山バイソンのビーフシチュー④
鍋がコトコトと音を立てている。
レセルダは食器棚を開いた。
ここは修道院なので質素倹約な生活が望まれる。しかし、昔はそれなりの規模を誇ったところだったのか、設備は意外としっかりしている。
食器についても、豪奢なものはなくとも素朴で可愛らしい食器がたくさん並んでいた。
「ビーフシチューといったら白の陶器? 温かみのあるブラウンの食器もいいかしら。意外と落ち着いたグレーブルーも合うかも」
レセルダはしばらく悩んでお皿を選び、鍋のところへ戻る。
厨房のテーブルでお茶を飲んでいたティンビーは、いつの間にか脱力してテーブルに突っ伏し、うとうとしていた。ダークグレーの襟足がさらりと首筋を撫でる。
なかなかの油断ぶり。それだけ疲れているのだろう。
レセルダは仕方ないとため息をついた。
「で、闇落ちしそうですって?」
「……うん」
食器を置いて、ティンビーに声をかける。
ティンビーはとろりと眠たそうに呟いた。
「つかれた……」
「はい」
「くそつかれた……」
「お疲れ様です」
暗部という職務の性質上、詳細は語れないのだろう。ティンビーはその後も何度か「つかれた」と繰り返した。
レセルダもゆっくりとひとつひとつに相槌を打った。
「……」
ティンビーは無意識か、甘えるように突っ伏した腕の中からレセルダを見上げる。
レセルダはそれに気づかないふりをして、ビーフシチューをお皿によそった。
無視するのは優しさである。相当気が抜けている。どうせ後で思い出して一人羞恥でジタバタするのだ、この男は。
ティンビーは振り返らないレセルダにちょっと拗ねたように口を尖らせて、語り始めた。話しても問題ない範囲の話だけ。
「……聖女イオはな、悪い子じゃないんだよな」
「そうでしょう。だから国が大々的に獲得に動いたわけですから」
王妃にするというのは生半可なことではない。
ましてやレセルダという内定者を蹴落としてその席に据えるのだ。それだけ聖女の力がもたらす恩恵は大きく、そして本人の資質としても及第点だからそうするのである。
悪影響が大きそうならもうちょっとこぢんまりと……辺境の屋敷に囲って適当に欲しがるものを与えて飼い慣らしたりという政策になるだろう。王妃にまでしたのは利益と期待ゆえ。
ゲームをしていた頃は普通に恋愛ものとして楽しんでいたレセルダだが、裏側にこうまで壮大な茶番があったとは。
まあそうでないとどこの馬の骨とも知れない女の子が国の中枢に入れるわけがないのだが。
つらつらと考えるレセルダの後ろで、ティンビーが「んあ〜」とジタバタし始めた。
「あ〜〜俺はなんで安易にあのキャラ路線でいったんだ〜〜! 聖女イオと接するのがつらい。聖女イオと接するときの俺の態度がつらい。もうセリフのレパートリーがない」
「ティンビー様のチャラめな口説き文句がハリボテなことは界隈で有名だから大丈夫ですよ」
「界隈とは?」
もちろん乙女ゲーム界隈である。
まあレセルダのおかしな発言に慣れたティンビーは、特に追求せずに続けた。
「もうアル一人で良くないか? アルが婚約者におさまったんだしさぁ。あと本当に聖女イオのあの庶民感覚は早く治してほしい。アルの評判に関わるんだよ! 回り回って俺が苦労するんだよ! アルの婚約者におさまった自覚を持て!!」
「ティンビー様が王太子大好きで拗らせてて、王太子に迷惑をかけるたびに笑顔の裏でイラついていることは界隈で有名だからちょっとくらい本性出しても大丈夫ですよ」
「界隈ってなに??」
突然だが、ヤンデレとは二面性が美味しいキャラである。
普段はヤンデレではないのだ。普段からヤンデレだったらただのヤバいやつなので。
ティンビーの場合、表面上はチャラついた女好きっぽい態度をとっている。まかり間違ったら「子猫ちゃん」とか言い出しかねない感じ。
なお、以前間違って「子猫ちゃん」と言ったあとは一人で「うおお〜」と身悶えていたので、まあまあ恥ずかしく思いながらやっているらしい。
そうじゃなくとも、本人は意識してムードメーカー的なポジションを取りに行っているようだ。
柔和ながらも少々お堅い王太子の隣で、情報収集をしたり、バカをやることで王太子を引き立てたり、いざという時は宥め役に回ったり、色々と便利なのだそう。
まあ、その分王太子の悪口を聞かされることもあり、「アイツ殺そうかな…」とストレスを溜めている様子が散見されていたりもした。
「本当に自分の首を絞めながら生きている男ね」
「急に罵倒するのやめて」
レセルダは思う。ずっと無理をしているからこそ、歪んでヤンデレになるんだろうなと。
「不憫な男」
「さっきからすごい罵倒される」
「事実よ。痩せ我慢がお好きだなんて奇特なご趣味ね」
くすくすと笑うレセルダに、ティンビーはムッとして肩を揺らした。
「じゃあどうしろって言うんだよ……」
「黙ってビーフシチューをいただけばいいわ」
ことりと、皿とテーブルが鳴る音がする。
テーブルにはランチョンマットが敷かれ、その上には白を基調としたダークグレーの装飾が縁を彩る皿に丁寧に盛られたブラウンのシチューが湯気を立てている。
続けて、その隣にパンを入れた小皿が置かれた。
次に木製のスプーンとフォークが並ぶ。
最後に、お茶のおかわりを注いだコップがことり。
「ほら」
レセルダはティンビーの向かいに着席した。
ティンビーはおずおずと体を起こす。
改めて見下ろせば、ティンビーの前には丁寧に配膳されたビーフシチューがある。ぐぅとティンビーの腹が鳴った。
ティンビーは誘われるままにスプーンを手に取り、ビーフシチューを口に含む。
とろりと優しい口当たり。けれどじっと具を噛み潰せば野菜と肉汁が溶け込んだ豊かな風味がいっぱいに広がった。
メインのごろごろと大きな肉は、柔らかいながらも弾力がある。舌で潰せるほど柔らかいのも良いが、きちんと噛み締めて食べる肉は満足感と食べ応えがあった。
「……っ」
ひとしきり肉を噛み、飲み込み、ティンビーはほうと柔らかく息をついた。
「おいしい……」
染みるような心地だった。
ティンビーが一息ついて正面のレセルダを見ると、レセルダはまだ食事に手をつけていない。
両手を組んで目を閉じ、祈っていた。そうしているとシスター然としている。
ティンビーは、ハッとした。
「……俺も祈った方がいい?」
「どちらでも。私はシスターだから食前に祈るだけですわ。馴染みのある仕草だからすぐに身につきました。シスターになってよかったことのひとつね」
レセルダは言い終わると、やっとビーフシチューに手をつける。
上品に食器を使って食べる仕草は、まだ令嬢のようだ。
レセルダはほふほふと大きな肉を噛み締め、時間をかけて飲み込むと、ティンビーに言う。
「我慢にもしどころがありますのよ。例えば、もう少し待てばビーフシチューがとろとろに煮込めるというなら、ちょっとくらい我慢してあげてもいいの」
「……ふふ」
ティンビーはただほんの少しだけ笑った。




