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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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ボーデン湖畔の雌豚

 時:1930年(昭和五年)、11月

場所:ドイツ・ボーデン湖畔、ドルニエ(Dornier)社迎賓館


 アルプスの水をたたえる美しいボーデン湖。その水面を、巨大な怪鳥が轟音を立てて滑走し、重々しく空へと舞い上がった。

 ドルニエ社の誇る、12発のエンジンを持つ超巨大飛行艇『Do X』である。


「……素晴らしい! 飛んだ! あれだけの鉄の塊が、波を蹴って空へ!」

 迎賓館のバルコニーから双眼鏡でそれを見上げていたのは、日本の川西航空機社長、川西龍三だった。

彼の顔は、まるで新しい玩具を見つけた少年のように紅潮している。


 フランスで「ロレーヌ社」を買収し、念願の大馬力水冷エンジンを手に入れた川西。彼が次に求めたのは、広大な太平洋を飛び回り、アメリカの艦隊をアウトレンジから発見・追尾するための「巨大飛行艇」の技術だった。


 それらの資金を出したのは、もちろん東郷一成の「NCPC債」である。

 だが、この羽振りの良い極東の民間人(の背後にいる日本海軍)を、苦々しく見つめている者たちがいた。


 バルコニーの奥、影に溶け込むように立つ二人のドイツ人。

 再建の途上にあるドイツ軍(国防軍)の強硬派、情報将校たちである。


「……忌々しい。あの黄色い猿どもめ」

 隻眼の少佐が、机の上の報告書を拳で叩いた。


「ヒンデンブルク大統領もシャハト総裁も、目先のドル欲しさに誇りを売り渡した!

 エウムコのプレス機を奪われ、クルップの技術を売り、今度は南部のフリードリヒスハーフェンで、クラウディウス・ドルニエの『巨大飛行艇(Do Xの技術)』まで連中にくれてやるというのか!」


「少佐。相手は『カワニシ』という日本の民間航空機メーカーの社長と技術者です」

 部下の情報将校が答える。

「日本海軍の資金(NCPC債)をバックに、ドルニエの全金属製飛行艇の設計技術を丸ごと買い取ろうとしています」


 少佐は、ギリリと歯軋りをした。

「忘れたとは言わせんぞ。1914年、我々がヨーロッパで血を流している隙を突き、あの卑劣な日本人は我が帝国の誇りである青島チンタオと南洋諸島をかすめ取った。

 その泥棒どもが、今度は救世主の顔をして我々の工場を買い漁っているのだ。……我慢ならん!」


 当時のドイツ軍内部、特に古参の将校たちには、日本に対する「黄禍論」と青島陥落の深い怨念が燻っていた。


「ああ。あのカワニシという男、飛行機のことになると周りが見えなくなる単純な技術屋のようだ。……あの男の弱みを握り、契約の主導権をこちらに取り戻す」


「トーゴーには仕掛けないのか?」


「馬鹿を言え。アメリカのONI(海軍情報局)が奴にハニートラップを仕掛けて、逆に女装で返り討ちになった挙句、15億ドルを持ち去られたという報告書を読んでいないのか?

 奴は隙がない。だが、この民間の社長なら……今夜のレセプションの後が狙い目だ」


 将校は、一枚の写真を取り出した。

 金髪碧眼、豊満な胸と陶器のような白い肌を持つ、絶世の美女。

「『メリッサ』を、メイドとしてカワニシの部屋へ行かせる。酒に睡眠薬を混ぜ、ベッドでの『決定的な写真』を撮る。……古典的だが、東洋人の男には一番効く」



 深夜。

 ボーデン湖畔の高級ホテル。

 川西龍三の泊まるスイートルームの前は、静まり返っていた。


 メイド服に身を包んだ工作員メリッサは、ルームサービス用の銀のトレイに、極上のドイツワインとグラスを乗せて廊下を歩いていた。

 彼女のコルセットの中には、小型のライカ・カメラと、睡眠薬の小瓶が隠されている。


(東洋の成金社長。チョロい仕事ね)

