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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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205/209

エイプリルフールの戦艦

 時:1930年(昭和五年)、4月

場所:ワシントンD.C. イタリア大使館


 駐米イタリア大使デ・マルティーノは、目の前に提示された契約書を見て、笑いが止まらなかった。

 ファシスト党の党歌を歌い出したい気分だった。


「……素晴らしい。実に素晴らしい提案だ」


 デ・マルティーノは、契約書の条文を指でなぞった。


『物件:ワイオミング型練習用浮体構造物 2基(旧ワイオミング、旧アーカンソー)』

『条件:主砲塔の旋回機構の一部封印(※修復可能)、および一部装甲の撤去』

『価格:2,400万ドル+600万ドル(裏金)』


「ドゥーチェ(ムッソリーニ)も大喜びでしょう。

 地中海のバランスは、フランスに傾きすぎていましたからな。

 この『練習船』があれば、我々の水兵はさぞかし良い訓練ができることでしょう」


 アメリカの国務次官は、苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「……あくまで『練習用』だ。戦闘任務には使わないという誓約書にサインを」


「ええ、ええ。もちろん」

 大使はサラサラとサインした。

 (戦闘任務に使う時は、『自衛のための緊急措置』と言えばいいだけのことだ)


 大使は、小切手を渡した。

 日本海軍がばら撒いたNCPC債をBIS経由で換金して作ったドルだ。

 つまり、アメリカは「日本がイタリアに払った金」で「自国の戦艦」を売ったことになる。


 大使は、帰り際に言った。

「……それにしても、アメリカも変わりましたな。

 かつては『平和の守護者』だったのが、今や『リサイクルショップの親父』のようだ」



場所:ロンドン、フリート・ストリート(新聞街)


 英国の新聞各紙は、この上なく楽しそうだった。


 『タイムズ』紙の一面には、困り顔のアンクル・サム(アメリカの擬人化キャラクター)が、巨大な戦艦の船腹に脚立で登り、ペンキ缶を抱えて悪戦苦闘している風刺画が載っていた。  


 船体には元々『USS WYOMING ― BATTLESHIP(戦艦ワイオミング)』と書かれていたが、アンクル・サムは『BATTLESHIP』の文字を二重線で消し、その上に震える手で『FISHING BOAT(釣り船)』と書き込んでいる。  


 甲板からは12インチ砲の巨大な砲身が6基12門、不機嫌そうに突き出ている。


 キャプション:「不況下の新ビジネス:アメリカ流 ―― "釣り船"にしては、少々大きな竿をお持ちで」


 同日の『デイリー・メール』紙は、社説でこう書いた。


「アメリカ合衆国は、8年前のワシントンにおいて、世界に向かって軍縮の福音を説いた。条約を書き、比率を定め、各国の軍艦の数まで数えて、"平和の番人"を自任した。 だが今やアメリカは、自分が書いた条約の隙間を這いずり回り、旧式戦艦を『浮体構造物』と言い張ってイタリアに売り飛ばそうとしている。


 もっとも、アメリカのこのような行為を、我々英国人が道徳的に非難する資格があるのかどうかは、議論の余地がある。何しろ我々も同じ会議場で、日本に潜水艦を売った挙句論破されたばかりなのだから」



場所:ワシントンD.C.、駐米フランス大使館


 駐米フランス大使ポール・クローデル(詩人としても名高い知識人外交官)は、記者会見の席で爆弾を投下した。


「――質問にお答えしましょう。ええ、アメリカがイタリアに戦艦を売ろうとしていることは承知しております」


 記者団がペンを構える。


「彼らはあの12インチ砲搭載の堂々たる戦艦を、『練習用浮体構造物(Mobile Training Hulk)』と呼んでいるそうですね。なるほど。アメリカ人の想像力には脱帽いたします」


 クローデルは、グラスを傾けた。


「そこで、フランス政府として一つ提案がございます。もしアメリカが戦艦を『浮体構造物』と呼んで売れるのであれば、我がフランスも、シャンパーニュ産の発泡ワインを 『ブドウ由来の栄養ドリンク(Nutritional Beverage of Grape Origin)』 と呼びまして、禁酒法下のアメリカに堂々と輸出させていただこうかと存じます。合法でしょう? なにしろ、ワインではありませんからね」


