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スラムドッグハート  作者: 橋本洋一


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3/5

今日から僕はジョンになる

 話がまとまったのを見て「部屋の準備ができるまで食事にいたしましょう」とホーデンが手を叩いた。

 マリアは手を放して「そうね、朝食まだだったわ」と僕に微笑む。


「さあ、行きましょうか」

「えっ? ここで食べないの?」

「応接間はお客さまが過ごす部屋なの」


 そういうものなんだ。

 というわけで大広間に移動したんだけど、そこの部屋には真っ白な布が敷いてある大きなテーブルにたくさんの椅子が並べられてあった。マリアが「私の隣に座って」と椅子を勧めてきたけど、僕はなかなか座れなかった。


「座らないの?」

「食べるときは座らないんだ。いつ横取りされるか分からないから」

「大丈夫。誰もあなたから盗ったりしないから」


 優しくマリアが言うから信じてみようと思い切って座った。

 これもお尻がふかふかするなあというのが感想だった。


「まずはスープをどうぞ」


 嗅いだことのない匂いに包まれる。綺麗な茶色のスープが目の前に置かれた。

 皿を持って飲もうとすると「違うの。これを使うのよ」とマリアが銀色のスプーンを見せた。

 そしてスープですくってふうふうと冷ましてから口に運んだ。


「さあ、やってみて!」


 僕はマリアの真似をして、スープを一口飲んだ。

 ――美味しい。


「…………」


 あれ? おかしいな。

 目からぽろぽろ、ぽろぽろと。

 涙が出てきた。


「あなたどうしたの!? 火傷したの!?」

「……ううん。違うよ。僕にも分からないけど、泣けてきたんだ」


 心配するマリアに泣きながら笑顔で言う。


「こんなに美味しいもの食べたの、初めてだよ……ありがとう」


 マリアは悲しそうに、本当に悲しそうな顔をした。

 ありがとうって言ったのに、どうしてだろう?


 朝食を終えて大広間の椅子にぼんやりと座る。

 マリアは「お父さまとお母さまをお出迎えするわ」と出て行った。

 そばにはグレイがいる。毛づくろいのおかげで毛並みがとてもいい。


「お嬢さまは間もなくご主人さまと奥方さまをお連れになります」


 近くにいたホーデンが話しかけてきた。

 僕は「大丈夫かな……」と不安になってきた。


「大丈夫かな、とはどういうことでしょうか?」

「ここに住むこと、許してもらえるのかなって」


 マリアにしてみれば、僕は命の恩人だけど……浮浪児を受け入れてくれるとは思えない。

 子供のわがままだと言われて追い出されるかもしれない。


「それこそ大丈夫ですよ」


 ホーデンには自信があるようだ。

 自分の主人たちを心から信じている顔だった。


「そうだといいんだけど――」


 グレイが扉のほうを向いた――ゆっくりと開かれる。

 街で見かける貴族よりも身なりがいい男の人が入ってきた。

 豪華ってわけじゃない。

 ただ他より違って……凄かった。

 浮浪児の僕でも、上の人間だと分かってしまう。


「君がマリアを助けてくれた子だね」


 低くて渋みのある声。

 手入れのされている赤の髪と口髭。

 マリアと同じ青い瞳。

 そして柔らかな微笑みだった。


「あ、あの。僕……」

「座ったままでいいよ」


 気がついたら立ってしまっていた。

 慌てて座り直す――よく分からないけど座ったままだと無礼になるって思ったのかもしれない。浮浪児の僕がそう思うくらいで、グレイを見ると頭を下げていた。


「初めまして。私の名前はヨーゼフ・ローズホーンズだ」

「は、初めまして……」

「……君に魔力を感じる。それも強くて大きなものだ」


 まりょく?

