おかあさんが、こわいことをさけんで、おなかをずっとたたいてた
幼い子供に聞くと、母親の胎内にいた頃の記憶を話すことがあるという。
真砂の場合も答えたそうだ。
おかあさんが、こわいことをさけんで、おなかをずっとたたいてた、と。
実際、真砂の妊娠中、真砂の母親はよく自分の腹部を叩いていた。
狂ったように絶叫しながら、何度も、何度も。
周囲の人間が止めに入ると、自分の子を守って何が悪い、と顔色を変えて食ってかかったという。
これがいるから自分の子供が授からなかったのだ、これを腹から追い出さなければ正しい子供が宿せないのだ、と。
母親のこの言動を周囲は妊娠によるノイローゼと判断していたが、当の真砂にとっては真実だった。
母親にとって自分の子供とは真砂の兄をさすのであって真砂はそこに入らないこと、早く真砂を追い出せばそれだけ次の子供を宿し産むことができ、元の人生……真砂を妊娠する前の人生に、少なくとも真砂の母親にとっては戻ることができるのだと。
だから決して妊娠中の母親の行動はノイローゼでも何でもなく、……たとえ誰がどのような判断を下そうとも、真砂の母親と真砂にとってそれが真実だった。
だから真砂は母親を愛した。
自分の出産によって歪んでしまった母親を。
そしてまだ若い頃に真砂の母方の祖父から援助を受けた政略結婚であるがため、歪んだ真砂の母親と別れるわけにはいかず、結果妻同様真砂の兄と真砂の後に産まれた弟のみを自分の子と認め、真砂には目を瞑り背を向け続ける父親も。
すでに父親に支配され、逆らうおうとは思いもせず、けれど良心の呵責に悩みながら父親と同じ道を選び真砂から目をそむけ続ける兄も。
……ただ一人、家族の中で当たり前のように真砂の声を聞き、真砂の側へ寄り添おうとしてくれる弟も。
真砂は確かに母親を愛し、同じように母親の愛する父親も、兄も、弟も、愛していた。
……あるいは愛する真砂の方が壊れているのかもしれないけれど。
真砂は確かに……愛していた。