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スラムドッグハート  作者: 橋本洋一


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2/6

マリアの申し出

「お嬢さま! ご無事ですか!?」


 ホッと一息ついたと思ったら、また兵士がたくさんやってきた。

 グレイが警戒してぐるると唸る――


「待ってグレイ。敵じゃないよ」


 見覚えのある軍服――ウェスタウンの兵士たちだ。

 先頭には軍服を着ていない、身なりのいいおじいさんがいた。その人は女の子を見て「ああ、良かった!」と駆け寄ろうとして、グレイに気づいて足を止める。


「ま、魔物!? どうして――」

「ホーデン殿、お下がりを。我々が対処します」


 兵士のひとりが手で制しておじいさん――ホーデンと呼ばれていた――を止めた。

 他の兵士が剣や槍を僕たちに向ける。

 グレイが牙をむいて威嚇する――


「待って! ホーデン、この人たちは違うの!」


 女の子が立ち上がって僕たちと兵士の間に割り込んだ。


「この人たちは私を助けてくれたの!」

「ど、どういうことですか? 魔物と、その、浮浪児が?」

「失礼な言い方はやめて! 恩人なのよ!」


 女の子が必死になって説明していると、右手の甲の模様がぱあっと光った。

 するとグレイも光り輝いて――ゆっくりと身体が小さくなっていく。

 短い時間で元の大きさに戻った……どういうことだろう?


「これは……魔術でしょうか?」


 ホーデンの震えた声。

 兵士たちも奇妙に思っているみたいだ。

 僕だってどうしてこうなったのかまるで分からない。


「ホーデン。とりあえずお父さまとお母さまのところへ行きましょう。心配していると思うの」

「そ、そうですね……」


 意外にも冷静だったのは女の子だった。

 兵士たちがトリメント帝国の兵士を縄で縛りあげている。

 何人かは僕たちを警戒して遠巻きに見ていた。


「ねえ。あなたも来てくれる?」


 女の子が僕に話しかけた。

 いきなりだったので「ど、どこに行くの?」と訊ね返す。


「私の家。今夜のこと、お礼したいの」

「で、でも。僕は……」


 女の子を見つめる。

 金色の髪に大きな青の瞳、白い肌に赤い頬。

 青いドレスを着ていて、多分いいところのお嬢様だ。


「浮浪児だから、行けない」

「ホーデンの言ったことなら気にしないで」


 女の子はじろりとホーデンを睨む。

 気まずいのか、目を逸らして「申し訳ございません」と謝ってくる。

 どうしようと悩んでいると、グレイが僕にすり寄ってくぅんと鳴く。


「……グレイも一緒ならいいよ」

「もちろんいいわ。あ、私はマリアって言うの」


 女の子――マリアはにっこりと微笑んだ。

 よく分からないけど胸がドキドキしてきた。


「あなたの名前はなあに?」

「名前……」


 覚えてないんだと言おうとして――頭に激しい痛みが襲う。

 ハンマーで殴られたような――



◆◇◆◇



 気がついたらふかふかしているところに寝かされていた。

 ゆっくり起き上がると、見慣れない部屋にいた。

 お金持ちの子供が買ってもらって、はしゃいでいるのを見たことがある、ぬいぐるみと呼ばれるものが数多く置いてある。棚には店で並んでいるような本がたくさんあった。窓から陽の光が差している。朝か昼になっているんだ。


「お目覚めのようですね」


 ぼうっとしていると部屋の扉が開いてホーデンがやってきた。

 僕はよく分からないまま「おはよう、ございます」と初めて人間に言った。


「おはようございます。休めましたか?」

「うん、まあ……」

「お嬢さまがお待ちになられております。支度をして応接室まで向かいましょう」


 まだ頭が働いていないままだけど、僕はふかふかから出て立ち上がった。

 それから「グレイはどこ?」と訊ねる。


「グレイ……あの犬ならばお嬢さまとご一緒ですよ」

「そうなんだ」

「まずは身を清めましょう。お風呂に案内いたします」


 ホーデンが頭を下げて行こうとする。

 僕は「おふろ?」と首を傾げた。


「おうせつまってところに行かないの?」

「その恰好で屋敷を歩かれるのはいささか問題がありますので……」


 というわけでおふろに行って、身を清めるということをした。

 初めて暖かいお湯が溜まっている箱――浴槽だとホーデンに教えられた――に入って身体を布で洗って、乾いた布で拭いた。今までにない爽やかな気分になって、今まで着ていた服ではなく、新しく用意してくれた服を着た。白くて柔らかくて心地よかった。


