マリアの申し出
「お嬢さま! ご無事ですか!?」
ホッと一息ついたと思ったら、また兵士がたくさんやってきた。
グレイが警戒してぐるると唸る――
「待ってグレイ。敵じゃないよ」
見覚えのある軍服――ウェスタウンの兵士たちだ。
先頭には軍服を着ていない、身なりのいいおじいさんがいた。その人は女の子を見て「ああ、良かった!」と駆け寄ろうとして、グレイに気づいて足を止める。
「ま、魔物!? どうして――」
「ホーデン殿、お下がりを。我々が対処します」
兵士のひとりが手で制しておじいさん――ホーデンと呼ばれていた――を止めた。
他の兵士が剣や槍を僕たちに向ける。
グレイが牙をむいて威嚇する――
「待って! ホーデン、この人たちは違うの!」
女の子が立ち上がって僕たちと兵士の間に割り込んだ。
「この人たちは私を助けてくれたの!」
「ど、どういうことですか? 魔物と、その、浮浪児が?」
「失礼な言い方はやめて! 恩人なのよ!」
女の子が必死になって説明していると、右手の甲の模様がぱあっと光った。
するとグレイも光り輝いて――ゆっくりと身体が小さくなっていく。
短い時間で元の大きさに戻った……どういうことだろう?
「これは……魔術でしょうか?」
ホーデンの震えた声。
兵士たちも奇妙に思っているみたいだ。
僕だってどうしてこうなったのかまるで分からない。
「ホーデン。とりあえずお父さまとお母さまのところへ行きましょう。心配していると思うの」
「そ、そうですね……」
意外にも冷静だったのは女の子だった。
兵士たちがトリメント帝国の兵士を縄で縛りあげている。
何人かは僕たちを警戒して遠巻きに見ていた。
「ねえ。あなたも来てくれる?」
女の子が僕に話しかけた。
いきなりだったので「ど、どこに行くの?」と訊ね返す。
「私の家。今夜のこと、お礼したいの」
「で、でも。僕は……」
女の子を見つめる。
金色の髪に大きな青の瞳、白い肌に赤い頬。
青いドレスを着ていて、多分いいところのお嬢様だ。
「浮浪児だから、行けない」
「ホーデンの言ったことなら気にしないで」
女の子はじろりとホーデンを睨む。
気まずいのか、目を逸らして「申し訳ございません」と謝ってくる。
どうしようと悩んでいると、グレイが僕にすり寄ってくぅんと鳴く。
「……グレイも一緒ならいいよ」
「もちろんいいわ。あ、私はマリアって言うの」
女の子――マリアはにっこりと微笑んだ。
よく分からないけど胸がドキドキしてきた。
「あなたの名前はなあに?」
「名前……」
覚えてないんだと言おうとして――頭に激しい痛みが襲う。
ハンマーで殴られたような――
◆◇◆◇
気がついたらふかふかしているところに寝かされていた。
ゆっくり起き上がると、見慣れない部屋にいた。
お金持ちの子供が買ってもらって、はしゃいでいるのを見たことがある、ぬいぐるみと呼ばれるものが数多く置いてある。棚には店で並んでいるような本がたくさんあった。窓から陽の光が差している。朝か昼になっているんだ。
「お目覚めのようですね」
ぼうっとしていると部屋の扉が開いてホーデンがやってきた。
僕はよく分からないまま「おはよう、ございます」と初めて人間に言った。
「おはようございます。休めましたか?」
「うん、まあ……」
「お嬢さまがお待ちになられております。支度をして応接室まで向かいましょう」
まだ頭が働いていないままだけど、僕はふかふかから出て立ち上がった。
それから「グレイはどこ?」と訊ねる。
「グレイ……あの犬ならばお嬢さまとご一緒ですよ」
「そうなんだ」
「まずは身を清めましょう。お風呂に案内いたします」
ホーデンが頭を下げて行こうとする。
僕は「おふろ?」と首を傾げた。
「おうせつまってところに行かないの?」
「その恰好で屋敷を歩かれるのはいささか問題がありますので……」
というわけでおふろに行って、身を清めるということをした。
初めて暖かいお湯が溜まっている箱――浴槽だとホーデンに教えられた――に入って身体を布で洗って、乾いた布で拭いた。今までにない爽やかな気分になって、今まで着ていた服ではなく、新しく用意してくれた服を着た。白くて柔らかくて心地よかった。
「とても綺麗になりましたね。さあ参りましょう」
長い廊下を歩くと絵や鎧がところどころ飾られていた。
多分、この屋敷の主はお金持ちなんだろうなあとなんとなく思った。
ホーデンが立派な扉の前に立ち止まった。二回叩いて「お連れしました」と言う。
「それでは、どうぞ」