 彼女は妖艶な笑みを浮かべ、扉をノックしようと手を挙げた。

 その時だった。


「……目標接近を確認」

 一切の抑揚がない、冷たい声。

 メリッサがハッとして横を向くと、廊下の暗がりから、一人の東洋人の少女が音もなく姿を現した。


 橘小百合。

 海軍の白い第二種軍装を身に纏い、その長い髪を後ろで一つにまとめている。

 その立ち姿は、まるで精密な硝子細工のように美しい。だが、アイスブルーの瞳には感情の光が全くなく、ただメリッサの体温と骨格を観察していた。


「な、何よあなた。私はルームサービスで……」

 メリッサが言い終わるよりも早く。

 小百合は滑るようなステップで距離を詰め、右手をメリッサのメイド服の胸元へ無造作に突っ込んだ。


「ひゃっ!?」

 メリッサが悲鳴を上げる暇もなく、小百合の手はコルセットの隙間から、小型のライカ・カメラと睡眠薬の小瓶を、マジックのように抜き取っていた。


「……不審物、押収完了」

 小百合は、カメラと小瓶を自分のポケットに仕舞い込んだ。


「あ、あなた! 何をするの! 泥棒よ!」

 メリッサはプロの工作員としての顔を剥き出しにし、隠し持っていたナイフを取り出そうとした。


 だが、その瞬間。

 小百合の冷たい手が、メリッサの首筋をふわりと撫でたかと思うと、顎の下の頸動脈洞をピンポイントで、かつ正確な力で圧迫した。


「がっ……!?」

 一瞬の脳虚血。

 メリッサの視界がぐらりと揺れ、膝の力が抜ける。

 彼女の豊満な体が崩れ落ちる前に、小百合は片手でその首根っこを掴み、壁に無造作に押し付けた。


 銀のトレイが床に落ちる。だが、小百合が空いた足の甲でワインボトルをふわりと受け止め、音を立てずに床に転がした。

 一滴のワインも、一ミリの音も立てない、完璧で無機質な暴力。


「……警告」

 小百合は、壁に押し付けたメリッサの金色の髪を鷲掴みにし、その顔を自分の顔の数センチまで近づけた。


「……ひ、ひぃっ……!」

 メリッサは、目の前の東洋の少女の瞳を見て、芯から凍りついた。

 怒りも、憎しみもない。

 あるのはただ、屠殺場に運ばれてきた『規格外の駄肉』を分類するような、底知れぬ冷酷さと軽蔑だけだった。


「……このような不純物を混入させる行為は、許容されていません」

 小百合の声は、機械のように平坦だった。


「貴国の工作レベルは、ワシントンのアメリカ海軍情報局(ONI)の猿以下です。

 アメリカ人は少なくとも、ワインに睡眠薬を混ぜるような下品な真似はしませんでした。彼らは自らの魅力ハニートラップだけで勝負しようとする、おめでたいプライドがありました」


 小百合は、メリッサの顎をギリリと持ち上げた。


「……それに比べて、貴方たちは何ですか?

 誇り高き大ドイツの軍人が、日本の民間の技術者に、薬を盛って写真を撮る?

 ……まるで発情した豚の交尾を盗み見ようとする、低俗な見世物小屋です」


 その「養豚場の豚を見るような目」に、メリッサは恐怖で失禁しそうになった。

メリッサの喉が、ひゅう、と掠れた。


 目の前の女は、怒鳴らない。殴りもしない。

 脅迫の言葉すら、淡々としている。


 なのに――だからこそ、恐ろしかった。


 ドイツ軍情報部で訓練を受けた彼女には分かる。

 激情で動く人間は、まだ扱いやすい。恐怖も欲望も、交渉材料になる。


 だが、この東洋の女は違う。


「……さて」

 小百合は、失禁寸前で震えるメリッサを壁に固定したまま、静かに続けた。


「質問します。誰の命令ですか」


「……し、知らない……っ」

「虚偽」


 即答だった。

 その瞬間、小百合の指先が再び首筋へ触れる。

 今度は頸動脈洞ではない。鎖骨の内側、迷走神経へ極めて軽く圧迫を加える。


「っ、ぁ……!」


 メリッサの全身から力が抜けた。

 心拍が急激に乱れ、吐き気と寒気が同時に襲ってくる。

 殴打ではない。拷問ですらない。人体の“停止スイッチ”だけを、精密に押されている。


「……もう一度」

 小百合の瞳は、ガラス玉のように冷たかった。

「誰の命令ですか」


「……ぼ、ボーデン湖地区……国防軍連絡班……」

「担当将校名」


 メリッサは唇を震わせた。言えば終わる。

 だが言わなければ、この女は本当に、自分を解体して分類しかねない。


「……ヴァルター少佐……」

「ありがとうございます」


 小百合は、まるで受付嬢のように丁寧に頷いた。

 クルリと踵を返し、何事もなかったかのように川西龍三の部屋の前の警備位置に戻った。

 その背中は、美しい球体関節人形のように、一切のブレがなかった。



場所:ドイツ・ボーデン湖畔、ドルニエ社迎賓館


 調印式のテーブルには、最高級のシャンパンと、1,500万ドル(約6,000万ライヒスマルク)の小切手が用意されていた。

 ドルニエ社の幹部たちと、立会人のドイツ政府高官たちは、今か今かと日本側のサインを待っていた。


 だが、東郷一成少将はペンを持とうとはしなかった。

 彼は懐から、昨夜小百合が押収した、ライカの小型カメラと睡眠薬の小瓶を取り出し、テーブルの中央にコトリと置いた。


「……ミスター・ドルニエ。そしてドイツ国防軍の皆様」

 東郷の声は、氷点下の静けさを帯びていた。

「我々は、軍人同士の騙し合いには慣れています。しかし、我が国の純粋な民間人であり、技術者である川西社長に対し、このような三流の手口を使われたことは、極めて遺憾です」


