商売のことしか頭にない下賤な血の女はいらない
とある春の日。
王都にある、グローク子爵家の邸宅。
調度品がほとんどない、白い壁がやけに目立つ応接間にて。
目にかかった金髪が気取った感じを窺わせる、エドガー・グローク子爵令息が椅子から立ち上がり、指をビシッとさせた。
「リディア、お前との婚約は破棄させてもらう!」
「え……?」
エドガーの目の前には、丁寧な刺繍の入ったドレスを着た黒髪黒目の少女と、その父親らしき白髪まじりの灰色の瞳の壮年の男性がソファに座っている。
二人とも、呆然としている。
父親らしき男性が、恐る恐る口をひらく。
「あの、エドガー様? 今、我が娘との婚約を破棄する、そう申されたように聞こえたのですが……」
エドガーが鼻を鳴らした。
「そうだが? 平民は頭がやっぱりどこか足りないな」
男性が絶句する。
エドガーが得意げに続ける。
「我がグローク子爵領から、新たに銀鉱山が発見された。これで我が領の経営は持ち直す。よって婚約は不要になった」
「しかし、婚約はすでに契約書も交わしており、今更撤回するなど……」
「黙れ!」
エドガーが怒鳴る。
「薄汚い平民め。貴族の血はそんなにも安くない。資金がなかったから渋々金と引き換えに婚約を受け入れたが、見込みができた今、もう不要だ」
エドガーが少女の、リディアの方を見る。
リディアがビクッとする。
「今日は婚約の挨拶、貴族になる一歩だとウキウキしていたんだろ? 残念だったな」
エドガーがニヤリと蛇のように笑った。
「いいか。高貴な僕には、商売のことしか頭にない下賤な血の女はいらない」
その瞬間、リディアにガツンとした衝撃が襲いかかり……そして唐突に、日本で暮らしていた時の、前世の記憶が雪崩れ込んできた。
(え……? 待って、今どういう状況? ただの三十代の会社員である私が、なんでこんな場所にいるの?)
呆然としていると、エドガーが口を開いた。
「ふっ。正論に言葉も出ないか。薄汚い平民はやはり知能も劣っている。こんなやつと結婚しなくて本当によかった」
(は? こいつ何様なの?)
混乱よりも、沸々と怒りがリディアに湧いてきた。
(むかつくけど、まずは状況整理ね)
リディアは深呼吸をした。
(私はリディア。ローデン商会の長である、ヘンリク父様の娘で――目の前のこいつは、私の婚約者だった男。エドガー・グローク子爵令息)
状況を整理していると、エドガーがくるりと後ろを向く。
「さっさと帰れ。お前らにこれ以上使う時間はない」
「お、お待ちを!」
隣にいる父が、必死にエドガーに食い下がっている。
(こいつと結婚する代わりに、我が商会が資金提供することになっていたのよね……)
「うるさい! さっさと帰れ」
エドガーが屋敷の奥に行こうとする。
(なぜ日本で、仕事ばかりしていた私がこんなことになっているのかは分からないけど、今はこの状況をなんとかしないとね)
リディアは立ち上がった。
「エドガー様。お待ちください。すでに振り込んだ、我が商会からの資金についてはどうするつもりですか?」
エドガーの歩みが止まった。
くるりと振り向く。
「金、金、金。お前ら平民は、本当に卑しいな」
エドガーがニチャリと音を立てながら笑う。
「せっかく高貴な僕が使ってやると言うのだ。別に返す必要などないだろう? むしろ僕に使ってもらえることを感謝してほしいくらいだ」
(は? こいつ、頭あんぽんたんなの? 決めた、尻の毛まで徹底的にむしり取ってやるわ)
リディアは拳を握りしめた。
「話を逸らさないでください。立派な契約違反ですよ」
「お前らが善意で、破棄した。それでいいだろう」
「わかりました」
エドガーが満足げに笑った。
「愚図な平民にしては物分かりがいいな。それでいいんだ」
「お父様、行きましょう。王宮へ契約違反を訴えに」
「なっ」
エドガーが焦った顔になる。
「どうしたのです? 別にあなたの主張に正当性があるなら、困ることではないでしょう?」
今度はリディアがニヤリとする番だった。
「……少し待て。冷静に話し合おう」
エドガーが席まで戻ってきて、座った。
「あら、別に話すことなどないのでは?」
エドガーが歯軋りしているのが見える。
「では、契約条項八の三にあるように、既に振り込んだ費用の二倍を一週間以内に用意してくださいね」
