山バイソンのビーフシチュー②
ティンビー・カースター。
王太子の側近であり、この乙女ゲームの攻略対象キャラの一人である。まあ、ヒロインには選ばれなかったみたいだが。
彼は一言でいうならば、ヤンデレ枠である。
「疲れすぎて病みそう……」
「病むにはちょっと遅かったですわね」
「は? いつもは『まだ早いですわ』とか言ってるだろ?」
「来るべき時がもう過ぎたのです。あなたの闇堕ち優待シーズンは聖女イオ様の騒動の真っ最中」
「お買い得みたいに言うな」
適当を言うレセルダを、ティンビーが振り返った。その手には血塗れの刃物を握っている。
レセルダが「ビーフシチューが食べたいので、その山バイソンを解体して」と頼んだからだ。
それにしても、なんと血に塗れて刃物を手にするのが似合う男だろう。もともと色気のある顔が頬に跳ねた血によって凄みを増している。
レセルダは心の中で「ゲームのスチルで見たな」と思った。相手は山バイソンではなかったが。
「こんなもんか」
「解体、終わりました?」
「ちゃんとはしてない。使うところをくり抜いただけ」
「あら勿体ない。シスター長なら綺麗に全部使いますわ。貴重なお肉ですもの」
「このデカさの魔物の解体は冒険者もできる奴少ないぞ。何者だそのシスター」
そんなツッコミを入れながら、ティンビーが大きなブロック肉をよこしてくる。
レセルダはそれを清潔な布に包んで、受け取った。
これならお昼食だけじゃなく、しばらく分の食事になりそうだ。今夜、シスター長と保存食に加工しようとレセルダはほくほくだ。
残った山バイソンの死骸も、保存の魔法をかけておく。シスター長に処理方法をあおごう。
ティンビーはそんなレセルダを少し奇妙なものを見る目で見下ろした。
「なんです?」
「いや……。というか、俺は対人専門。いきなり襲われたから殺したけど、本来魔物なんか相手にするかよ」
「そういえば、今日のシスター長は近隣で暴れる山バイソンの討伐で出かけたんでした。きっと入れ違いになったのですね」
「まじで何者だよそのシスター」
シスター長はただのシスターだ。穏やかで経験豊かな老女である。
レセルダは肉を持って修道院の玄関へ入り、ティンビーを振り返った。
「あがっていかれませ。お昼食をご馳走します」
「……シャワーも貸してもらえる?」
「もちろんですわ」
疲れた客人には休む椅子を、血に濡れた客人にはシャワーを。悪役令嬢には新しい生活を。この修道院は誰も拒まない。
***
さて、レセルダは仮にも公爵家の令嬢であった。そのため、攻略対象たちとは普通に幼い頃から面識があってしまったりする。
例えばこのティンビー・カースター。
王太子の幼馴染にして側近、裏では諜報・暗殺などの後ろ暗い技術も仕込まれている、なんともキャラモリモリな男だ。
おそらく、密かな護衛要員でもあったのだろう。王太子とは幼い頃からずっと一緒にいた。
レセルダは王太子の元婚約者である。婚約者として王太子とは必要な分だけ交流を重ねており、そうすると王太子とセットのこの男とは自動でお互いに顔見知りになる。
まあ王妃というのは王の一番の臣下とも言える。同じ未来の王様を支える臣下同士、妙なライバル意識などもあったりした。
そのせいで、なんとなく人となりなどは察せられてしまう。
彼は、完璧王太子の横でちょっとチャラついた態度を取って色々な調整なんかをしつつ、その裏で暗殺諸々から常に王太子を守り、同時に王太子の良き幼馴染・友人であり続ける。それらを同時にこなしてみせるのだから間違いなく優秀だ。
しかし、だからと言うべきか実はと言うべきか、とんでもない意地っ張りである。ストレスをめちゃくちゃに溜めるタチだ。しかも職務上誰にも話せずにいるし、ストレスで自爆するなど言語道断。
