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スラムドッグハート  作者: 橋本洋一


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1/5

浮浪児の僕、野良犬のグレイ

 世界は悲しいほど正しくて、人間は厳しいほど残酷だった。

 真夜中、今日も今日とて食堂のゴミ箱から残り物を漁って無理やり胃に詰め込む作業をする。

 冷たくて固くて、何より不味い。

 吐き出したらもったいないので我慢する。

 しかも早くしないと衛兵がやってきて警棒で殴られてしまう。


 僕の記憶は一年前から始まった。

 川辺で倒れていて、ひどく頭が痛いことしか覚えていなかった。

 思い出そうとすると頭が痛む。

 それ以来、浮浪児として生きていた。


 僕みたいな浮浪児はこの石造りの街――ウェスタウンでは珍しくないらしい。

 他国での戦争で孤児が増えたからだって、同じ浮浪児に教えてもらった。

 その子は最近、病気で死んでしまったけど。


 自分が何のために生きているのか分からない。

 こんなひどい暮らしをするくらいなら……と思うけど、勇気がないからできなかった。

 人間は絶望しても生きることをやめないらしい。


 ゴミ箱から離れて裏路地を歩きだす。

 僕と同じ浮浪児や大人の物乞いが諦めた目で座り込んでいる。

 ようやく春になって凍死しなくて済むと思うと安心する……本当に?


 疲れたので地べたに座ると、野良犬――グレイが近づいてくる。

 灰色の毛皮で、仔犬とは言えない大きな身体。

 綺麗な黄色と黒い瞳。

 口を大きく開けて牙をむき出しにして、顔を――舐められる。


「……くすぐったいよ、グレイ」


 昔からそうだった。

 僕は獣に好かれるようで、川辺で倒れていたときも近くにいた狐に木の実を恵んでもらえた。

 そのおかげで生き永らえたんだ。


 グレイ――灰色の犬だからそう名付けた――も僕になついている。

 初めは鬱陶しかった。でも追い払う気力もなかった。

 だけど、グレイが一緒に寝てくれて、暖かく寝られることができた。

 冬を越すことができたんだ。


「いつもありがとう」


 ぎゅっと抱きしめるとグレイはくぅんと優しげに鳴く。

 暖かくて、心細い気持ちが無くなっていった。

 お腹が少しだけ満たされたので目をつぶってしまう。

 ああ、今日も眠れそうだ――


 そのとき、地鳴りがして、建物が崩れる音がした。

 次に人間の悲鳴があちらこちらから上がっていく。


「なんだろうね……」


 眠気が吹っ飛んだけど、何かをしようとは思わなかった。

 僕には関係ないと思ったから。

 だけどグレイが急に立ち上がってどこかに走っていく。


「あ……待って、グレイ!」


 嫌な予感がした。

 今行かないと良くないと思った。

 だからグレイを追って駆け出した。


 通りに出ると人間がパニックになって逃げていく。

 グレイは逃げた先ではなくて、むしろ騒動の中心に行こうとしている。


「危ないよ、グレイ! 行っちゃ駄目!」


 僕の声に反応したグレイは一瞬だけ振り返って、悲鳴に負けないくらいの大声でわんっ! と吠えた。

 来るなと言っているようだった。


「グレイも逃げよう! 何が起きているか分からないけど――」


 だけどグレイはそのまま走り出す。

 追いかけようか、それとも逃げようか迷って、僕は「ああもう!」とグレイについて行った。

 共に冬を過ごした、友達みたいな犬、ほっとけないよ!


