「おーい、釣るぞー」
庭からかすかな水音がするので確認をしに行ってみると、池の底に祖母が沈んでいました。
あなたはどうしますか?
……という状況へ今まさに置かれてしまった孫(予定)は取りあえずしゃがみこみ、祖母の顔が映る水面に話しかけた。
「おーい、釣るぞー」
釣り竿も釣り糸も釣り針も無い状態でナニ言ってんだ、と自分自身へつっこみながらも最初に浮かんだのはこの言葉だったから仕方がない。
「おーい。祖母ちゃーん」
鯉や金魚でも育てていたら反応ちげーのかねー、などと頬杖をつきながら淵で適当に呼んでいると、声に反応したのか、閉じていた瞼を開けて真砂が底から浮かんできた。
が。
水面から顔を出しとろりとした目つきで天を仰ぎながらまばたきを繰り返した挙げ句発した第一声がこの通り。
「……月」
「おう」
さては昼間から沈んでいたな、一体どれだけ沈んでいたんだと呆れかえった孫息子(予定)は、
「……月は有明」
「……そうだな。東の山ぎはにほそくて出るほどいとあはれなり、だ」
まあ有明……夜明けにゃ早すぎるからな、取りあえず上がろーぜ、となぜか枕草子の一節で応酬を交わしながら手を差し伸べて、真砂を池から引っ張り上げた。
「何か拭くモンは。それとも自分で出す? オレ持ってくっけど」
「構わぬ」
今乾かす。
そう宣言するなり繋いだままだった孫息子(予定)の手を離すと、文字通り塗れ鼠であった真砂の姿は一気に乾いた状態へと様変わりした。
「……お見事」
歌舞伎役者もかなわぬであろう鮮やかな早替わりに思わず拍手のまねをする孫息子(予定)だったが、そもそも孫息子(予定)は池の底から真砂を呼び出すために来たわけではなく。
付いて参れ。
同じくそれを知る真砂は目線で孫息子(予定)に促すと手早く足の裏に着いた砂を払い、またも術で呼び出した草履を履いて自室へ戻り始めた。
「池で何してたんだ?」
「うむ。滝に打たれようかと思うてのう……」
池へ入り、水を媒体にしてどこかの滝に空間を繋げ、その先の滝で打たれようとしたのだが。
「どうにも雑念が多かったようじゃ」
「繋がらなかったのか」
童女のようにこくりとうなずいた真砂は
「滝の方からはじかれたようにも思う。……このような事態は久しぶりじゃ」
と素直にこぼし、縁側へ腰掛けて沓脱石の上で草履を脱いだ。