一枚
この作品はガールズラブ(百合)要素が含まれます。苦手な方は自己責任で閲覧されるよう、よろしくお願いいたします。
これは叶わないと知ってなお、病に依存してしまう愚か者の話だ。
◆◆◆
「撫子さん、わたしね、好きな方ができたの」
「知っているわ。竜胆寺さんでしょう?」
きゃらきゃらと笑う無邪気な貴女に、私はそう冷静に返した。初夏の清々しい陽光射し込む学園の廊下は貴女の目出度い報告に相応しい様相だ。
私の指摘に貴女はきゃっと声を上げて、頬を桜色に染める。愛らしく初々しい反応だ。私は思わず笑みを綻ばせた。
すると貴女はうれしそうな顔に戻って——頬は色づいた儘だったけれど——そうなの、と肩をきゅっと竦めながら告げる。
「撫子さんはわたしのこと、なんでも知ってらっしゃるわ」
「幼馴染みですもの。これくらい当然ですわ」
嗚呼、嗚呼、迚も幸せそうだ。貴女が幸せでいてくれれば、私は他に何も、何もいらないんですのに。
胸が痛い。込み上げそうになるものを必死に奥歯を噛んで堪える。
「それに、貴女の竜胆寺さんへの態度はかなりあからさまでしたもの。私でなくても気づいていたのではないかしら」
「えぇっ!? そんなに!? ……くぅ、恥ずかしいです……」
指摘を受け、顔を両手で覆う貴女。かわいらしい顏が見えなくなるのは惜しいけれど、今の私には好都合だ。
そろそろ奥歯で噛みしめるだけでは限界を感じていたから。
「積もる話があると存じますけれど、私、一旦御手洗いにいって参りますわ。ごめんあそばせ」
「お気になさらず。ゆっくりできるときに聞いてくださったらうれしいわ。……ねえ、撫子さん」
「……なんでしょう?」
普段なら所用ある私を引き留めないはずの貴女が改まって私を呼ぶものだから、不思議な目をして振り向く。
「恋する殿方ができても、わたしは撫子さんがずうっと大好きよ」
「……ありがとう」
嗚呼、嗚呼。
——限界だ。
辿り着いた御手洗いの前で堪らず蹲った。嗚咽混じりの声が出て、みっともなくて惨めになる。こんな姿をあの子の前で晒したくはない。意地でここまで走ったが、限界だったようだ。
口から何かが唾液混じりに吐き出される。
それは己の名と同じ花やら、彼女の名に似た花やらを孕む風変わりな吐瀉であった。
ぜえぜえと肩で呼吸をする。その息の仕方がみっともなくて、益々自分が嫌になる。が、今、私の背を擦ってくれるような優しい手はない。吐き出した花は私の手の内。せめて息が整うまで、個室に入って忍んでいよう……。
などと考えたところで、
「ワァ、ちょっと!」
「!?」
声がした。軽薄そのものな雰囲気の女子生徒の声だ。逃げようとしたところで、背中を擦る手があることに気づき、逃げても遅いことを悟った。
「花吐いてんじゃん。生で見るの初めて~。ガチでウケる~。ダイジョブ? 立てそ?」
足元の床が抜けるような底冷えする心地と、気遣われた事実への驚嘆が同時に訪れ、私の感情の所在が不明となる。
背中を擦りながら、私の横にぬっと姿を現したのは顔の黒い女生徒だった。顔が黒いのはおそらく化粧だろう。派手でけばけばしい化粧をし、矢鱈長く見えるよう作られた睫毛が目を引く。
普段なら、こんなあからさまに素行の悪そうな者からは即刻逃げ出すのだが、今はそんな余裕はない。
それに、この女……、
「花吐きの病を、知っているの? げほっ」
「はいはい、喋んなしー。知ってるしぃ。通ったのがウチでよかったね、マジで。喋る元気あるなら、そこの個室入ろ? 狭いけどウチがついてるし」
「いら、な、ひとりで、いっ……」
「えー、メンド。ウチ一人に知られるだけで済むのと他のヤツらにまでバレて後ろ指を指されんのどっちがいい? とか言わなきゃわかんない? 優等生ゴレイジョウの橘田撫子お姉サマ?」
「っ……」
「バレたくないっしょ。静かにしなよ」
そうして、私は謎の女生徒と共に、個室の戸をぱたりと閉めた。
状況は最悪と言っていい。
「誰も来ないうちに全部吐いた方いいと思うケド?」
女生徒はそう告げて、私の背中を思い切り叩いた。衝撃で私はまた口から汚い音を立てて花を吐く。まろび出てくる花はどれも一様に美しい。腹の立つほどに。
けれど、それを吐いた私はといえば、花を吐くのが止まらなくなって、けぽけぽと口から花弁と唾液の混じったものを溢していく。口から吐き出すものなんて汚ならしいはずなのに、自分の口から出たそれを謗ることができない。
泣きたくなるほどの苛立ちはその矛先を背を叩き続ける派手娘へと定める。なけなしの尊厳とやらをかき集めて、派手娘を睨み付けた。
私の眼光に、派手娘は肩を軽く竦めさせるのみ。