「……それは無理だ」
「無理と言っても、そういう契約ですので」
リディアはにっこりと笑った。
(契約書を読み込んでいてよかった。スラスラ出るわ)
エドガーは荒く息を吐いている。
そして、突然手をポンと叩いた。
「……現物で手を打たないか?」
「と言いますと?」
「我が子爵家が所有権を持つ旅館がある。それを譲ろう」
「……旅館一つですか? 場所にもよりますが、今回の支援金額には足りませんが」
「従業員つきだ。経営権だけでなく、建物から何まですべて譲ろう。取得時の帳簿価格は、今回、お前らの商会からすでに振り込まれた金額と同額だ」
隣の父を見てみる。
口を開け目を丸くして、エドガーとリディアを順に見ていた。
(リディア、元々こんな風に何かを主張する性格じゃなかったものね……)
しかしリディアからの視線に気がつくと、顔を引き締めて、頷いた。
(ここら辺が、引き際ね。貴族相手に機嫌を損ねると、今後が面倒だものね)
「……わかりました。ここは勉強させていただきます。では、失礼させていただきます」
父も立ち上がった。
くるりと振り向いて、一緒に部屋から出ていく。
エドガーがニヤリと笑っているのに、気がつかないふりをして。
♦︎
グローク子爵家から、譲る宿についての権利関係の公証証書が届いたのは、三日後だった。
宿については調べてみると、とんでもない赤字宿であることがすぐにわかった。
元々は主要街道沿いの大型宿で繁盛していたが、新しい街道が開発されたことで客足が遠のいてしまって、赤字になっていた。
その夜。
王都の中央通りに面している、ローデン商会の建物。
その最上階にリディアは兄達と父に囲まれていた。
「この無能が! こんな物件を取得して、我が商会に損を出しやがって!」
赤い煉瓦造りの建物の中、証書の前でリディアを怒鳴りつけるのは、長兄のヴィクトルだ。
次兄のアルノーも続く。
「本当に、女だから帳簿でもいじってればいいのに、余計なことしかしないんだから」
三兄のルーカスも味方にはなってくれない。
「まあ父さん。これでわかったよね。リディアに資産を渡しても無駄だってことが」
(こいつら、本当に性格悪いわね……)
リディアと兄達は母親が違う。
リディアだけ妾の子なのだ。
リディアは息を大きく吸った。
「お兄様、お父様。提案があります」
全員、リディアを黙って見つめる。
父であるヘンリクが、口をひらく。
「なんだ。言ってみなさい」
リディアは少し躊躇して、そして口を開いた。
「今回取得した物件ですが、私がいただいても良いでしょうか? その代わり、他の相続権を放棄します」
顔を見合わせる兄達。
「……いいのか?」
父が優しい声音で聞いてくる。
「ええ。大丈夫です。その代わり、一切の権利をお互いに主張しないことを証書にしていただければと思います」
父が兄達をみる。
「同意する」
「いいですよ」
「わかったー」
兄達が次々と同意する。
「では決定とする。リディアだけ、残りなさい」
兄達が次々と出ていく。
すぐに父と二人きりになった。
「リディア……どういうことだ?」
「え?」
父親が怒ったような表情をする。
「あそこまでの事故物件を抱える必要はなかったんじゃないか? 商会を兄妹でうまくやるという選択肢もあったはずだ」
(ああ、心配をしてくれているんだ)
リディアの胸がジンと熱くなる。
「お父様、これが最良なのです……兄達は私を今まで使い潰そうとするだけでなく、目の敵にしてきました。この商会から独立してやっていくには、ちょうど良いタイミングかなと思ったのです」
「でも、あんな不良債権でなくても……」
「そうでなくては、兄達も納得しないでしょう」
リディアはにっこりと笑った。
「それに、ホテルの経営にはとても興味があったのです」
(前世の趣味はホテル巡りだった……今回は、自分で理想のホテルを作れるチャンスだわ)
「ホテル?」
父親がぽかんとしている。
(父でも知らないということは、この世界にはホテルの概念がないのね)
「ホテルとは……宿泊自体に価値を見出す、豪華な体験を売る施設のことを指す言葉です。今回いただいた宿は、ホテルにすることを目指すつもりです」
「……そうか、聞いたことがなかったが、そんな言葉があるのだな」
父親が納得したように頷く。
