オレには身に染みてわかっていた
その後何があったのか、オレにも一切わからない。
ただ、いつの間にか意識を失っていたオレが気がついた時にはもう、母親と暮らしていたあの暗く狭い部屋から、明るく日の当たる広い座敷へ移されていた。
オレが寝かされていた布団も、オレ専用だった煎餅布団の鑑といえたような代物から、お坊ちゃん暮らしだった頃でも想像がつかないような高級品にかわっていた。
着る物も普段着から寝巻きに変えられる……だけならともかく、いつも着ていたパジャマとは違い、やはり旅館で出されるような手ざわりのいい浴衣へと変えられていた。
何より枕元には盆に載せられた水差しと、病人介護用の水のみという気がききすぎる品まであった。
いかに天地がひっくり返ろうと、厄介者であるこのオレに、あの家の使用人が置くわけがない。
あの劣悪な環境に比べれば、ここは天国のような場所といえたが……そう観察する反面、オレ自身は何の興味もわかなかった。
じっと見据えていた天井の木目をよく覚えている。
オレはまた放り出されたのだ。
その実感だけが、当時のオレに理解できる全てだった。
暗くても狭くても、あの部屋は母親と生きたオレたちの部屋だったのに。
どれだけ蔑まれ、嘲られても、部屋に戻れば母親がいてくれた。
だからこそあの日々を耐えることが出来たのにと思い知りながら、オレは再び意識を手放していった。
もう何が変わろうと、オレの知ったことではなかった。
しかし世の中というものは実に甘くなく、後から聞いた話によると、親戚連中は母親の死亡により本格的にお荷物と化したオレを、使用人へ養子として押し付けるよう祖父母へ進言する気だったという。
そして血縁関係から事実上締め出しつつも、常に目が届くところへ置いておくことで、オレがあいつらの考える「妙な真似」をしでかさないよう、飼い殺す予定だったという。--生涯。
まあ、これにはさすがのオレも正直に言ってふざけんなとか、人を何だと思ってんだとか、そもそも何故オレがそんな真似をすると思われにゃならんのだとか、言いたいことは盛りだくさんだ。
火山が噴火したような気炎を延々と吐いていたのではないかとさえ思う。
けれどもこの動きが父方の実家へも伝わり、結果祖母が動いたのだから--人生とは本当にわからない。
そう、父方の実家だ。
再び目を覚ましたオレは、着物に身を包んだにこやかな使用人へこまごまと世話を焼かれながら、現状を説明されていた。
オレは父方の祖母の所有する屋敷の別宅を与えられたこと。母方の祖父母の家には父方の祖母が自ら動き、オレを引き取ってきたこと。
だからもう何も心配する必要がないのだということを、子供向けにわかりやすく、かつ丁寧に教えてくれた。
しかし呆然と聞いているオレが、それどころじゃないことまでは気がつかなかったらしい。
父方の実家といえば、身内でありながらオレの父親を失脚させて自殺に追い込み、自動的にオレの母親までも自殺に追いやった元凶ではないか。
大体、母親が自分の実家に帰る際、いくらオレを手放せる状況ではなかったといえ、何の手出しもしなかったじゃないか。
それどころか間違いなくオレがその後、母方の実家で親戚全員にいびられていたことも黙殺していたはずだ。
その父方の実家に、オレは居るという。
しかも、祖父の没後は尼僧のように閉じこもり、初孫であるにも関わらず父親が生きていた頃でだえろくに会ったことのなかった祖母が、直接動いてきたという。
一体何故か?
この答えに、ようやく初孫への愛情に目覚めたからでは、などと言ってくるような輩は……本当に、死んで欲しいと思う。
当時まだ七歳だったオレの言えることじゃないかもしれない。
だがそれでもあえて言わせていただこう。
父親が死んでからの二年間、オレは十分に学び取った。
世の中も人生も、決して甘くはないのだと。
仮に誰かがそう見えたとしても、実際には本人の影の努力があるか、もしくは誰かがその人間の影となって、やはり見えないところで支えていることが、オレにはもう、身に染みてわかっていた。
だからこそ激甘すぎる使用人がかけてくる言葉に馬鹿みたいにうなずきながら、オレは頭を働かせていた。
必ずくるであろう、祖母との対面。その時オレは何をして、どうしたいのか。どうするべきかを、必死に考えていた。