 騒動の中心に近づくにつれて、人が少なくなっていく。

 石畳の道は走りづらくて転びかけるけど、グレイには関係ないようだ。足が速くて、何度も見失いそうになる。


 そうしてようやく、どうして人間が逃げているのか分かった。

 他国の兵士――トリメント帝国が攻めてきたんだ。

 僕が見かけた兵士は十数人いる――


「やめて! 放して!」


 怯えた悲鳴。

 兵士が女の子を無理やりどこかへ連れて行こうとする。

 僕と同じくらいか年下。だから十才ぐらい。

 身なりがいいから浮浪児じゃない。

 多分、貴族か商人の娘。


「おとなしくしろ!」


 兵士が女の子の頬を叩く。

 一発じゃない、何発も。

 ひどい、なんてことをするんだ。


「…………」


 暴力を振るわれて、ショックを受けたんだろう。

 涙を流して抵抗をやめた。


「おいおい。あんまりやりすぎるなよ」


 兵士のひとりがそう言うけれど、薄ら笑いしていた。

 周りもそう。誰も女の子を助けてくれない――


「うわ! なんだこの犬っころ!」


 女の子を掴んでいた兵士が驚いた声をあげる。

 腕にグレイが嚙みついたからだ。

 首を振り回して女の子を助けようとする。


「グレイっ!」


 思わず叫んだ。

 兵士たちが一斉に僕を見る。


「なんだあのガキ。浮浪児か?」

「どうでもいいだろ! そんなことよりこの犬なんとかしてくれ!」


 兵士のひとりが剣を抜く。

 グレイは兵士の腕から口を放して距離を取った。

 唸って睨んで――威嚇していた。


「生意気な犬だな。殺してやろうか」

「それよりこの娘を連れていくことが先決だ。放っておけ」


 ああ、良かった。

 グレイが殺されずに済む。

 僕はグレイに駆け寄って身体を抱きしめた。


「グレイ、早く――」


 グレイが首を捻って僕を見つめた。

 それから女の子のほうを示してわんっと吠えた。

 助けようって言っているみたいだった。


「……無理だよ。僕なんかじゃ」


 大人の兵士が十数人。

 僕とグレイだけで助けられない。

 もちろん、女の子を助けてあげたい気持ちはある。

 あんなに怯えてかわいそうだ。


 だけど僕は子供でグレイはただの野良犬だ。

 一緒に戦っても、勝ち目なんか、ない。


「――わんっ!」


 諦めた僕を振り払って、グレイはどこかへ行こうとする兵士の先頭に躍り出た。


「やっぱり殺すか」


 三人の兵士が剣を抜いた。

 ああもう駄目だ。グレイが殺される。

 僕を助けてくれたグレイが――死ぬ。


「やめて、やめてよ……」


 出たのはかすれた小声。

 剣がグレイに振り下ろされる――間に合わない。


「――やめろぉおおおお!」


 大声で叫んだとき、僕の右手の甲に熱を感じた。

 痛いくらい熱い――赤く光っている。

 その光は辺り一面を照らしていた。

 夜なのに、こんな輝くなんて。


「な、何が、起きて――」


 光が一気にはじける。

 目をつぶって、右手の痛みが収まって、ゆっくりと目を開ける。


「なに、これ……」


 右手に変な模様が刻まれていた。

 見たことのない、複雑な形だった。


「なんだ、今のは?」

「あのガキ、まさか魔術でも使えるのか?」


 兵士たちが僕に注目している。

 だから一番初めに気づいたのは僕だった。


「グ、グレイ……?」


 呆然と見つめたその先には。

 大きな大きな犬――グレイがいた。


 兵士たちの何倍も大きい身体。

 ギラギラと輝く黄色と黒い瞳。

 開いた口からは大きな牙が尖っていた。

 そして、グレイと同じ灰色の毛――


「うわああああ!? なんだこの魔物は!?」


 僕の視線で気づいた兵士。

 他の兵士も気づく中、グレイは口を大きく開けて――咆哮した。

 その咆哮は恐ろしくて、兵士のほとんどは尻もちをついた。


「くそ、なんだってんだ!」


 怯えなかった兵士が剣を振り回してグレイに斬りかかる。

 横に振った剣を――グレイは口で受け止めた。


「ば、化け物……」


 口で受け止めたと思ったら牙で止めたみたいだ。

 いや、剣で砕けない牙……ありえないほど固いんだ。


「ぐるるるるるる……」


 唸りながら兵士たちに近づくグレイ。

 全員が殺されると思ったのだろう。立ち上がって剣を抜いた。


「こ、このぉおおおお!」


 四人が一斉に斬りかかった――剣が振り下ろされる前にグレイが体当たりした。

 体当たりと言えば軽い感じに思えるけど、その勢いは凄まじくて、まるで台風のように四人が吹っ飛んだ。それどころか、後ろにいた兵士も巻き込んで一気に倒してしまった。


「く、来るな! この娘がどうなってもいいのか!?」


 無事だった兵士が女の子を盾にした。

 女の子は「助けて!」と泣いていた。

 ナイフを首筋に当てていて、少し血が滲んでいる。

 グレイはぐるると唸って動かない。


「お、お前はこっちに――」

「うわああああああ!」


 無我夢中だった。

 僕は兵士の後ろからグレイよろしく体当たりした。

 子供だけど不意を突けばよろけさせることぐらいはできる。


「お前……! 何しやがる!」


 不意を突かれた兵士が怒ったけど、そんなの構うものか!

 女の子を放したので手を引っ張って離れさせる。

 慌てて兵士が剣を抜く――


「グレイ、やっちゃえ!」


 僕の声にグレイはすぐさま応じた。

 咆哮をあげて兵士の剣に噛みつき――こなごなに噛み千切った。


「げええええ!?」


 汚い悲鳴を上げる兵士にグレイは襲い掛かる。

 噛むのではなく、前足の爪で薙いだ。

 その威力は凄まじくて――かなりの距離吹っ飛んで、建物の壁に激突した。

 そのまま伸びてしまう。


 立っている兵士はいない。

 全員倒れている。

 ああ、良かった。僕はその場に座り込んだ。


「あ、あなたは、あの魔物は……」


 女の子が僕に訊いてくるけど、なんて答えればいいんだろうか。

 それに何から話せばいいんだろう。


 大きな身体になったグレイが僕のそばに近寄って。

 大きな舌で僕の顔を舐める。

 あはは、その仕草は変わらないんだね。

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