「ここからどうするか戦略が見えているなら、問題ない」
そのまま突然、父が近づいてきてリディアを抱きしめた。
「……お前は大切な家族だ。もし商売に失敗したら、こっそりと私に連絡しなさい。力になろう」
リディアもおずおずと抱きしめ返す。
こうやって抱き合うのは、いつ以来だろうか。
久しぶりに抱きしめた父の体は、思ったよりも細かった。
♦︎
一週間後、リディアはヴァルデン伯爵領のリンデンベルクに馬車できていた。
リンデンベルクは、元々は王都とヴァルデン伯爵領の領都であるヴァルデンブルクの途中にある街として、栄えていた街である。
しかし長年工事をしていたリンデンベルクを通らない新街道が数年前に完成したことで、人の流れが急激に変化。
大した産業のなかったリンデンベルクは、急速に活気が衰えていっていたのだった。
「お嬢様、もう着きますぜ」
「アーロン、ありがとう」
御者を務めるアーロンに、声をかける。
「お嬢様、いよいよですね」
「ええそうね、イネス」
目の前にはアーロンの妻であるイネスが座っている。
二人は新婚夫婦だ。
「二人とも……本当についてきてくれてありがとうね……」
「ふふ、お嬢様。いつからそんな殊勝になられたのですか?」
イネスがからかってくる。
アーロンもそれに乗っかる。
「そうですぜ、お嬢様らしくない!」
「もう、こっちは本気で感謝してるってのに!」
そうやって言い合っていると、馬車が止まった。
「つきましたよ」
アーロンがドアを開けてくれる。
リディアが降りると、そこは王都とは別世界だった。
「なるほど……これは……」
(街道沿いにまばらに店があるけど、見事に閑散としているわね。人通りも少ないし)
キョロキョロと見回すと、まばらに立つ建物、町の外側の広い畑、そして湖、反対側には山が見えた。
(山に湖に平野。もしかして当たりなのでは?)
その時、後ろから声をかけられた。
「リディア様。いらっしゃいませ。話は伺っております」
振り向くと、三十代後半の安っぽい平民服を着た精悍な男性がいた。
男性が礼をして挨拶をする。
「支配人をしている、ゲオルクと申しやす」
「新しく経営者となったリディアよ。こっちはアーロンに、イネス」
リディアも挨拶をする。
男性が顔を上げた。その瞳には警戒心が宿っているのが、リディアにはわかった。
(まあ、新参者なんだし、そんなものよね)
「早速で申し訳ないけど、この宿の案内をしてくれるかしら?」
「……はい、わかりやした」
くるりと振り向くと一つの建物に入っていく。
二階建ての横長の、煉瓦造りの建物だ。
白い漆喰が塗られていた跡があるが、所々剥がれてしまっている。
(うん、ちょっと……いやだいぶボロいわね……)
そんな感想を飲み込んで、リディアは一歩前に進んだ。
♦︎
「……以上がうちの宿についてになりやす」
ゲオルクによれば、客室は全部で五十室だそうだ。
しかし現在稼働しているのは、一桁だとか。
客室の他には、大きな食堂、厨房・食料庫、厩・馬車置き場、裏庭・作業場などがあるそうで、案内してもらう。
どれも古いが、まだ使える。
そうして色々と見て回ってみたが、リディアにとって何よりも発見だったのは、敷地の裏だった。
建物の裏に、広大な休耕地があったのだ。
休耕地の先は湖岸へ下る斜面になっており、ここからは広々とした湖面を見下ろせた。
休耕地を見ながら、リディアは話しかける。
「ゲオルクさん」
「ゲオルクで問題ありやせん。敬語も必要ないでさ」
ゲオルクが淡々と返す。
リディアは少し躊躇して、ここはこだわるところでもないかと思い直す。
「そう……わかったわ。休耕地のように見えるけど、これは当ホテルが所有しているの?」
「ホテル?」
「ああ、ごめんなさい。この宿が所有しているの?」
少しぽかんとしたあと、ゲオルクはすぐに元の無表情に戻った。
「ええ、うちの宿が所有している土地になりやす。昔は畑にしていたのですが、誰も耕す人がいなくてあの通りでさ」
「……ということは、そもそもこの宿で雇う人間を制限しているの?」
「ええ、先ほど言ったとおり、全然旅人が来なくなっちまったもんで、人がいても仕事がないんでさ」
ゲオルクは肩をすくめた。
「なるほど」
リディアはニヤリとした。
「ゲオルク……私に秘策があると言ったら、協力してくれる?」
