シカゴ・ピアノ
一方その頃アメリカは。
時:1930年(昭和五年)、3月
場所:ワシントンD.C. 海軍省・兵器局(Bureau of Ordnance)
その日の兵器局長室は、春のか細い日差しとは裏腹に、自信と傲慢さが入り混じった熱気に満ちていた。
局長に赴任したウィリアム・リーヒ少将は、机の上に広げられた青焼きの図面を満足げに眺めていた。
そこに描かれているのは、四連装の銃身を持つ、威圧的な対空機関砲。
『1.1インチ(28mm)対空機銃』。通称、“シカゴ・ピアノ”。
「これぞ、アメリカの技術力の結晶です、提督。素晴らしいでしょう」
技術大佐が、胸を張って説明する。
「発射速度は毎分150発。四連装なら600発の弾幕を張れます。
これさえあれば、将来の航空機の脅威など恐るるに足りません。敵機は近づくことさえできずに蜂の巣です」
リーヒは頷いた。
「うむ。見た目も強そうだ。まさにギャングの街のピアノ(トンプソン短機関銃)だな」
当時、アメリカ海軍兵器局(BuOrd)のドクトリンは、
「自前主義(Not Invented Here)」である。
自信にあふれる彼らは自分たちの技術力が世界一だと信じ込み、欧州や日本の技術を軽視していたのだ。
「……ところで」
リーヒは、デスクの隅に追いやられた別のカタログを指差した。
「スイスのエリコン社と、スウェーデンのボフォース社からの売り込みはどうなった?」
技術大佐は、鼻で笑ってカタログをゴミ箱へ放る仕草をした。
「却下しましたよ、あんなオモチャ。
エリコン? 時計屋の作った20mm機銃など、威力不足です。
ボフォース? 北欧の田舎工場に何ができるんです? 彼らの40mm砲はまだ試作段階で、完成すらしていません」
大佐は、シカゴ・ピアノの図面を愛おしげに撫でた。
「それに、我が国の艦隊には我が国の兵器を載せるべきです。
得体の知れない欧州製など、太平洋の荒波には耐えられません。兵站の負担になるだけです」
リーヒも同意した。
予算が厳しい折だ。国内の産業(コルト社など)に金を落とすのが筋というものだろう。
彼らは信じて疑わなかった。
アメリカの工業力が生み出すこの兵器こそが、最強の防空システムであると。
⸻
時:1931年(昭和六年)
場所:バージニア州、ダールグレン海軍試験場
「……撃てッ!!」
号令と共に、試作型のシカゴ・ピアノが火を噴いた。
4本の銃身から放たれる28mm弾が、空を引き裂く。
その様は確かに勇ましく、ピアノを叩くようなリズミカルな連射に見えた。
――最初の5秒間だけは。
ガチン。
不快な金属音が響き、射撃が唐突に止まった。
「……ジャム(装弾不良)か!?」
リーヒが叫ぶ。
試験員たちが慌てて駆け寄る。
4本の銃身のうち、2本が詰まっている。残りの2本も過熱して湯気を上げている。
「だ、駄目です! 薬莢が膨張して抽筒できません!
それに信管が過敏すぎて、砲口を出た瞬間に自爆しています!」
「再装填しろ! 急げ!」
だが複雑怪奇な給弾機構は、焦った兵士の手には負えなかった。クリップが噛み合わず、またしてもジャムる。
さらに悪いことに、過熱した銃身の交換作業はパズルを解くように難解で、とても戦闘中にできるものではなかった。
1時間のテスト中、まともに稼働したのはわずか数分。
残りの時間は、詰まった弾を取り除く作業に費やされた。
「……なんだこれは」
リーヒは、頭を抱えた。
テストは散々な結果だった。
重すぎる。振動が激しくて照準が定まらない。そして何より、肝心な時に弾が出ない。
「ピアノどころか、ただの鉄屑じゃないか。
……これでは『ジャミング・ジェニー(すぐ詰まる女)』だ」
隣にいた航空局のモフェット提督が、冷ややかに言った。
「……リーヒ君。こんなものを空母に積むつもりか?
