月日は緩(ゆる)いようで確実に過ぎる
砂地に水がしみ込むように、日が経つにつれ実感した。
当時のオレが置かれた立場のことを。
あるいはゆっくりとわかっていけばいいと、思い切り甘やかされていたあの頃こそが、オレにとって本当の子供時代だったのだろう。
まず第一に、オレは学校を休学していた。
これは当時のオレといえども忌引きの範囲を超えていることはわかっていたため、学年トップ(休む前)の身としては気になっていたのだが。
「大丈夫ですよ。きちんと学校へはお伝えしてありますから」
それはこの使用人による、ね、という笑顔と相槌の元、あっさりと一蹴された。
…………心なしか今ので、まあ優等生なのね、などと微笑ましく思われてしまった気がする。気のせいだろうか。
いや、気にすまい。どれだけ視線が生あたたく、不必要なまでに笑みを深められようと、気にしないといったら気にしないのだ。
大体、今のオレが普通に登校できるのか。
いや。……二度目とはいえ、あるいはだからこそ、なのか母親まで亡くしたことは予想以上にこたえていた。
正確には、母親の葬儀に出られなかったことだったが。
別に葬式が好きなわけじゃない。
オレに無関心な母方の祖父母のもとへ戻りたいわけでも、あの親戚連中に再会したいわけでも無論ない。
ただ、どうしても父親の時のように葬儀へは出たいと思っていた。それが一つの区切りなのではないかと。
けれどオレは出られなかった。
もしくは葬儀への出席を許されないことで、オレは本当に家族と認められていなかったという事実を受け入れがたかったのか。
あるいはその全てなのか----。
そんな結論に至りたくなかったから、いい子ねえ、偉いのねえ、と言いたげに微笑む使用人へも、勘違いだ!! と突っ込めないのかもしれなかった。
月日というものは、緩いようで確実に過ぎる。
すっかり失っていた食欲も戻り、いい加減勉強をしなければ授業で取り残されてしまうという現実的な危機感をも抱けるようになった頃、うさぎの形にリンゴを剥きながら、使用人が告げてきた。
「……もう学校へ戻られても大丈夫そうですね」
「ええ」
そう頷き返したあの時のオレは、取り寄せてもらった家庭用の学習教材で自習でもしていたのだろうか。それとも教科書やノートでも眺め、学校生活に思いを馳せたりしていたのだろうか。
細かいことは覚えていないが、そうだ、リンゴの入れられたあのガラスの器は覚えている。
「その前に、お祖母さまへきちんとお会いしましょうね」
なのに前振りもなく出し抜けに言い出されてしまったものだから、オレは無様にもリンゴの器を取り落としてしまい、使用人と二人、あわてふためくはめになってしまった。
「ああっ、大変!」
「だ、台ふきん! いえ、この場合、ティッシュでもいいのですか!?」
そんな風に騒げるようにもなれた。いや、騒げる状態に気づけた大元といえなくもないのだから、忘れるはずがないのだろう。
思えばあの器には花の模様が付けられてたが、あの花は春を告げる草だったのだろうか。
初名草、匂草などと呼ばれる、祖母を象徴する梅の花だったのだろうか。
今の部屋に引っ越して以降、新聞紙に包んだまま、あの器は食器棚で眠っている。