「……正直、無駄なことをして、さらに状況を悪化させたくないと思ってやす」
ゲオルクは顔を顰めながら答える。
察するに、グローク子爵家の経営で何かしら無理でも言われていたのかもしれない。
(正直な人柄のようね。真っ直ぐにこちらの真心と、作戦の根拠があることを丁寧に伝えるのが近道ね)
「その通り、すぐに信じるのは難しいかもしれないわね」
リディアは周りを見回し、人がいないことを確認した。
「けど、この宿には時間がないの。このままだと、あと一年でこの宿は、畳まないといけない」
「「ええ」」
「なんですと!?」
驚いた顔をする、三人。
「実はかなりの額の借金が私がこの宿を買い取る前からあったみたいなの。それも数え切れないくらいの額がね。だからその返済が必要で、その返済期限が残り一年なの。それを過ぎたら、土地を売却して強制的に清算になるわ」
「そんな……終わりだ……」
ゲオルクが絶望した表情をしている。
「だから、私は提案します」
「提案……?」
ゲオルクが不思議そうな顔をする。
「この宿の一人当たりの売上を、とりあえず三十倍にする施策を」
「ばっ、バカなどうやって?」
ゲオルクが驚愕した表情をしている。
アーロンとイネスも、半信半疑といった顔だ。
(普通なら、無理だと思うだろう。でも、私には前世のホテル巡りをして得た知識がある。それを応用して見せれば活路はあるはず……!)
「まずは眠りの質の大改善をします! 具体的にはサウナを作ります!」
「「「さ、サウナ!」」」
少し間があいた。
ゲオルクがおずおずときく。
「それってなんですか?」
三人ともぽかんとしていた。
(そうか、この世界にはサウナもないのか)
「簡単にいうと、小屋の中で熱々の焚き火をする施設ね」
「何のためにそんなことを!? 水浴びで十分では?」
心底意味がわからない。
ゲオルクの顔にそう書いてあった。
「お、お嬢様……いくらなんでもそれは受け入れられないのでは?」
「そうですぜ、流石にぶっ飛びすぎてますぜ」
アーロンとイネスも、口々に慎重な意見を出す。
「……リスクがあるのもわかっているわ。しかし、それくらいとっぴなことをやらないと、ここからの逆転は厳しいわ」
「リディア様。無謀と勇気は違いやすぜ」
ゲオルクが忠告してくる。
(まあ、そうよね。丁寧に、説得するしかないわね)
「心配してくれてありがとう。けど、私はこれでいけると思っているの」
ゲオルクが顔を顰めた。
リディアは言葉を続けた。
「けど、無理に進めるつもりはないわ。まずは、どこらへんが気になっているのか、率直に教えてくれると嬉しいわ」
ゲオルクがホッとしたような顔をしたのがわかった。
(やっぱり、無理に進めなくてよかったわ)
「……まずは予算です。また無駄遣いで悪化するんじゃないですか?」
「今回の予算は、私側の私的な財産から出すわ」
(お父様が出発前に、かなりの額を貸してくださったから資金はある。ちゃんと返さないとあのクソ兄たちと揉めることが間違いないけど、資金はここぞというときに使わないとね)
「なるほど……危険な設備なのではないですか? 小屋の中で炎なんて燃やしたら、火事になったりしませんか?」
「これは説明が足りなかったわね。小屋の中に、専用の炉を作るの。煙突などを作って、そこから煙は出すわ」
「そこに入れる薪はどうするので?」
「一日に一回、小屋の横に薪は補充してもらうことになるわね。炉の中には、利用者が足す想定よ。まあ、最初は利用者がいないと思うから、定期的に薪を足すのはお願いすることになるわね」
ゲオルクが考え込む。
「失敗の責任は誰が取るので?」
疑い深い目だった。
リディアはにっこりと笑った。
「私がとるわ。証書に残してもいいわ」
ゲオルクの目が大きく開かれた。そこまで言われるとは思わなかったのだろう。
「……いや、そこまでしなくても大丈夫です」
ゲオルクが言葉を切った。
「けど、肝心なことがもう一つありやす……」
「何かしら?」
リディアが今度は聞く番だった。
「あの、これ何の需要が?」
リディアが胸を張った。
「気持ちよく、くつろぎたい人に最高なのよこれ」
「こんなの王都にあったか?」
「いや、みたことないわね」
アーロンとイネスが囁き合っている声は、リディアには聞こえない。