敵機が急降下してくる最中に、『ちょっと待ってくれ、弾が詰まった』と言って許してもらえるとでも?」
リーヒは脂汗を拭った。
欠陥品だ。
威力不足を補うために無理に口径を大きくし、
発射速度を上げようとして複雑になりすぎて、実戦には耐えられない。
改良するにも、基礎設計からやり直す必要がある。
「……報告書にはどう書きますか?」
「『改良の余地あり』だ。……今さら『失敗作でした』なんて言えるか。予算をいくら使ったと思ってるんだ」
だが、彼らの脳裏には不安がよぎっていた。
もし、このポンコツが直らなかったら? 代わりの銃はあるのか?
「……欧州製だ」
リーヒは、苦渋の決断を下した。
「この際、プライドは抜きだ。使えるものなら何でもいい。
スイスのエリコンと、スウェーデンのボフォース。
……あそこなら、もっとマシなものを作っているはずだ。すぐに連絡を取れ! ライセンス生産の交渉だ!」
部下が慌てて走り去った。
リーヒは天を仰いだ。
恥を忍んで外国に頭を下げる。だが、背に腹は代えられない。
⸻
時:数日後
場所:ワシントンD.C. 海軍省・兵器局長室
リーヒの元に、欧州に打電した部下が真っ青な顔で戻ってきた。
その手には、スイスとスウェーデンからの返信電報が握りしめられている。
「……どうした? 金額が折り合わんのか?
多少高くても構わん。メロン財務長官を説得する」
「い、いえ。金額の問題ではありません……」
部下は、震える声で報告した。
「……売れない、そうです」
「何だと? 我々はアメリカ合衆国海軍だぞ! 最高の顧客じゃないか!」
「それが……」
部下は、絶望的な事実を告げた。
「エリコン社からの回答です。
『弊社製品のアジア・太平洋地域における製造・販売に関する独占的権利は、すでに他社に譲渡済みです』」
「……誰にだ?」
「……『日本帝国海軍』です」
リーヒは、椅子から転げ落ちそうになった。
「な、なんだと……!?」
『エリコン・ブールレ社、日本海軍と資本提携。アジア・太平洋地域における独占製造・販売権を日本側に譲渡』
リーヒは、電報を凝視した。
「……なんだこれは。
太平洋での独占権だと? ……じゃあ、我々が太平洋艦隊の船にエリコンを積むには、日本の許可がいるのか?」
「法的には、そうなります」
法務官は脂汗を流した。
「エリコン社は『大西洋艦隊向け』なら売ってくれると言っています。
ですが、その銃を積んだ船がパナマ運河を越えて太平洋に入った瞬間、日本側は『商圏侵害』として提訴する構えです。
またエリコン社の株式の40%を日本が握っているため、彼らは我々への販売を『いつでも拒否できる』立場にあります」
「……馬鹿な。つまり、我々は……。
太平洋で日本と戦うためには、このポンコツ(シカゴ・ピアノ)を使うか、
あるいは日本海軍に頭を下げて『ロイヤリティ』を払ってエリコンを使わせてもらうか、
そのどちらかしかないと言うのか!?」
部下は、とどめの一撃となる調査報告書を差し出した。
「さらに、ボフォース社からも同様の回答です。
『40mm機関砲の新型(後のボフォース40mm L/60)』の開発資金は全額日本が出資しており、その特許権の半分と、優先製造権は日本側にあります。
……米国への輸出には、日本側の承認が必要です』」
リーヒは、窓の外を見た。
ポトマック川の向こう、日本大使館の方角。
そこには、SKFやBISのついでに次世代の対空砲を買っていった東郷一成がいる。
「……東郷」
リーヒは、呻くようにその名を呼んだ。
「貴様は……我々の艦隊に『特許』という名の『見えない機雷』をパナマ運河の出口に仕掛けていったのか……!」
史実では、アメリカ海軍は開戦後に慌ててエリコンとボフォースを大量生産して対空火力を強化した。それが勝利の鍵となった。
だが、この世界線では。
アメリカがライセンス生産を頼もうにも、その契約書には「日本のハンコ」が必要なのだ。
強引にコピーしようにも、特許侵害で訴訟を起こされれば、今の「法を遵守する(ふりをしている)」国務省は腰が引けるだろう。
何より、「仮想敵国が事実上のオーナーである外国会社から兵器を買う」などという屈辱を、今の議会が認めるわけがない。
