巷(ちまた)に雨の降るごとく
旧12話
ガラス戸を叩く雨音が、日に日に強さを増していた。
しのつく雨季が訪れる。天気予報が先触れを出すまであと何日か。
そんな散文的なことを考えていたせいか、頭の中とは対照的に、印象派の詩が口をついて飛び出した。
「巷に雨の降るごとく……か」
「……ヴェルレーヌでございますね」
「そう」
亡き母親を持ち出して、よく口ずさんでいたんだ、などと続ける姿は、傍からすれば、何浸ってるんだ、としか言いようがない。
しかし現実に何ともいえない気分なのだから仕方がない。
祖母との対面を終えたオレは、思いっきりうちひしがれていた。
祖母の前へ出ることは、予想以上に大変だった。
まず立ち居振る舞いを直された。
「違います、坊ちゃま!」
「坊ちゃま、もう一度!!」
些細なミスでも矢のような叱責が降りかかる。
もう、どこの国賓と会うんだよ!? というつっこみすら浮かばないまでに、厳しく、容赦なく、徹底的。
ここ最近の疲労といったら、幽鬼のような顔をしていただろう。
それでも、オレって一応病み上がりだよね!? などと無様に拒否をしないでいられたのは、抜け殻状態だった母親が、たまに正気を取り戻した時、行儀作法を教えていったからだろう。
弱音を吐けば両親まで叩かれる。
同時に母方の実家で培われた脅迫観念までが堂々の復活を果たし、オレへのスパルタ教育成功に大いに貢献した。
お陰様で最終日には指導役をはたした鬼教官ならぬ使用人から、
「大変立派でございました。これでもう、どこへお出になられても、下に置かれることなどございますまい」
という、及第点どころか涙混じりの太鼓判までいただいてしまった。
並行して習っていた華道の師範や和歌の指導役からも、
「良くついてこられました。これならご当主と話をなさっても、まず困りませんでしょう」
と、なかなかの好評を得た。
目上とされる、あるいは目上とされたがる人間から下手に目をつけられないよう、処世術には長けているつもりだった。
思えばこの別宅に移された頃のオレは、追い詰められた獣のようなものだったのだろう。
だからこそ、母親の思い出を彷彿とさせる礼儀作法や教養の時間を大切に、身を入れてきた。
結婚式を除くと今では茶会でしか見かけないような家紋入りの着物や正絹の袴を出された時も、
「……そういえば、剣道の先生が高学年になったら正月の茶会に招いてやろうとおっしゃっていました」
「それは良うございましたね」
母方の実家で習わされていた剣道の先生からの言葉を思い出し、同時に、稽古の着替えで慣れているから、と着付けようとする使用人を断って世間話を交わしながら、紐を締める余裕さえあった。
浮かれていたと思う。
父親の家とも母方の実家とも違う生活に、ストレスも溜まっていたのではないか。
無意識の内に辛い記憶と甘い思い出を揺り返したオレは、異様なほど浮かれていた。
だからこそ、指定された座敷で対面した祖母の姿に衝撃を受けたのだ。
影で将軍とまであだなされる祖母が、数日間の付け焼刃でどうこうなるはずもないものを。
衣擦れの音すらほとんど立てない祖母の姿に、冷めたまなざしに、熱のない言葉に。
一々オレは打ちのめされていた。
(推敲の結果、11話と12話を元に戻しました。たびたび申し訳ありません)