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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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水面を滑る翼、あるいは走る監視塔

ロレーヌ買収の影響です。少し時が進みます。

 時:1930年(昭和五年)、春

場所:東京・霞が関、海軍艦政本部・第四部


 その部屋にはガソリンと潮の匂いが混じったような、新しい時代の戦争の気配が満ちていた。


 机の上に広げられているのは、フランスから届いたばかりの「ロレーヌ・ディートリッヒ」液冷12気筒エンジンの青焼き図面。そして、それを搭載する小型艇の設計図だ。


 囲んでいるのは、軍務局長の堀悌吉、造船の鬼才・藤本喜久雄、そして海軍航空技術廠から招かれた魚雷開発のエース、成瀬弘なるせ・こう技術少佐である。


「……なるほど。航空機のエンジンを船に積む、か」

 堀は、図面を見ながら唸った。

「フランス海軍の『VTB』がモデルかね?」


「ええ、ですが中身は別物です」

 藤本が、興奮気味に解説する。


「ロレーヌのエンジンは素晴らしい。1基で600馬力、過給機付きならそれ以上。軽量でコンパクト。

 これを2基積めば、排水量20トンの艇体で40ノット(時速約74km)は確実に出ます。

 ……駆逐艦すら止まって見える速さです」


「だが、船体はどうする? 木造か?」


「いえ、アルミです」

 藤本はニヤリとした。

「東郷大佐がスリナムから送り込んできているボーキサイトと、鶴見の電気で精錬したジュラルミンを使います。軽くて強い。

 まさに『水上の航空機』です」


 堀は頷き、隣の成瀬少佐に向いた。

「それで、成瀬君。君が血眼になって開発している『航空魚雷』だが……。

 空中での姿勢制御に難航していると聞くが?」


 成瀬は、苦渋の表情で頷いた。

「はい。空中で回転してしまい、着水時の衝撃でジャイロが狂うのです。

 実験を繰り返したいのですが、航空機からの投下試験は金も時間もかかりすぎて……」


「ならば、こいつで撃ちたまえ」

 堀は、魚雷艇の図面を叩いた。


「この艇には、君と同じ『45cm魚雷』を搭載する。

 魚雷艇隊を作って、毎日毎日、海面で実射訓練を行わせるのだ。

 そうすれば、ジャイロの信頼性データは山ほど取れるし、工場の生産ラインも安定する」


 成瀬は目を見開いた。

「……なるほど! 航空隊の予算を使わずに、水雷屋の予算で魚雷のテストができる!

 これなら完成を早められます!」


 堀は満足げに頷いた。

 だが、彼の真の狙いは「攻撃」だけではなかった。

「藤本君。もう一つ、注文がある」


 堀は鉛筆で図面のエンジンを一つ消し、代わりに巨大な燃料タンクを描き込んだ。

「エンジンを1基に減らし、空いたスペースを全て燃料タンクにした『長距離型』を作ってくれ」


「……は? それではアルミ合金を使っても速力が30ノット程度に落ちますが……何に使うのです?」


「『監視』だ」

 堀の目が、冷徹に光った。


「本土の遥か沖合に展開する、特設監視艇隊だ。

 これまでの計画では、民間の漁船を徴用して並べるつもりだった。


 だがあんな速力10ノットも出ないような木造のボロ船では、敵の艦隊を見つけた瞬間に逃げられもせず撃沈される。

 貴重な漁民を無駄死にさせるのは、制度債、ひいては海軍の信用にかかわる」


 堀は、太平洋の地図を指差した。

「だが、この『ロレーヌ艇』ならどうだ?

