王都ネームス
アークス王国の王都ネームスは海辺に位置しており、通称『海水の都』である。
元々、上質な塩を生み出す塩田を行なっていたアークス家が財力で周りの勢力を取り込み、今の王国を築いたとされる。
そんな建国の成り立ちだからか、貴族の中には成り上がり者が多いようだ。
働きに応じて相応の地位や財産を与えられるが、致命的なミスをしたら没落は免れない。
近隣諸国と異なり貴族に重きを置いていないのは珍しい。平民だろうが国に有益とあれば爵位を授けて重職に叙任する。そうした競争政策はアークス王国を発展させてきたと言えるだろう。
そこまで読んだ僕はホーデンさんからもらった歴史書を閉じて馬車の窓から外を見た。海岸で塩を作っている農民の姿があった。
塩はアークス王国にとっては日常品ではあるが、山々に囲まれたトリメン卜帝国には手に入りづらい。アークス王国が集中的に攻められている原因がそれだ。塩止めをしているものの、悪質な商人が裏取引をしているとのうわさもある。
塩で国を作れたのに、その塩のせいで戦争が起こるのは皮肉だと思う。
トリメン卜帝国が海を欲している以上、奪うか守るかしか選択肢はない。
平和的な解決ができればいいけど無理だろう。裏路地で数少ない食べ物を巡って殺し合いがあったことを思い出す。
窓から目を離して真向かいで寝ているグレイを撫でる。ガタガタ揺れているのによく眠れるなあ。僕はここ数日眠れなかった。
「もうすぐ王都に着くよ、グレイ。ドキドキするね」
主のヨーゼフさまの計らいで軍人になる。
これから厳しい訓練を受けるのは大変だけど、ほんのちょっぴり楽しみでもある。従士見習いの僕が大きなものを掴めるような気がするんだ。
それは生まれて初めて抱く野心だったりする。
馬車が巨大な門を通ってネームスに入る。
ウェスタウンよりも人間が多くて賑わっている。まあトリメン卜帝国から離れた南に位置しているから戦火にさらされていない。その安心もあるのだろう。行き交う人間の表情は柔らかかった。
御者さんに礼を行って別れて、あまりの人間の多さに眠気が吹き飛んで興奮しているグレイと一緒にご主人さまが行くようにとおっしゃったアークス王国軍司令部に向かう。官庁街の中心部にあるらしい。時間は指定されていないけど、ちょうど昼前だ、日の明るいうちに行こう。
「いい天気だね。うん、ちょっとだけ潮風がする」
新鮮な気分で歩いていると後ろで「泥棒!」という声がした。振り返ると貴族の御婦人が叫んでいて、鞄を抱えた男がこっちに走ってくる。
「――グレイ!」
咄嗟に指示を出すとグレイは駆け出して逃げる男の腕を噛んだ。
「ぎゃあ! 痛え!」
短い悲鳴をあげて男は転んだ。
鞄が手から離れたので拾い上げて「グレイ、よくやった!」と寄ってきたグレイの頭をなでる。すぐに衛兵がやってきて男を押さえつけた。
「あのう。これ⋯⋯」
「ありがとう! 助かったわ! なんてお礼すればいいのかしら!」
御婦人は服が派手な人だった。一見で貴族と分かる。だから狙われやすいんだろうなあと思いつつ鞄を渡す。
「良かったわあ。主人の忘れ物が入っているのよ」
「失礼ですが、使用人は?」
「それがはぐれてしまったの。でも大丈夫。衛兵さんに送ってもらうから」
ここの衛兵はそこまで親切なんだろうか?
僕は「そうですか。では僕は行きます」と頭を下げた。
「待って。せめてお礼をさせてくださる? ワンちゃんにもしたいわ」
「今から軍司令部に行がなければなりませんので、お気持ちだけ」
やんわりと断ると御婦人は「あら。ちょうどいいじゃない!」と目を丸くして驚いた。
「私の主人、軍司令部に勤めているのよ」
「本当ですか?」
「偶然ってあるのね。一緒に行きましょう!」
◆◇◆◇
「妻から聞いたよ! いやあ、本当に助かった! 礼を言うよ!」
軍司令部人事課の事務室。
僕の手を両手で握り、歓待してくれたのはアレックス少佐だった。人事課の課長で、ふかふかのソファに座るように促された。しばらくして紅茶と茶菓子が出された。新兵教育を受ける身には余る待遇だ。
「こちらこそ過分なお言葉ありがとうございます」
「遠慮はいらないよ。さあ食べなさい」
勧められていただくとかなり美味しかった。
アレックス少佐は細身だけど軍人なので引き締まっているという印象だった。御婦人と同じくらいの四十代で柔和な笑顔は人の良さを表している。
「ジョン、君は国軍幼年学校で学んでもらうことになる」
「軍の新兵教育を受けると聞きましたが」
「ローズホーンズ中将から詳しく聞いていないのかい? 率直に言えば軍隊に素人は入れられない。これは軍の規則になっているんだ」
僕の考えが甘かったようだ。
まあ半年で軍人になれるはずがないか。
「三年間の教育で軍人としての基礎を学んでもらう。その後、半年の新兵教育を受けて着任だ」
「分かりました」
