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今乾かす

 足袋を脱ぎ、白装束(しろしょうぞく)に改めて縁側に出た。

 沓脱石くつぬぎいしで履いた草履の他には何もない。

 大地を踏みしめ、風を身に受け、自然の力を取り入れる。

 今持つものは自分だけ。

 その自分すらも地上に投げ捨て、池へと沈み、地下の水脈をたどって滝に出ようとしたのだが……。


 ……繋がらない。

 池の底で瞼を閉じながら、真砂は顔をしかめていた。

 いつもならすぐに意識を溶け合わせ、水と一体となって水脈を探し滝へたどり着くところだが、水と溶け合うどころかいつまでたっても真砂は真砂のままだった。

 普通なら息が続かずに水面へ浮かび出るだろう。

 しかしこの池は、この土地は一族が長年生きてきた場所。

 庭も池も真砂を受け入れているため、水の中でも息が苦しくなることなどありはしないのだが、さりとて池から先へも進めない。

 はてどうしたものか、と戸惑いながら池の中で沈み続けたのがまずかったのだろう、

「……い…………ちゃ……」

という自分を呼ぶかすかな声に反応し、池から浮き上がる頃には空に月が浮かんでいた。

 昼の空に浮かぶ薄白い月ではない。明るく夜空を照らし出す黄金の月だ。

 気がつけば辺りはすっかり静まりかえって、夜のとばりがおりていた。

「何と」

 思わずまばたきを繰り返し、驚く声を口に出した。……はずだったのだが、体の方も弱っていたのだろう、出したはずの声はろくに音になっていなかった。

「祖母ちゃん?」

 池の淵からかがみ込む「お客さん」こと孫息子(予定)がいぶかしげに真砂を見ている。

 このまま調子が悪いことに気づかれたら最後、絶対に自分の遺伝ではない悪夢の説教コースに突入されてひたすら怒られるのは目に見えていたため、とりあえず真砂は場をもたせるべく、心に浮かんだ言葉を出した。

「……月」

「おう」

 そうだな、と律儀に入った合いの手に、声が出せた真砂は先を続けた。

「……月は有明」

「……そうだな。東の山ぎはにほそくて出るほどいとあはれなり、だ」

 真砂の口から出たのは枕草子の一節だった。それをなぜかと尋ねられると非常に困るのだが、こうした真砂の対応にも慣れてきたらしい孫息子(予定)は特に突っ込むこともなく続きを返しながら手を差し伸べて真砂を池から引っ張り上げた。

「よ、っと」

 引き上げられた真砂の姿はずぶ塗れそのもの。髪からも服からも水がしたたり落ち、池の藻の臭気が空気を濁した。

 その様子にあちゃあ、とでも言いたげな表情を浮かべると、孫息子(予定)は

「何か拭くモンは。それとも自分で出す? オレ持ってくっけど」

などと珍しく気遣いをしてみせたが、真砂の反応は簡素なもので、今乾かす、と言うなり繋いだままだった孫息子(予定)の手を離し、目を閉じて瞑想に入った。

 精神を集中し、全ての情報を遮断する。頭で念じるのは元の姿。

 池に入る前の自分の姿。それは髪も肌も濡れていない、乾いた服の自分の姿。その姿を合成写真を作るかのように今の自分と重ねあわせる。

 するとまさしく真砂の姿は一変し、頭に描いた通りの姿へ変わり、孫息子(予定)の拍手を誘ったのだった。

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