「あまのはら……」
ここは中国唐代の明州でもなければ送別の宴席でもない。
現代日本の、大きくも小さくもないありふれた県の外れにある、繁華街からも離れた閑静な侘び住まいだ。
けれどあまりにも見事な月を前に、興が向いた真砂は手元の扇を広げ、部屋の隅に置いた屏風へ向けて詠んでみせた。
「天の原……」
ふりさけ見れば春日なる、と上の句を告げると扇子が向けられた先の屏風の余白に下の句が浮かびあがった。
三笠の山に出でし月かも、と。
「正解じゃ」
そう応えた屏風に苦笑を滲ませると真砂は扇で顔を隠し、ゆっくりと瞼を閉じて思いを馳せた。
月が美しい夜は、二つに一つしかないと思う。
忘れられない相手を想うか、離れられない相手と過ごすか。
そんな戯れを仕掛けながら、幸福そうにまだ目立たない自分の腹部を撫でた女性がいた。
夫は誠実、生活は安定。出産も二度目となれば何を案じよう?
彼女は自分の幸福を疑いもしなかった。
幸福とは彼女にとって堅固な城のごとく築き上げられたもの。よもやそれが砂のように脆く崩れ去る時が来ようなどとは思いもせずに、彼女は喜ぶ夫と周囲の姿を夢想していた。
……結果、その診断を産婦人科の医師ではなく、産婦人科医の資格を持った一族の巫女に、よりにもよって自分が人生において最も忌み嫌っていた巫女に告げられ、しかも宿った子供がまさにその巫女として生まれることを知った彼女は狂乱のまま、あれほど待ち望んでいた自分の子供がいる腹を叩き続け、打たれた鎮静剤によって眠りというつかの間の安らぎに包まれるまでは…………一度として、疑うことはなかった。