 記者団が爆笑した。翌日の欧州各紙は、このコメントを一斉に報じた。


 『フィガロ』紙は社説でこう付け加えた。


「軍艦を浮体構造物と呼ぶ国の言葉を、誰が信じるだろうか? 彼らは次に、空母を『大型ヨット』、潜水艦を『深海観測装置』とでも呼ぶつもりか」



場所:ワシントンD.C. 海軍省・計画課


 ヒューズ作戦部長は、新聞の風刺画を切り抜いてファイルに挟みながら、クック大佐と向き合っていた。


「……欧州のメディアは大喜びだな。我々は世界の笑い者だ」


「笑われるのは構いません。問題は、売れたとして金がどこへ行くかです」

 クックが、分厚い予算法の条文集を開いた。

「大佐。仮にワイオミング型2隻をイタリアに売却して3,000万ドルを得たとしても――」


「知っている。言ってくれ」


「連邦法上、軍の資産売却益は一般歳入として財務省に編入されます。海軍省が独自に使える財源にはなりません」


 ヒューズはコーヒーカップを持ち上げかけて、そのまま机に戻した。

「……つまり、売っても金は議会の手に渡り、大恐慌の失業対策に消える」


「はい。フーヴァー大統領の優先事項はRFC(復興金融公社)への資本注入と農業救済です。軍艦を売って得た3,000万ドルが仮に財務省に入っても、議会がそれをポーター型駆逐艦の建造費に回してくれる保証はゼロです。むしろ、ゼロに限りなく近い」


「じゃあなぜ、我々はこの茶番を続けているんだ?」


 クックは眼鏡を押し上げた。

「2つ理由があります。第一に、維持費の削減。ワイオミング型2隻の年間維持費は、合わせて約250万ドルです。これを海軍予算から削除できるだけで、ポーター型1隻分の建造費に近い額が浮きます。乗員の再配置もできます」


「250万ドルか……。焼け石に水とまでは言わんが、茶碗で嵐を掻い出すような話だな」


「第二の理由は、これです」


 クックは、前日の下院軍事委員会の議事録を差し出した。

「ヴィンソン議員(下院軍事委員長)が、売却案を聞いて激怒しました。『海軍が戦艦まで売らなければならないほど追い詰められているのに、議会は何をしているのだ!』と。……結果として、海軍予算の緊急増額案の審議入りが早まっています」


 ヒューズは目を見開いた。

「……なるほど。戦艦を売ることが目的じゃない。『売らねばならないほど海軍が困っている』という政治的メッセージを議会に叩きつけることが目的か」


「はい。実際に売るかどうかは二の次で、『アメリカ海軍はもう戦艦すら維持できない。このままでは太平洋の覇権を完全に日本に渡すことになる』――この恐怖を議会と国民に突きつけるための、一種の政治パフォーマンスです」


「なるほどな」

 ヒューズは、ようやくコーヒーを口にした。冷め切っていた。

「つまり我々海軍は、自分たちの恥を全世界にさらけ出すことで、議会の財布の紐を緩めようとしている」


「そういうことです。……史上最も屈辱的な予算獲得戦略ですが」



場所:ニューヨーク州ハイドパーク、ルーズベルト邸


 フランクリン・D・ルーズベルトニューヨーク州知事は、車椅子ごと書斎の窓辺に寄り、ハドソン川を見下ろしていた。


 眼前のテーブルには、秘書が集めた新聞の切り抜きが並んでいる。『タイムズ』の風刺画。フランス大使の「栄養ドリンク」発言。ローマからのムッソリーニの大笑いの詳報。


『米海軍、旧式戦艦2隻をイタリアに売却か ―― ロンドン軍縮会議、条約体制崩壊の危機』

『日本、建造中の航空母艦をオランダに移管する構え ―― 英国、論破さる』


 そして社会面には、日本海軍の炊き出し終了(4月1日)を嘆く市民の声。


 FDRはロンドンの『タイムズ』紙の風刺画を見て、手元のジン・トニックを吹き出しそうになった。


「……ブッ! ……ハハハ! ハハハハハ!!

 『フィッシング・ボート』だと!? 12インチ砲を積んだ釣り船か!

 クジラでも撃つのか? それともリヴァイアサンか?」


 FDRの目が、スッと冷たくなった。隣室にいた妻を呼んだ。

「……エレノア」

 

「何? フランクリン」


「すまないが、州の炊き出し事業を指揮しているハリー(・ホプキンス)に電話をつないでくれ。すぐにだ」


 数分後。受話器を取ったルーズベルトの声は、州知事のものではなく、将来を見据えた政治家のそれだった。


「ハリー。『タイムズ』は読んだか? ……ああ、イタリアの件だ。フーヴァーのバカどもが、とうとう戦艦まで質屋に入れ始めた。見ろ、アンクル・サムのこの情けない顔を。


 かつて『マニフェスト・デスティニー(明白なる天命)』を叫んだ国が、今や『在庫一掃セール』の看板を下げて、中古の戦艦を叩き売っている。

 ……しかも、買い手はあのムッソリーニだぞ?」


 受話器の向こうで、ホプキンスが何かを言った。


「分かっている。直接的には我々の管轄ではない。だがハリー、これは1932年(大統領選)に向けた最高の弾薬になる。……いいか、よく聞け」


 ルーズベルトは、車椅子の肘掛けを叩いた。


「フーヴァー政権は、海軍を破産させた。世界最強だったアメリカ海軍が、旧式戦艦をイタリアの独裁者に叩き売りしなければ駆逐艦すら作れない。……これは共和党の失政そのものだ。1932年の選挙演説で使わない手はない」