ゲオルクが目を丸くして、次の瞬間笑い出した。
笑い終わると、ゲオルクが言った。
「なるほど、思ったよりも豪快な方のようだ。くつろぎたい人には最高なのですね」
ゲオルクが、リディアの方を真剣な顔で見つめる。
「今聞いたこと以外に疑問もないですし、いっちょやってみますか。詳しい計画ができたら教えてくだせえ」
「ゲオルクありがとう! じゃあ早速、大工を集めてくれるかしら? 鍛冶師も」
「わかりやした」
そう言ってゲオルクが一礼する。
「さーて、じゃあ今日から改革を始めるわよ」
リディアが宣言する。
♦︎
翌日、早速リディアは、空いていた客室の一室にいた。
こんこん。
「入って大丈夫よ」
「失礼します。鍛冶師と大工の職人を連れてきました」
ゲオルクの後ろに、二人の男性がいた。
一人は筋骨隆々で背が高い若者で、もう一人は浅黒い老年の男性だった。
「初めまして」
リディアが立ち上がって挨拶をする。
「初めまして、マルティンと申します。大工をやっています」
「……ブルーノだ。鍛冶師をやっている」
「マルティンさん、ブルーノさん。初めまして。では、遠慮せずに椅子にかけてください」
机を挟んで、三人は座った。ゲオルクは壁のそばに立って様子を伺っている。
「では、早速商談と行きましょう。あなたたちに依頼があります。このようなものを作っていただきたいのです」
リディアは昨日引いた図面を、机の上に載せる。
「これは……」
「ふうむ……」
マルティンとブルーノが唸る。
「これはサウナというものです」
「単刀直入に言おう、金はいくらもらえるんだ」
「ブルーノ、失礼だぞ」
マルティンがブルーノを窘める。
リディアは苦笑いをする。
「いえ、大丈夫です。着手金として、これくらいを考えています。完成すれば、別途これくらい支払います」
紙を差し出す。
マルティンとブルーノがそれぞれ見る。
「おお! こんなにもらえるのか! やるぞ!」
「ブルーノ、見苦しいぞ。……けど私もやります」
二人とも、頷く。
「では、詳細の説明をさせてください」
そうして説明する。
マルティンが手をあげる。
「マルティンさん、どうぞ」
「内側の腰掛けなどの素材だけ指定されているのはなぜですか?」
「それはですね、熱い室内で素肌が触れるので、熱を肌に伝えにくく、樹脂がにじみにくい木が向くのです。そのため指定が必須になるのです」
「なるほど」
(銀もあるし、前世とある程度樹木が一致していればいいと思って名前を書いてみたけど、通じてよかった)
バクバクしている心臓を隠しながら、リディアが答えていると、ブルーノも手をあげる。
「この小屋の中に設置する炉の周りを囲うようにしている柵みたいなもんはなんだ? 炉の入り口だけ塞がないようになっているが」
「その柵の中に、石を入れるためのものです」
「石?」
マルティンとブルーノが目を点にする。
「はい、炉から出た熱を石に溜めます。その石の熱で間接的に、小屋の中を温めるのです」
「石を挟むメリットは?」
「メリットは二つあります。一つ目は、炉の中の火力の変化を和らげることです。石が熱を蓄えるので、薪の火が弱まっても、しばらく熱を出し続けます。次に、石は水をかけて湿度を調整できることです。室内に蒸気を蔓延させることで、湿度を上げてさらに気持ち良くできるのです」
「ふうむ。なるほど。湿度を高めたいのはよくわからんが、やりたいことはわかった」
ブルーノが頷く。
「そうなったら、炉は熱に耐えつつ、熱が伝わりやすいものが良いな」
「できれば、石にすぐに熱が伝わるといいです。あ、水を上からかけるので、水などにも強いことも必要ですね」
「なるほど、そうなると基本の素材は鉄だが、鋼になるかなあ」
「ふむ。素材については、ある程度お任せします」
「わかった。この予算なら、金とかでも使わない限り大丈夫だ」
ブルーノが豪快に笑った。
「じゃあ、よろしくお願いね! 疑問などあったら、すぐに答えるから聞いてちょうだい!」
♦︎
二週間後。
リディアは本館の斜め後ろにできた、丸太小屋を見ていた。
「おお! これが!」
「ええ、やっと完成しました! 試運転も確認済みです!」
そこには一緒にマルティン、ブルーノ、ゲオルク、アーロンがいた。
(前世で大好きだったサウナにやっと入れる!)