結果として、立場が近くてなんとなーく察せてしまったレセルダがふわっとガス抜きをしてやることがたびたびあった。
おかげでストレスが溜まると自分からレセルダのもとへやってくるようになったのだ。今回もそうだろう。
「シャワーありがとう」
「どういたしまして」
血を洗い流したティンビーを、レセルダは野菜を切りながら出迎えた。
トントンとまな板の上で軽やかに包丁が音を立てる。この数ヶ月で料理の基礎は学んでいるので、その手つきに危うさはない。
野菜は少々不恰好でごろごろと大きめだったが、それもまた味だろう。
ティンビーはそんなレセルダを、また奇妙なものを見るような顔で見た。
レセルダがもの言いたげなティンビーに視線を向けると、彼は誤魔化すように喋り出す。
「っ、あの聖女イオの騒動中に俺まで病んだら、ただでさえトラブルばっかだったのに収拾つかなくなるだろ。下手すると国が傾くんだが」
「そういうシナリオなので」
「は??」
病んだら国が傾くことをするつもりらしい。そして実際にゲーム内のバッドエンドで国を傾けさせているので笑えない。
ティンビーがまた呆れ顔になった。
「お前、ほんとにいつも変なことばっか言うよな」
「そういうティンビー様はチャラ優雅な顔して意外と等身大な男子高校生っぽいですわ」
「は?」
ゲーム内ではキラキラあるいは闇落ちしていたイメージの彼だが、接してみると案外等身大でもある。
「……」
「なんですか?」
「いや、なんというか、印象変わったよな」
「修道服ですか? いいでしょう、私は何を着ても似合いますもの」
レセルダは包丁を一度置き、くるりと回ってみせた。レセルダが着ているのは普通の修道服だ。足元までを覆う黒いワンピース、ウィンプルを頭に被り、胸元を覆うギンプだけが白い。
ティンビーが複雑そうな顔でそれを見る。
「……なんかいろいろ、さっきから戸惑ってる」
「というと?」
「ドレスより露出も少ないし体型もわからないのに、修道服ってお前が着るとなんか、むずっとする。庶民的なことをお前がやるのもなんというか……」
「あら、令嬢が落ちぶれた姿に興奮するなんて高度なご趣味ですわね」
「なッ……」
カッと赤面するティンビー。
まるで多感な男子高校生のようだ。というか、年齢としては男子高校生で間違いないのでただ年相応なのだろう。
年頃らしく、仮にも女子にエロいことを考えているなどと指摘されて認められないらしいティンビーは、わたわたと誤魔化しにかかった。
「違う! か、髪、おろしたんだな」
「はい。あの髪型はさすがに一人じゃできません。侍女の腕が良かったのです。放っておくと私の髪はくるくるしちゃうのでここに来てからはくるくる放題ですわ」
「癖っ毛も可愛いよ」
「……」
「……」
沈黙が流れた。
ティンビーはテーブルに両肘をついて項垂れた。長めの襟足に隠れたうなじが真っ赤だ。
「忘れて」
「自分で言って照れないでください」
「忘れろ。つい、クセというか」
クセで口説いたらしい。
ふぅんとレセルダはにやついた。揶揄い甲斐のある男だ。
「聖女イオ様にはもっと歯の浮くようなセリフをおっしゃってませんでした? なんでしたっけ、『おてんばだな、綺麗な黒髪に葉がついているよ』……褒め言葉が髪ばかり。ティンビー様って髪フェチですの?」
「あれはだなぁ! あれは国からハニートラップかけろって言われてたからだろ! 隣の国の王族まで出張ってくるから俺みたいなのまで口説くハメになったんだぞ!」
「まあ、聖女獲得戦は苛烈でしたからね」
そう、あの乙女ゲームは、裏に壮大な政治が絡んだ聖女という不思議で反則的な力の獲得戦争だった。