「まだ吐きそう? 口に手ぇ突っ込んで全部出した方がいいなら、ウチやるよ」
「いい加減、に、しなさい」
げぽっと零れる桜草。私はそれを雑に拭うと、派手娘の胸倉を掴んだ。
派手娘は化粧のせいでギョロリとした印象の目玉をまんまるにして私を見つめる。ざまを見ろ、と私は少々はしたない言葉を浮かべた。
「ただの通りすがりのくせして、でしゃばりが過ぎますわよ……! 人助けでもした心算ですか? 憐れみなら、却って失礼でしてよ、ぐっ」
「落ち着けー。ウチに当たるのはいいけどサ。それでアンタの気は晴れる?」
「ぐ、うぶっ」
駄目だ。言い返したいのに花が溢れる。青い花、ひらひら。何の花だったか、名前を思い出せない。
「ダメダメじゃーん。反論は全部後て聞くし。ひとまずウチは介抱しますぅ。憐れみもあるケド。目の前で死なれたら寝覚め悪いし」
——花吐き病のことを知っている口振りだった。
花吐き病。恋を拗らせたあまり、花を吐くようになってしまうという、創作上の病。私も先日まで、御伽噺のようなものだと考えていた。
だが、御伽だ、作り話だと笑うことがもうできない。いつの間にやら私はこの花を吐く以外詳細不明の病に侵されきっていたのだ。
油断すると、呼吸も儘ならなくなる。派手娘だろうと通りすがりがいたことは僥倖だったのだろう。それでも苦い思いは消えないが。
寝覚めが悪い、か。まるで目の前で死なれたことがあるかのようだ。花吐き病とはそんなに一般的な病だったのだろうか。
そうぼんやり考えていると、唇に何か、柔らかい感触が重なった。朦朧としていた意識が明瞭さを少しずつ取り戻す。然して、自分が気絶しかけた事実を思い知り、死にそうだったことに気づく。息がしやすくなってきた。あれ、派手娘の顔が近いように思う。色付きの洒脱なコンタクトでもしているのかと思ったが、この縹色は元々の目の色かとほんのり関心し——
「な、」
「お、無事?」
な、ななななななな、
「無事じゃない!! あ、あなた、なんてことを!!」
「その反応はハジメテだった? アハッ、もらっちった♪」
「アハッじゃないんですのよ!! どうしてくれるの!?」
わたわたと、腕を意味もなく振りながら抗議する。顔に熱が集中した。
そこでふと、
「あれ……体調が平常に戻ってる……」
「あ、気づいた?」
花を吐く感覚がなくなっていることに気づいた。胸の苦しさも、それに伴って起こっていた体温や汗などの体の変調も、全て整っている。息もしやすい。
体の内側から込み上げていた、花の香りすら一つもなくなっている。
そわり。体調が戻ったのはよいことなのに、私の心は不穏なさざめきを湛える。
派手娘がへらへらと宣った。
「ウチのお蔭だよ。ウチの体液は花吐き病の特効薬なの! ありがとうって言ってくれてもいいんだよ?」
厚かましい。
俄には信じ難い。架空の筈の病、しかも恋煩いの類に、特効薬?
「もう少しましな冗句を言って頂戴」
「ジョークじゃないって。てゆーか、冗談とか嘘じゃないのはなでぴーがいっちゃん実感してるっしょ?」
「誰ですかなでぴーって。馴れ馴れしい」
「もちろん橘田撫子先輩のコトですケド? なでぴ照れてる? 照れてる?」
……冗句でない云々のくだりは否定できない。事実、大分楽になったのだから。然し乍、こう、いちいち鼻につく言動を取る。素直に褒められないではないか。
「なでぴは不敬ですよ。先輩と仰るのなら、あなたは二年生か一年生の方かしら」
「ご明察~。ウチ二年だよ」
「ならば、先輩とお呼びなさい」
「なでぴはオカタイね~」
「お堅くて結構。……私はあなたを信用できません。恩義の一つや二つでは拭いきれぬほどあなたはあまりに軽薄で格好が悪い。己の美意識に基づいた身なりをするのは自由ですが、私は私の美意識に基づきあなたという人間を判断します」
「ん。いーよ。信用されたいわけじゃないし」
至極さらりと答えて、派手娘はピースサインを自分の両頬に寄せる。
「ウチは先輩が苦しそうにしてたから助けただけ。当たり前のことをしただけっしょ」
「……立派な心掛けです」
「ドーモドーモ! ついでに先輩も一つ覚えてよ。特効薬……といっても、対症療法のその場かぎりだし、今回はヒジョージタイだったからキスしたけど、普通に処方薬にできるから。困ったらウチんとこ来て。じゃね!」
「え、ぁ」
ばちこーん、睫毛と目元の強調される化粧のために矢鱈印象に残るウインク一つ。それだけ飛ばして派手娘はしゅるりと廊下の向こうへ消えていく。
ウチんとこ来て、とか言うなら名乗ってから帰って……?
虚を衝かれ、呆気にとられたために反応の遅れた私は見事あの派手娘を見失い、多少途方に暮れた心地となるのであった。