 ホプキンスの返答。ルーズベルトは眉をひそめた。


「……ああ、そうだ。イタリアの件も問題だ。だが、そっちのほうが厄介だ」


 FDRは、カレンダーを見た。

 1930年4月1日。エイプリルフール。


「そして、最悪のタイミングだ。

 日本海軍は、この『戦艦売却騒動』のクライマックスに合わせて、4か月間の炊き出しを終了した。

 ……東郷君は、演出家としても超一流だよ」


 FDRは、想像するだけで身震いした。

「考えてもみろ。

 新聞には『政府、戦艦を売って3,000万ドルをゲット!』という見出しが躍る。

 その同じ日の朝、給食所に並んだ国民はこう言われたんだ。

 『今日から日本海軍のシチューはありません。政府の配給(泥水)をどうぞ』と」


 電話の向こうで、ホプキンスが青ざめる。

『……『戦艦を売った金があるなら、俺たちに肉を食わせろ!』と』


「その通りだ!」

 FDRは車椅子を叩いた。


「国民は思うだろう。

 『日本人はタダで肉をくれた。俺たちの政府は戦艦を売って大金を手に入れたのに、俺たちには何もくれない』

 ……このコントラストだ。

 東郷は、あえてこの時期まで炊き出しを引っ張ったんじゃないかと邪推したくなる」


 FDRは、空になったグラスを見つめた。

「……ヒューズ提督は、戦艦を売って予算を得るだろう。

 だが彼が得るのは予算以前に『国民の呪詛』だ。

 『軍艦を維持する金があるならパンをよこせ』という、究極の反軍感情だ」



 時:数ヶ月後

場所:フィラデルフィア海軍工廠・予備役艦艇係留地


 雨が、錆びついた戦艦の甲板を濡らしていた。

 レイモンド・スプルーアンス中佐とマーク・ミッチャー中佐は、ドックから曳航されていく二隻の巨艦を見送っていた。


 戦艦『ワイオミング』と『アーカンソー』。

 かつて大西洋艦隊の主力だった彼女たちは、今や武装したまま、イタリア海軍の軍艦旗を掲げようとしていた。


「……信じられるか、マーク」

 スプルーアンスは、レインコートの襟を立てながら呟いた。

「俺たちは、ムッソリーニに戦艦を売ったんだ。

 『民主主義の守護者』が、『ファシズムの独裁者』に、武器をくれてやったんだぞ。

 ……それも、たかだか3,000万ドルのために」


「上層部は『賢い商売』だと言ってるぜ」

 ミッチャーが、泥水を蹴りながら吐き捨てた。

「『どうせ条約で潰す予定だったゴミだ。それが金になった』とな。

 その金で、あの『テキサス』を現役復帰させて、新型駆逐艦(ポーター型)を8隻作るそうだ」


 二人は、係留されている戦艦『テキサス』の方を振り返った。

 ニューヨーク型戦艦の2番艦。14インチ砲を持つ、ワイオミング型よりはマシな戦艦だ。


「……安くなったものだな、パックス・アメリカーナも」

 スプルーアンスは、遠ざかっていくかつての自分たちの戦艦を見つめながら静かに言った。

「……この国は、病んでいるな。

 金がないからじゃない。『何が重要か』という価値判断の基準が、根本から狂ってしまっている」


 イタリア海軍の士官たちが、ワイオミングの艦上で歓声を上げているのが聞こえた。

 アメリカ海軍の士官たちは、その声を聞きながら、ただ沈黙して立ち尽くすしかなかった。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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ヴィンソン議員がどう言っても、アメリカ経済が再建するまで海軍費用増やせる方法って既存の維持費削って絞り出すしかないような・・・。仮に出来たとしても、その支出で帝国海軍も儲かる。
フランスはお得意の嫌味発言はあるけと、思ったほど怒ってないような・・・ もしかして今回の件さらに裏があったりして。
もうすぐ歴史に残りそうな炊き出しも終わるか・・・終わった途端に株価がまたガクッといきそうだ。戦艦売った屈辱に塗れても予算は雀の涙程度・・・日本だったら銃弾飛んできそうな光景だな
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