 よく分からないけど「そうなんだ……」と自分の右手を見た。


「マリアが君をここに住まわせてほしいと言ってきた。普通は許可しないが、聞けば命の恩人らしい。そこの犬、グレイが巨大化してトリメント帝国の兵士を倒した……事実かな?」

「う、うん。そうだけど」

「そうであるならば君を従士見習いとして迎え入れたい」


 従士がどのようなものか僕には分からない。


「当然、給金は出そう。それに屋敷に慣れるまでは何もしなくていい。半年ぐらいに働いてもらおうか」

「ほ、本当にいいの? 僕は浮浪児だよ?」

「特別扱いだ。それに私のほうにもメリットがある」


 ヨーゼフはにこやかに「魔力持ちは希少な存在だ」と説明してくれた。


「今のうちに囲っておかないとね。それとここが重要なのだが、君にマリアの護衛を頼みたいのだ」

「護衛……? 守るってこと?」

「そうだ。私は四六時中マリアのそばにいることはできない。妻もだ。だから君が守ってくれたら――とても助かる」


 こうして人から何かを任せられるのは初めてだった。

 記憶にある限りだと一度もない。

 しかもこんな立派な大人から――


「これは主従関係での契約も含んでいるが、マリアの父親として頼みたい。あの子は友達がなかなかいなくてね。できるなら仲良くしてもらいたい」

「……うん」

「君を男として見込んだうえで約束してほしい――マリアを守ると」


 僕は立ち上がって――そうするべきだと思ったからだ――ヨーゼフと目を合わせた。


「任せて。絶対にマリアを守ってみせる」

「ありがとう。君は話に聞いていた以上に勇気ある少年だ」


 ヨーゼフが嬉しそうに笑った。

 僕もなんだか嬉しくなった。


「話は済んだのかしら?」


 また知らない人がやってきた。しかも女の人だ。

 マリアと同じ金色の髪。だけど目だけ薄緑だった。

 その女の人は「ヨーゼフ。私は反対だからね」と僕を見た。路地裏の地面のように冷たかった。


「エリザベス。どうしてだい? 彼の瞳はこんなにも澄んで綺麗じゃないか」

「人は目だけでも嘘をつけるわ」


 女の人――多分、エリザベスという名前だ――は「一つ忠告しておくわ」と厳しく僕に告げる。


「もしもマリアを危険に晒したらすぐに追放するから」

「う、うん。分かったよ」

「まったく。なんで浮浪児なんか……」


 ぶつぶつ文句を言って大広間から出て行く。

 ヨーゼフが「すまないな」と僕に謝ってきた。


「あれは悪い人ではないのだが……」

「気にしてないよ。だって浮浪児なのはそのとおりだもん」


 むしろマリアやヨーゼフの対応がおかしいと僕は思ってしまう。


「お父さま! 認めてくださって嬉しいわ。ありがとうございます!」


 今度はマリアがやってきてヨーゼフに抱きついた。

 マリアの頭を撫でて「いいんだよ、はっはっは」と何度も頷く。


「お母さまがお認めになってくれなかったのは残念ですが……」

「まあ時間が経てば解決してくれるさ」

「そうだ。あなたの名前、考えなくっちゃ!」


 ヨーゼフから離れたマリアが突然言い出した。


「名前……? 別にいいよ。お前とかって呼んでくれれば」

「そんな乱暴なことできないわ。それにあなたを名前で呼びたいの」


 そう言われても思いつかないしなあ。

 困ってヨーゼフを見ると「私が決めるのかい?」と不思議そうな顔になる。


「うん。僕名前なんて考えられないから」

「マリアはどうなんだい?」

「えーと、浮かんだのはバンジョーとかクラリオンとか。どうでしょうか?」


 その名前で呼ばれるのは嫌だなあ。

 ヨーゼフが「個性的だね……」と苦笑いしている。


「ありきたりだが……ジョン、はどうだろうか。呼びやすいし覚えやすいだろう」

「うーん、平凡ですね……やっぱりドグマグとか」

「いや。ジョンがいい。僕ものすごく気に入った」


 変な名前になるかもしれないのは嫌だった。

 マリアは「そうなんだ……」と少しがっかりした顔になる。


「決まりだ。君はこれからジョン、だね」


 ヨーゼフの言葉に僕は頷いた。

 寄ってきたグレイが嬉しそうにわんっと鳴いた。


「ジョン、ジョン、ジョン……」


 何度も口ずさんでみる。

 今日から僕はジョンになる。

 さっき新品の服を着たけど、それ以上にぴったりとして気分が良かった。

 そしてお風呂に入ったように清々しい気持ちになれた。

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