「校舎は王都内にある。訓練場もだ。軍司令部の宿舎を手配しているから、入学式までそこで休みなさい。五日後だ」
「ありがとうございます。あ。グレイはどうなりますか?」
アレックス少佐は「グレイ? なんだいそれは?」と首を傾げた。
「僕が連れている犬です」
「あー、妻が言っていたな。失念していた。流石に宿舎は無理だな。悪いが空いている馬屋で過ごしてもらう。学寮は……グレイは君の私物扱いとなるが同じく馬屋になるかもな」
寮ということは団体生活になるから当然の処置と言える。
その後、手続きを含めていろいろと話した。
最後に「君がしてくれたことは忘れないよ」と笑顔で言ってくれた。
◆◇◆◇
五日が経ち、快晴の空の下、グレイと一緒に国軍幼年学校に向かった。
入学手続きはアレックス少佐がしてくれたようだ。泥棒を捕まえたこと以上の恩を受けたと思う。
学校内にある事務所でグレイを預かってもらい、制服に着替えてさっそく入学式に出る。僕と同年代ぐらいの生徒が校庭に集められていた。人数は三十人。ほとんどが顔を強張らせて緊張している。
式は全員起立したままで受けた。少し涼しい空気を吸いながら校長の挨拶を聞く。この学校を卒業した生徒の活躍を延々と長く話していた。自慢話は誰が話してもたいていつまらないもので、今も例にたがわなかった。
最後に校長は三人一組に班分けして、それぞれ教官と助手教官を一名ずつ付けると言った。
教官は士官で助手は下士官でいずれも現役のようだ。
どんな人間だろうかと思いつつ、式の終わりまでぼんやり話を聞いていた。
「名前を呼ばれた者から指定の場所に駆け足で行け!」
終わるや否や教官が大声で班員を振り分けた。
全部で十二班あり、僕は第十一班だった。さっそく学校内にある指定された教室に向かう。
そこには二人の生徒がいた。
ひとりは銀髪を短く刈った険しい顔の少年で、目つきが狼に似ている。背がかなり高くて野性的。ポケットに手を突っ込んで足を伸ばして座っている。
もうひとりは対照的に穏やかで優しい顔をした少年だった。青髪が長く背丈は僕と変わらない。行儀よく立っていた。
「あのう。第十一班の教室ってここですか?」
「…………」
「はい、そうですよ」
沈黙と肯定だったので恐る恐る入る。入り口から僕、恐い顔、優しそうな少年の順だ。
何から話そうかなと思うけど、話せる空気じゃないみたいだ。
僕たちは黙って教官と助手教官を待つ。
「お。揃っているな。感心感心」
十分ぐらいだろうか、頭に軍帽を被っている小柄な男の人と枯れ木のように痩せている男の人が入ってきた。
教壇に立つと「自己紹介をするぞ」と小柄な男性が言う。
「俺は教官のティガー大尉だ。そしてこちらが助手教官のウッド軍曹。よろしく」
すると恐い顔の少年が立ち上がり「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。
優しそうな少年とやや遅れて僕もよろしくお願いいたしますと同様に行なう。
「それでは貴様たちも自己紹介しろ。名前と出身地だけ言え。俺から向かって右からだ」
小柄な男性、ティガー教官がどうでも良さそうに促してきた。
それを受けて優しそうな少年が「はい、申し上げます」と背筋を伸ばした。
「レイ・アークス、ネームス出身」
えっ? アークス!?
驚いてまじまじと見つめると「おい。まだ貴様の番ではないぞ」とティガー教官に叱られた。
「レイ生徒。貴様は王族出身だな? 何をしにここにやってきた?」
「はい。自分を鍛え直すために参りました」
それを聞いた恐い顔の少年は「はん。鍛えるためか」と鼻で笑った。
レイはムッとしたのか「何がおかしいんですか?」と反射的に応じた。
「王族が遊び半分で来られちゃたまんねえ……そう言いてえんだ」
「なんですって……!」
「私語はやめろ。次、貴様が言え」
恐い顔の少年は「オリバー、サンライトシティ出身」と面倒くさそうに言う。
「なかなか根性が据わっとるようだな。あとは性根を叩き直すだけか」
「あまりいい育ちをしていないんで……」
「ならここで教育してやる。次!」
僕の番になったので姿勢を正す。
「ジョン! 出身は……分かりません!」
「なんだと? 貴様はウェスタウン出身ではないのか?」
「いいえ、そうではありません!」
ティガー教官は「ならばどこ出身だ?」と怪訝な顔で訊ねる。
「気が付いたらウェスタウンにいました! もしかすると出身は違うかもしれません! だから分かりません!」
「ふむ、両親はいないのか?」
「はい、そのとおりです!」
「よーし、分かった! 全員、腕立て伏せ五十回だ!」
なんでどうして? と僕たち三人は思った。
ティガー教官は「今、ジョン生徒は不適切な受け答えをした」と言う。
「教官に対し『いいえ』と言った。軍隊においては『はい、そうではありません』と返答する。だから連帯責任で腕立て伏せ五十回だ。さっさとやれ!」




