでも、普通に話せていたと思う。
母方の家のこと。祖父母のこと。親戚連中のこと。
大まかな輪郭から、肉付けに入っていく。
親戚連中はともかく、母方の祖父母をオレは嫌っていないこと。
無関心を貫きながら、時に苦しそうな表情を浮かべていたこと。
初等部から習うよう母親に言われた剣道は、実は祖父の指示によるものだったこと。
母親が承諾し、オレに言ったのは、父親も剣道を習っていたからだったこと。
それを教えてくれた母親が、まるで少女のように見えたこと。
一つ一つを丁寧に、噛み締めながら話していた。
いつか…………いつか、母方の家の人間以外に血縁者が現れたら。
こんな風に話してみたい、そう描いていた秘かな夢想を、オレは現実にしていた。
相槌を打つ父方の祖母が、話を途中で止めさせることも。
身内以外には話せない、他愛のない、けれどとても大切な話を、オレは打ち明けることができた。
あまつさえ、
「……そうか」
とあの祖母がうなずいて見せたのだ。
だからもう、オレが含むことは何もなかった。
「僕は……」
そう言いかけて息を飲む。全く緊張しないわけじゃない。
けれど不安に萎縮することもない。
オレは再び口を開き、自分の意思を訴えた。
「僕はもう、あの家に戻るつもりはありません」
母方の家が頭をよぎる。
屋敷の景色に与えられた部屋、何より母親の姿で後ろ髪を引かれたけれど。
「叶うなら、こちらでお世話になりたいと思います。できれば、義務教育が終わるまで」
「ほう」
そして、祖母の声の裏にある、成人までではないのか、という問いに、オレは同じ言葉を繰り返した。
「義務教育までで構いません。……海外に、父が残してくれた不動産があります」
そう、確かに父親が残した遺産はあった。
一般的に見れば少なくない金額の預金と有価証券。そして海外の不動産。
けれど預金も有価証券も、母親が実家に預け、不動産は現地の管理会社に任せていた。
不動産からの収入や、会社への管理料も、母方の実家が処理していたのだろう。
理由は自分のことを、自分が一番わかっていたから……というので察していただこう。
母は強しと俗に言うが、全ての母親が強くなれるわけではない。
大体オレ自身、父親の遺産に思い当たったのは、母親の死後である。それもだいぶ経ってから。
どうこう言える筋合いはない。
そして、使うのはオレ自身だ。
父親が残し、母親の手を経て、母方の祖父母が預かっていてくれるものだ。
売るのか貸すのか自分が住むのか、全く決めていないけれど……他の遺産と共に、有効に使わせてもらおうと思う。
「義務教育が終わる辺りなら、一人で暮らせるようになっていると思いますし、そう認めていただけるよう、努力を怠ることはしません。学園だけは幼等部から通っていますから、あまり変わりたくないのですが……」
公立に変わっても構いません。
そう続けかけたオレの言葉は、祖母の視線にかき消えた。
体中の肌があわだつ。蛇ににらまれた蛙とはこのことか。
「瞳子」
気が付くと、祖母が使用人をにらんでいた。
オレも使用人へと振り返る。すると、使用人は笑っていた。
今までずっと隠していた、芯の強さを現して。
「如何なるつもりじゃ。許す。申してみよ」
祖母の声には示威があった。鞭のように叩きつけてくる、背筋を凍らす声だった。
しかし使用人も…………いや、瞳子さんも退きはしなかった。
「では恐れながら申し上げます。御当主におかれましては、若君のこと、一切任せていただきました」
この、わたくしにでございます。
そう言い切る姿は、いや、この姿こそ、瞳子さんの本当の姿なのだろう。
「わたくしは、あなた様を盲信したりなどいたしません。だからこそ、今回、あなた様に信任いただいた。そう解釈いたしましたが、違いましょうや」
「いや?」
まるで猫のように喉を鳴らしながら、祖母は表情を和らげた。
それだけ瞳子さんのことを信頼し、買っているのだろう。
この場において、完全な部外者はオレだった。
話題は他ならぬオレ自身のことだというのに。
けれど今のオレは、卑屈になるほど暇になれなかった。
火花が飛び散るような応酬。その全てを一瞬も逃すことなく、盗み取ってやる。
その決意の元、スポーツの審判のように、二人へ全神経を集中させていたのだから。
ほどなく話は落ち着いて、オレはもう少し続いていても良かったのにと思うのだけれど、それはそれとしておこう。
この対面の目的としていた父親の死の真相だけでなく、オレの扱いについても祖母の口から直接聞くことができたのだから。
……勝利の笑みを浮かべた瞳子さんを、初めて本気で恐ろしいと思いはしても。