山バイソンのビーフシチュー①
「コンフォートフードが食べたい」
レセルダはふぅと物憂げに息をついた。
コンフォートフードとは、食べ慣れたホッとするお料理のことだ。要するにソウルフード・故郷の食事・おふくろの味である。
意味のわからぬ料理に囲まれて数ヶ月、レセルダは食べつけた味に飢えていた。
「別にペチャカチャが悪いわけではありません。間違いなく美味。しかし結局あれはなんなんですの……?」
一度食したにもかかわらず、なんならむしろシスター長と一緒に作る工程から関わったというのに、レセルダにはいまだペチャカチャがわからない。なんだったのだろう。
「でも私、よく考えたら自分のコンフォートフードが何なのかもよくわかりません」
レセルダはふむと首を傾げた。今のレセルダは修道服を着ているので、頭につけたウィンプルとふわふわのラベンダーアッシュの髪が重ために揺れる。
レセルダの半生はまあまあな大変さだった。
まず生まれてすぐに前世の記憶というものを思い出したのでまあまあやらかした。馴染むのに苦労したのだ。言葉を覚えられなかったり、前世のご飯が食べたいと騒いだり。
あまりの奇行に悪魔憑きを疑われたことすら何回かある。そのせいで教会に預けられたり、魔法塔に預けられたりした時期もちょっとだけあった。当然預けられたらそこで出てくるお料理を食べた。
その後、努力の甲斐あってなんとか人並みの常識を獲得。そこからは子供の脳のポテンシャルと大人の経験則に物を言わせて成長した。
成長しすぎて王太子との婚約者候補筆頭まで成り上がった。成り上がってしまった。この間、王太子と交流を重ねるために王宮料理を食した。
そこからは勉強勉強の毎日である。未来の王妃に相応しいようにと、あっちへ行きこっちへ行き、礼儀作法交渉術ダンス芸術魔法歴史地理計算エトセトラ。いろんなところへ行ったのでいろんなものを食べた。
そして、社交デビューしてからは定番貴族メニューの数々。
何が言いたいかと言うと、レセルダの前世を含めたライフステージごとの食事内容の変化は振り幅が大きい。
どれを自分の一番ホッとする味とするか、非常に難しい問題であった。
「どうせなら、一番ホッとするお料理を見つけたいですね」
こうして、レセルダのコンフォートフード探しが始まった。
***
さて、こんな片田舎の修道院だが、片田舎ゆえに周囲の小さな村の寄り合い所のような役割も果たしている。役割としては、修道院よりも教会に近い。
シスター長は穏やかかつ経験豊かな老女で、そのために周囲の村からいろいろと頼りにされていた。昼間は大抵修道院を空けている。
よって、お昼食はレセルダだけ。
「なにを作ろうかしら」
というよりも、レセルダには何が作れるだろうか。
レセルダは元公爵令嬢である。料理なんかしたことがなかった。
最近はシスター長を手伝って料理も洗濯も掃除もするが、まだまだできるのは教えられた範囲のみ。教えられていない料理なんか作れない。
あるいは、前世の記憶をたどれば何かしら作れるかもしれないが。
レセルダは修道院の慎ましい食糧庫を眺めた。
慎ましいといっても高級食材の類がないというだけで、その顔ぶれは豊かだ。鮮度もいい。
そもそも優秀な国家運営陣のおかげで、この国は食が豊かなのだ。
「ニンジン、玉ねぎ、トマト、キノコ、ブロッコリー、バター、小麦粉、赤ワインがほんの少し、香草類、屑野菜、油……」
指先でひとつひとつ数えていく。
レセルダはふむと口元に指を添えた。
「あ、この前シスター長がご近所さまからいただいてきたデミグラスソースもありましたわ」
デミグラスソースといったらなんだろう。貴族料理から家庭料理、前世の料理でもよく耳にしたものだ。
連想できるものはたくさんある。オムライス、ハンバーグ、ビーフストロガノフ、エトセトラ。
「なにか、今一歩……」
どれも懐かしい料理のはずだが、今の気分にはピンとこない。同時に、レセルダの知識では作れないものも多い。
レセルダが長考していると、呼び鈴が鳴った。
「あら」
レセルダは腰を上げる。
シスター長のいない修道院を預かる身だ。この時間の近隣の方の困りごとはレセルダが預かる。
レセルダは玄関へと向かった。
誰も拒まない大きな扉を開いて、訪ね人を迎える。
「こんにちは。シスターブランは外しておりますので、代わりにこのシスターレシーが賜りますわ……」
さて。
玄関の先には、巨大な影があった。
全ての足を投げ出して地に横たわっているのに、その胴体はレセルダの腰まであるような厚み。背中が大きく隆起した独特の骨格、全身を覆う剛毛。
かと思えばその首は綺麗に切り取られており、まだじわりと鮮血を滲ませていた。
そして、その傍らに青年が立っている。
レセルダと同年代の、しかし横の巨体と並ぶと細く見える美しい青年だ。
ダークグレーの髪は少々襟足が長く、さらりと肩に流れる。グレーの瞳は涼しげで、目元の泣きぼくろが色っぽく、顔の輪郭もシャープ。出てきたレセルダによこす視線はどこか流し目のような色を孕みながらも、その奥には闇が見え隠れしていた。
なにより、その手には巨大な角を持つ偶蹄目の首が掴まれている。本人は甘い顔立ちの優男なのになんと凶悪に見えることだろう。
レセルダは、しかしそれを見た瞬間に閃いた。
「ビーフシチュー」
そう、ビーフシチューだ。デミグラスソースを使った本格的で濃厚なものが食べたい。
思いついてしまえば、今すぐ食べたくなってくる。
片や青年は、そんなレセルダに呆れたように眉尻を下げた。
「お前、相変わらずだな、レセルダ」
「あら、失礼致しましたわ」
レセルダはにっこりと笑顔を作る。修道服が映えるようにわざとらしく手を組み、レセルダは祈りのポーズで嘯いた。
「ここは迷える者を導く修道院。どのようなご用件も無碍にはいたしません。この度はどうされたのですか?」
「……ちょっと、疲れてて……」
「あら、本国の王太子の側近、ティンビー・カースターたるお方でもお疲れになりますのね」
「お前まじ相変わらずだな……」
「とりあえず元気そうで安心したわ……」とティンビーは肩を落とした。