「……詰んだ」
リーヒは、机の上のシカゴ・ピアノの模型を払い落とした。
模型は、バラバラに壊れた。
アメリカ海軍の防空能力はこの日、開戦を待たずに「敗北」した。
彼らが頼れるのは、ジャムった機銃をハンマーで叩いて直す、水兵たちの根性だけとなったのである。
FDRとの電話で、リーヒは力なく報告した。
「……フランク。悪いニュースだ。
我々の対空火器は、ピアノの演奏会には使えるかもしれないが、戦争には使えない。
そして、まともな武器を売っている店は……すでに日本が買い占めて『貸切』の札を掛けてしまったよ」
⸻
時:1932年(昭和七年)、2月
場所:中国・上海、黄浦江
魔都・上海の朝霧を切り裂いて、一隻の軍艦が入港してきた。
その艦影は、列強の海軍士官たちが集うバンド(外灘)のクラブからでもはっきりと確認できた。
日本帝国海軍、一等駆逐艦『吹雪』。
だが、それは彼らが知る『吹雪』ではなかった。
「……おい、あれを見ろ」
米国アジア艦隊旗艦、重巡洋艦『ヒューストン』の艦橋で、当直士官が震える声で指差した。
入港してきた『吹雪』は、異様な威圧感を放っていた。
船体は艶消しの軍艦色に塗られ、煙突からは完全燃焼した薄い煙しか出ていない。
だが、最も異様なのは「砲塔」だった。
従来の箱型砲塔ではない。角が取れ、スマートになり、そして砲身が天を突くように高く(85度)上がっている。
「……高角砲か? いや、あの口径は5インチ(12.7cm)だ。
駆逐艦の主砲を、全部高角砲にしたのか?」
その時、上空を中華民国軍の偵察機が低空で通過した。
挑発か、あるいは単なる航路ミスか。
瞬間。
『吹雪』の砲塔が動いた。
ギュンッ!
機械的な駆動音と共に、三基六門の砲塔がまるで生き物のように一斉に旋回し、砲身が航空機を追尾した。
その動きは人力のハンドル操作ではあり得ないほど速く、そして滑らかだった。
「……RPC(遠隔動力操作)だ」
砲術長が、呻くように言った。
「あんな駆逐艦に、電気油圧式のサーボを積んでいるのか?
我々の戦艦でさえ、まだ実験段階だというのに……!」
アジア艦隊のチャールズ・B・マクベイ司令長官は、自軍の旧式水上機を見上げ幕僚に問いかけた。
「我が軍の飛行機が、あいつに近づけると思うか?」
「無理です。
さらに甲板には、スイス製のエリコン機銃が増設されています。
……対する我が軍の対空火器は、大戦の遺物の3インチ砲と、歩兵用の重機関銃(M2)だけです」
長官は僚艦に目をやった。
そこには予算不足で整備もままならない、錆の浮いた平甲板型駆逐艦(ウィックス型・クレムソン型)が群れている。
通称「四本煙突」。
波に弱く、居住性は最悪。乗員たちは「豚小屋」と呼んで忌み嫌っている。
「……おい。もし今、戦争が始まったらどうなる?」
幕僚は正直に答えた。
「虐殺になります。
日本の『特型』1隻に対し、我が軍の平甲板型なら3隻……いや、4隻でかかっても返り討ちに遭うでしょう。
射程、速力、凌波性、砲力。全てのスペックで負けています」
長官は、手すりを殴りつけた。
「予算だ! ワシントンは何をしている!
『シカゴ・ピアノ』はどうした! 新型駆逐艦の建造計画はどうなっている!」
「……予算が降りません。
シカゴ・ピアノは開発難航中で、価格が高騰しています。
新型駆逐艦も、数が少ないのでアジア艦隊には配属されてきません」
そこへ、日本の駆逐艦から発光信号が送られてきた。
『貴艦隊ノ、温カイ歓迎ニ感謝ス』
その信号灯の点滅さえも、目が眩むほど鋭い光に感じた。
「……歓迎だと?あれは『獲物の品定め』だ」
マクベイ長官は、部下に命じた。
「本国に打電しろ。
『アジア艦隊は、現有戦力では日本の“水雷戦隊”に対抗不能。
開戦となった場合、我々はマニラを捨てて即座に逃亡する以外に選択肢なし』とな」
1930年代。
太平洋の波の上では、条約という名の紙切れ一枚を隔てて、「日本の最新鋭艦」と「アメリカの骨董品」が、残酷なまでに対照的な姿を晒していたのである。
いつもお読みいただきありがとうございます。次回はヨーロッパ。
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