 ドルニエ社長の顔から、さーっと血の気が引いた。

「と、東郷少将! これは一体……! 私は何も知ら……!」


「ええ、社長がご存じないことは承知しております。ですが貴国の一部の方々には、我々を対等なビジネスパートナーとして扱うだけの『知性』と『品格』が欠けているようだ」


 東郷は、同席していたドイツ軍の情報将校たちを一瞥した。彼らは青ざめ、視線を泳がせている。


「軍人が民間の商談に泥を塗る国に、1,500万ドルの大金を投じるほど、我々は寛容ではありません。

 ……川西社長、帰りましょう。この国には、我々が求める『空』はないようです」


「ええ。こんな陰湿な連中と組んで、良い飛行機が造れるはずがない」

 川西龍三も、不快感を隠さずに立ち上がった。


 東郷は小切手帳を懐にしまうと、唖然とするドイツ人たちを残して、一瞥もくれずに部屋を後にした。

 その背後で、小百合が冷たい目で情報将校たちを見下ろし、静かに扉を閉めた。



 迎賓館を出た黒塗りの高級車の車内で、東郷一成は、呆れたようにため息をついた。

「……で、小百合君。その女性工作員をどうしたね?」


「首の頚動脈を圧迫し、恐怖心による精神的制圧を付与したのち、廊下に投棄しました。

 対象は大の字になって失神後、自力歩行が困難な状態に陥っていましたが、命に別状はありません」


「……」

 川西龍三が、引きつった笑いを浮かべた。

「あのさ、小百合さん。相手は一応、ドイツの金髪の美女なんだよね?

 もうちょっとこう、手心を加えるというか……」


「手心?」

 小百合は小首を傾げた。その表情は、本気で意味が理解できないという顔だった。


「対象の性別や容姿、年齢は、脅威判定には含まれません。任務の障害は、すべて同等に処理します。

……豚を解体する際に、豚の容姿を気にする解体業者がいますか?」


「お、おう……そうだな……」


「……しかし、困りましたね」

 低い声だった。小百合が静かに続ける。

「ドルニエの全金属飛行艇技術は、本物です。

 特に応力外皮構造と波浪制御データは、太平洋用飛行艇には喉から手が出るほど欲しい。代替候補は、皆ドイツほど完成度は高くありません」


「だが、“信用”は技術より重い」


 その東郷の即答で、車内が静まった。


 川西龍三も、ようやく理解し始めていた。

 東郷一成という男は、

 単に技術を買っているのではない。


 “制度”を見ている。


 どれだけ優秀な工作機械があろうと。

 どれだけ巨大な飛行艇を造れようと。


 国家が、企業が、軍が、契約を守れないなら。

 その技術は、最終的に必ず裏切る。



 時:翌日

場所:ドイツ・ボーデン湖畔、国防軍連絡所


 昨日まで「東洋の猿」と日本を嘲笑っていた隻眼のヴァルター少佐は、今、自らの執務室で蒼白になって震えていた。

 彼の目の前には、ベルリンから急行してきた憲兵隊の将校が立っている。


「……ヴァルター少佐。貴官を『国家反逆罪』および『重大な国益損壊』の容疑で拘束する」


「な、なんだと! 私はドイツの誇りを守るために……!」


「誇りで飯が食えるか!!」

 憲兵将校は、少佐の胸ぐらを掴み上げた。


「貴様の下らないプライドのせいで、国防軍の予算が削減されることになったんだぞ!

 シュライヒャー閣下は激怒しておられる。

 『あの馬鹿のせいで、我々はまた外国に土下座して借金を頼みに行かねばならなくなった』とな!」


 少佐は憲兵たちに両脇を抱えられ、引きずり出された。

 彼の軍人としてのキャリアは、ここで完全に終わった。

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豚は屠殺場へ行け!(ジョインジョインサユリィッ!)いやぁ試合よりも過酷な撮影でしたね。ひでぶっ! フランスとかいう裏切り蝙蝠ほんとひどかったですからね、一成の警戒レベルも上がろうというものだ。 でも証…
ヴァルター少佐の最期に嘘涙(まだ物理的に死んでないけど) それにしても小百合さん、情け容赦無さすぎ(メリッサがもう少し反抗的だったら、お肉屋さんに並べられても仕方ない状態になっていたかも)某・超一流…
ナチスもだけど、国防軍も結構ヤバい集団だったんだよな。なんなら戦争好きという点ではナチスよりも上だったかも。
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