「次期当主の名の元に」
消え去った孫(予定)を見送ると、真砂は着替えを始めた。
禊用の白装束から、寝巻きではなく、巫女の装束へと改める。
まだもう一仕事残っていることを、真砂はよく知っていた。
月明かりの中、庭に立つ。
闇を払う白い小袖に、闇を纏う緋色の袴は、人間というものをよく表しているのではないかと真砂は思った。
異様であるゆえに恐ろしく、異様であるために惹かれてしまう。
己の持った霊力に怯えることなく、驕ることもなく、心を平静に保ちながら星空を見上げ、口を開いた。
「時は満ちた」
霊力を込めた言葉に真砂は震えた。いかに自分の口から発しようと、音に表した瞬間からそれは言葉となって自分から離れていく。
普段発する言葉ですらそうなのだから、霊力を込めた言葉はさらなる責任を伴う。
現に闇に包まれまどろんでいた周囲の空気は一気に張り詰めたものへと変わっていた。
けれども真砂は、今、この瞬間に話さなければならないことを十分よく知っていた。
真砂自身としても、巫女としても。
だから身の内からくる震えを押さえ、さらに言葉を重ねた。
「誓いの言葉を。当主として全てを捧げよう。髪一筋、血の一滴、肉の一片まで捧げよう。当主として生き、当主として最期を迎えよう」
そうまで言い切った真砂の将来が磐石であるといえば否だ。
一族の跡継ぎである総領姫として生まれながら、未だ地位は「次期」のまま。
当主であるべき器だと誰もが目しながら、当主には就けようとしない。
時間だけを先延ばし、うやむやのまま就いた当主。
そのような評価を定着させ、当主の権威を貶めようという輩が一族の間を飛び交っている。
それらを蹴散らし、祖父という箍を失う前に何としても真砂はお飾りではないことを証明しなくてはならなかった。
まだある。真砂自身として請け負った、未来の孫息子(予定)が過去へを遡ってまで変えようとした未来を、その願いを叶えなければならない。
また同時に蠢動する自分の側近と侍女を、相手に悟られることなく動かして、自分の描く図の位置に治めさせなくてはならない。
さらにいえば既に傾き始めている一族の先行きを少しでも長く伸ばさなければならないし、その上で自分自身の人生も歩まなくてはならない。
「……山積みじゃのう」
しかし苦笑する真砂の表情は柔らかかった。
床の間の花が、掛け軸が差し示す。自分に仕える人間が居るのだ。
口先だけでなく、自分を思いやり、側に居てくれる。
常に人に囲まれながら、その実一人で抗い続けた真砂にとって、これは大きな力となった。
山積みする難題も、一つ一つといていこうと思えるほどに。
「さて、とはいえどこまで出来るかはわからぬのじゃが……」
可能な限りやりとげよう、と真砂は最初に自分自身へ誓った。
生まれてきたことで母親の運命を狂わせた。父親や兄たちが築いてきた家庭も粉々になった。
年下の弟や、まだ生まれてもいない孫(予定)の存在に支えられている弱くてふがいない自分自身。それでも。
「約束しよう。断じて違えぬ。己の人生を捨てることも投げることもせず、まっとうすることもここに誓う」
最期まで。その決意を表す真砂に張り詰めた空気が凪いでいった。
木々が揺れる。夜風が騒ぐ。あるべき姿へ戻ったのだ。
真砂は引き締めていた口元を緩めると、当主に与えられる「願い」を告げた。
「その代償として、どうかあの者の願いを叶えてやってほしい」
巫女としての一生分と真砂自身の生涯全てを捧げた「願い」。
一族の誰が同じように身を捧げようと、当主以外には叶えられない。
その「願い」をあの孫(予定)に使うというのか。
堅苦しいあの男の危惧は現実と化した。世間で言うところのどの面を下げて会えよう、という状態だ。
けれど当の真砂に迷いはなかった。
孫(予定)はいささか口うるさいが、いや、最近ではいささかどころではなくなってきたが。というかあの口うるささは何としても直さねばならないが。何より絶対に自分の遺伝ではないが、と真砂は言い訳を重ねつつも誓いを続け、
「これをもって当主の誓約としていただきたい。一族最後の巫女として、土地を守ろう。あるべき姿へと治めよう」
再び星空を仰いで微笑みかけた。
「次期当主、砂姫の名の元に」
本来付けられるたはずだった名前を告げて。