サウナ室の隣には、樽の水風呂と寝椅子を置いた休憩室を設けた。
こちらも屋根と板壁で囲われ、窓は湖の方にだけ開いている。
二つの部屋は扉一枚でつながり、外へ出ずに行き来できる。
「では、入ってくるわね」
「はい、一応待機しているので、何かあったら連絡を」
「ありがとう。では、エールでも飲んでてね」
「そいつあ、気前がいい!」
男性たちはみんな喜んでいる。
リディアは休憩室に入る。
(わああ! 前世で何度も行ったあのサウナが目の前にある!)
服を脱ぐと、タオルを体に巻き、サウナ室に入る。
(うん、いい感じに暑い!)
今回は速度を重視したため、サウナ部屋には、座る場所が一段しかない。
そのため温度調整が難しいが、そこは今後の改善点だろう。
最初の施策としては、素晴らしい出来だ。
(……砂時計が欲しいわね)
心の中で、改善案をメモする。
汗がたくさん滴ったり、そろそろ限界だと思った頃、リディアはやっとサウナ室の外に出た。
(空気が冷たくて気持ちいい!)
水風呂の樽から水を汲んで、汗を洗い流す。
そして水風呂に入る。
(うーーーー!!!! 冷たくて気持ちいい!!)
三十秒、心の中で数えると、水風呂から出る。
体の水滴を拭いて、整い椅子に寝転ぶ。
体がポカポカしてきた。
(あ〜これよこれ。本当に最高だわ)
天にも昇りそうだ。
リディアは全身の疲れが瞬く間に取れていくのを感じた。
♦︎
結局、三セットしてリディアは出た。
「お嬢様。どうでした?」
アーロンが聞く。
職人二人と、ゲオルクもごくりと唾を飲む。
「……私にもエールを頂戴」
「は、はい」
アーロンからエールを受け取る。
ちなみに、この国では十五歳からエールを飲むことが許可されている。
ごくり。エールを飲み込む。
「うあああああー! うまい!!! 最高!!」
リディアは満面の笑みを浮かべた。
男性たちがほっとした顔をした。
そしてリディアの表情を見ているうちに、男性達もソワソワしだす。
「お、俺も体験してみていいですか?」
「あ、ずるい! 俺も」
「自分もいいですか?」
リディアは笑いながら言う。
「ええ、大丈夫よ。三セット終わった後のエールは、最高の一杯になること間違いなしよ」
それから数十分後。
男性達が入っていった休憩室のドアが開いた。
アーロンが俯きながら、ポツポツと語り出す。
「お、お嬢様」
「ん、どうだった?」
リディアは少し不安になった。
(もしかして、あまり合わなかった?)
ゲオルクや、マルティンとブルーノも出てきた。
アーロンが口を開いた。
「このサウナ! あ、悪魔的です! 毎日入りたいです!」
「俺も! 俺も!」
「……毎日、入らせてもらいたい」
「同意です。これほど良いものだとは思いませんでした」
男性達が皆、笑顔になり次々と告げてくる。
リディアの肩の力が抜けた。
「ふっふっふ。エールも飲んでみて。飛ぶわよ?」
ごくり。
四人とも、唾を飲み込んだ。
そして、一人一人おずおずと受け取り、飲む。
「……一生ついていきます!」
誰ともなく呟きが聞こえてきた。
これが後に王国中に広まるサウナの誕生物語である。
この日、集まった人は、まだ誰もこのサウナが莫大な利益を生むとは考えていない。
そしてリディアのホテル造りはまだ始まったばかり。
「ふふん! これで終わりじゃないわ。次は、ベッドの改革をするわよ!」
リディアの声が響いている。
彼女が様々なアイディアで最高のホテルを作り上げ、王国にホテルという概念を定着させるのはもう少し先の話。
【あいあメルからのお願い】
この小説を読んで
「面白い!」
「連載版が読みたい!」
と少しでも思ったら、↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
そうしてくださると、より多くの方に本作を届けることができ、それが作者の大きなモチベーションになります!!
ですので、皆様どうかご協力いただけると嬉しいです!