「とても綺麗になりましたね。さあ参りましょう」


 長い廊下を歩くと絵や鎧がところどころ飾られていた。

 多分、この屋敷の主はお金持ちなんだろうなあとなんとなく思った。

 ホーデンが立派な扉の前に立ち止まった。二回叩いて「お連れしました」と言う。


「それでは、どうぞ」


 扉が開くとそこは見たことのないほど豪華な椅子やソファーが並んであった。立派な机まである。奥のほうでマリアがグレイの毛づくろいしていた。街で見たことがあるブラシという道具だ。そのそばには女の人が数人いてハラハラした顔で見守っていた。


「あ! おはよう!」


 僕を見るなり嬉しそうに駆け寄るマリア。

 グレイもひと鳴きしてこっちに寄ってくる。


「突然倒れたからびっくりしたわ。もう元気なの?」

「倒れた? 僕が?」

「覚えてないの? ホーデン、説明した?」


 ホーデンは「はい、しておりません」と頭を下げた。


「腰を落ち着かせて説明するべきと思いましたので」

「そうなの……あなたは突然、気を失ったのよ。だから家まで連れてきた」

「どうして? そのまま放っておけばいいのに」


 変なことを言うなあと思っていると、マリアは「放っておくなんてできないわ!」と驚いたように叫んだ。


「あなたは命の恩人なんだから! そうでなくても倒れている人をそのままにできないわ!」

「ふうん。僕が住んでいたところでは普通だけどね」


 むしろ倒れていたら近づかないのが正解だ。

 病気かもしれないし、空腹で倒れていたら何をされるか分からない。

 するとマリアは悲しそうな顔をした。


「……私にとっては普通じゃないわ。ううん、それよりも訊きたいことがあるの」

「訊きたいこと? なにかな?」

「あなたは何者なの? どうしてこの子はあんなに大きくなったの? 手に紋章があったはずなのに、今は消えているのはなぜ?」


 手の模様が消えているのは今気づいた。


「自分が何者なのか、どうしてグレイが大きくなったのか、手の模様が消えたのも……何一つ分からないよ……記憶がないんだ」


 マリアが息を飲んで表情を固まらせた。

 よく分からないけどショックだったみたいだ。

 グレイも近寄って手にすり寄ってくる。


「訊きたいこと、答えられなくてごめんね。それじゃ僕は――」

「待って。せめて名前だけでも聞かせて」

「名前も分からないよ。それもごめん」


 そのまま後ろに振り返って行こうとする――手を握られた。

 マリアが僕の手を掴んでいた。

 しかも何故か泣きそうだった。


「……どうしたの? 何か悲しいことでもあったの?」

「悲しい……そうね。私、とても悲しいわ」


 マリアは片手で涙を拭って「あなたが平気なのが悲しいの」と消え入りそうな声で言った。


「自分の名前が分からないのに、平気なのが悲しい。普通はとても不安になるわ。だけどそんなことどうでもいいように気にしないでいる……」

「えっと……」


 困ったのでホーデンの顔を見る。

 何故か苦渋に満ちた顔になっていた。

 周りの女の人の顔も暗くなっていた。


「あなた、家はあるの?」

「あ、あるわけないよ。グレイと一緒にその日暮らしだ」

「ならどこへ帰ろうとしたの?」

「街の……その辺で寝ているよ」


 マリアはますます泣き出した。

 な、なんだよう。別に普通のことだろう?


「私、決めたわ。ホーデン、この人の部屋を用意して!」

「えっ? 部屋? なんで――」

「かしこまりました、お嬢さま」


 ホーデンが力強く返事した。

 僕はどういうことかいまだに飲み込めていなかった。


「これから私と一緒に住んで」

「何を言っているの?」

「あなたをこのままにしておけない。ほっとけないわ」


 僕の返事を待たずに「お父さまとお母さまは私が説得するわ」と話を進めていくマリア。


「ええと。せっかくだけど、僕迷惑かけるかもしれないから……」

「迷惑をかけていいわ。私がやりたいことなの。それに命の恩人でしょ」

「助けたのはグレイだよ」


 マリアは「そんなことない!」と大声で喚いた。

 迫力があってびっくりした。


「私がナイフで脅されたとき、助けてくれたわ」

「そう、だったけど……本当にいいのかな?」


 あのふかふかしたところに寝られて、雨風をしのげるのなら嬉しい。

 だけど、命の恩人ってだけで住まわせてもらうのはなんだか違う気がする。

 言葉にできないけど、戸惑っている。


「いいの。私に任せて」


 今度は両手で右手を包み込まれた。

 暖かくて安心する――そっか。


「こんなに優しくされたのは、初めてだよ」

「…………」


 僕の呟きにまたマリアは泣きそうになる。


「うん。分かった。ここにいるよ。でも一つだけ聞いてもらいたいことがあるんだ」

「なあに? 言ってみて?」


 僕は握られていないほうの手でグレイの頭を撫でた。


「グレイも一緒に住んでいい?」

「もちろんよ! だってこの子――グレイも命の恩人だから!」

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