扉が開くとそこは見たことのないほど豪華な椅子やソファーが並んであった。立派な机まである。奥のほうでマリアがグレイの毛づくろいしていた。街で見たことがあるブラシという道具だ。そのそばには女の人が数人いてハラハラした顔で見守っていた。
「あ! おはよう!」
僕を見るなり嬉しそうに駆け寄るマリア。
グレイもひと鳴きしてこっちに寄ってくる。
「突然倒れたからびっくりしたわ。もう元気なの?」
「倒れた? 僕が?」
「覚えてないの? ホーデン、説明した?」
ホーデンは「はい、しておりません」と頭を下げた。
「腰を落ち着かせて説明するべきと思いましたので」
「そうなの……あなたは突然、気を失ったのよ。だから家まで連れてきた」
「どうして? そのまま放っておけばいいのに」
変なことを言うなあと思っていると、マリアは「放っておくなんてできないわ!」と驚いたように叫んだ。
「あなたは命の恩人なんだから! そうでなくても倒れている人をそのままにできないわ!」
「ふうん。僕が住んでいたところでは普通だけどね」
むしろ倒れていたら近づかないのが正解だ。
病気かもしれないし、空腹で倒れていたら何をされるか分からない。
するとマリアは悲しそうな顔をした。
「……私にとっては普通じゃないわ。ううん、それよりも訊きたいことがあるの」
「訊きたいこと? なにかな?」
「あなたは何者なの? どうしてこの子はあんなに大きくなったの? 手に紋章があったはずなのに、今は消えているのはなぜ?」
手の模様が消えているのは今気づいた。
「自分が何者なのか、どうしてグレイが大きくなったのか、手の模様が消えたのも……何一つ分からないよ……記憶がないんだ」
マリアが息を飲んで表情を固まらせた。
よく分からないけどショックだったみたいだ。
グレイも近寄って手にすり寄ってくる。
「訊きたいこと、答えられなくてごめんね。それじゃ僕は――」
「待って。せめて名前だけでも聞かせて」
「名前も分からないよ。それもごめん」
そのまま後ろに振り返って行こうとする――手を握られた。
マリアが僕の手を掴んでいた。
しかも何故か泣きそうだった。
「……どうしたの? 何か悲しいことでもあったの?」
「悲しい……そうね。私、とても悲しいわ」
マリアは片手で涙を拭って「あなたが平気なのが悲しいの」と消え入りそうな声で言った。
「自分の名前が分からないのに、平気なのが悲しい。普通はとても不安になるわ。だけどそんなことどうでもいいように気にしないでいる……」
「えっと……」
困ったのでホーデンの顔を見る。
何故か苦渋に満ちた顔になっていた。
周りの女の人の顔も暗くなっていた。
「あなた、家はあるの?」
「あ、あるわけないよ。グレイと一緒にその日暮らしだ」
「ならどこへ帰ろうとしたの?」
「街の……その辺で寝ているよ」
マリアはますます泣き出した。
な、なんだよう。別に普通のことだろう?
「私、決めたわ。ホーデン、この人の部屋を用意して!」
「えっ? 部屋? なんで――」
「かしこまりました、お嬢さま」
ホーデンが力強く返事した。
僕はどういうことかいまだに飲み込めていなかった。
「これから私と一緒に住んで」
「何を言っているの?」
「あなたをこのままにしておけない。ほっとけないわ」
僕の返事を待たずに「お父さまとお母さまは私が説得するわ」と話を進めていくマリア。
「ええと。せっかくだけど、僕迷惑かけるかもしれないから……」
「迷惑をかけていいわ。私がやりたいことなの。それに命の恩人でしょ」
「助けたのはグレイだよ」
マリアは「そんなことない!」と大声で喚いた。
迫力があってびっくりした。
「私がナイフで脅されたとき、助けてくれたわ」
「そう、だったけど……本当にいいのかな?」
あのふかふかしたところに寝られて、雨風をしのげるのなら嬉しい。
だけど、命の恩人ってだけで住まわせてもらうのはなんだか違う気がする。
言葉にできないけど、戸惑っている。
「いいの。私に任せて」
今度は両手で右手を包み込まれた。
暖かくて安心する――そっか。
「こんなに優しくされたのは、初めてだよ」
「…………」
僕の呟きにまたマリアは泣きそうになる。
「うん。分かった。ここにいるよ。でも一つだけ聞いてもらいたいことがあるんだ」
「なあに? 言ってみて?」
僕は握られていないほうの手でグレイの頭を撫でた。
「グレイも一緒に住んでいい?」
「もちろんよ! だってこの子――グレイも命の恩人だから!」