 巡航で数千キロを走り、敵を見つけたら30ノットで退避できる。

 米軍の巡洋艦でも、荒天でなければそうそう追いつけん速さだ。

 走りながら無線を打ち、確実に情報を持ち帰ることができる」


 藤本は、息を呑んだ。

「……生存性の高い、哨戒線ピケット・ライン

 民間人を盾にするのではなく、プロの海軍軍人が、高性能な機材で守る監視網ですか。漁船のように単艦で太平洋にバラ撒くのではなく」


「そうだ。哨戒線に到着後、艇を海面に下ろし母艦を中心に扇状に展開させる。燃料が減れば母艦に戻って給油すれば良い」

 堀は、悪戯っぽく付け加えた。


「それにこのエンジンは、川西航空機もライセンス生産する。

 飛行機と船で部品が共通なら、前線でも整備兵の教育も楽だ。


 東郷の財布(制度債)から出た金と資源で、航空産業と造船産業の両方を潤し、最強の魚雷を完成させ、本土防衛の目まで確保する。

 ……一石四鳥だな」



 時:翌月

場所:横須賀沖、魚雷発射試験場


 海面を、銀色の矢が疾走していた。

 魚雷艇から発射された「試作魚雷(後の九一式魚雷)」である。


 航空技術廠の成瀬弘少佐は双眼鏡を下ろし、信じられないという顔で隣の藤本造船大佐を見た。

「……真っ直ぐだ。定規で引いたように真っ直ぐ走っている」


 成瀬はここ最近、航空機からの投下試験で魚雷がスピンし、水面で跳ね、あるいは深海に突き刺さる失敗ばかりを見せつけられてきた。

 だが今目の前にあるのは、完璧な雷跡だ。


「当たり前だよ、成瀬君」

 藤本は、ブラジルのサントス豆で淹れたコーヒーを飲みながら笑った。


「魚雷艇の甲板は、水面からわずか1メートル。射出速度は40ノット。

 ……これなら、着水衝撃なんて無いに等しい。

 君が苦心している『空中での姿勢制御』も『着水時の強度』も、船から撃つなら関係ない」


 成瀬は、膝を打った。

「……そうか。我々は難しく考えすぎていた。

 『航空用』として完成するのを待つ必要はない。

 今の段階でも、この魚雷は『世界最高性能の魚雷艇用魚雷』なのですね!」


「その通り。だから……」

 藤本は、背後の工場を指差した。

「量産しよう。航空用の安定翼が完成するまで待つ必要はない。

 まずは魚雷艇用に、エンジンと弾頭を何千本と作るのだ。

 ……職人たちに、この魚雷の癖を骨の髄まで叩き込ませる」


 成瀬は、震える手でデータを書き留めた。

「航空機を飛ばして危険なテストを繰り返す必要はない。

 これからは、このロレーヌ魚雷艇から毎日何十本でも実射して、内部の角加速度制御器ジャイロの基礎データを完璧に熟成させる。

 それが終わってから、最後に『木製の安定翼(框板)』をつけて飛行機から落とせばいいのだ!」


 この後、九一式魚雷の生産ラインは「フル稼働」に入った。

 航空機用魚雷として完成する数年前に、すでに日本海軍は、その心臓部と爪を大量に保有することになったのだ。



 時:1930年(昭和五年)、秋

場所:兵庫県、川西航空機・鳴尾工場


 その日工場の一角は、まるで異界の神殿のような静謐さに包まれていた。


 運び込まれたのは、フランス・ロレーヌ社のアルジャントゥイユ工場から解体・移送されてきた、数百トンの工作機械群である。


 社長の川西龍三と技術部長の竹崎は、一台の巨大な機械の前で息を呑んでいた。


「……これが、『カムシャフト研磨機』ですか」

 竹崎が、恐る恐るその鈍色の筐体に触れる。


 スイス・ソシエテ・ジュネーブ(SIP)社製の治具中ぐり盤。

 ドイツ・マーグ(Maag)社製の歯車研磨機。

 そして、フランス製の専用計測器。


 これらは本来、日本が10年後に血眼になって探し求め、それでも手に入らないはずの「未来の遺産」だった。


 川西航空機の若きエンジニア、菊原静男は震える手でその中の一台に触れた。


 『ナクサス・ウニオン(Naxos-Union)製・曲軸研磨機』


 クランクシャフトを、ミクロン単位の精度で自動的に研磨する機械だ。

「……信じられん。フランス人は、こんな機械を使っていたのか」


 隣にいたベテランの職工長が、不満げに鼻を鳴らした。

「はん。機械なんぞに任せておけるか。クランクの微妙なアールは、俺たちのヤスリと油砥石の感覚で出すもんだ。機械仕事じゃ、魂が入らねえよ」


 そこへフランスから派遣されてきたロレーヌ社の技師、バルバルーが通訳を介して声をかけた。

 彼は職工長が持っていた「手仕上げのクランクシャフト」と、機械で削り出したばかりのシャフトを並べた。


「ムッシュ。あなたの仕事は芸術品だ。美しい」


 バルバルーは敬意を込めて言った。

 次の瞬間、その声は冷徹な技術者のものに変わった。

「だが、戦争には芸術品はいらない。必要なのは工業製品だ」


 バルバルーは、二つのシャフトを「ヨハンソン・ゲージブロック(基準寸法器)」に当てた。

 職工長の手仕上げ品は完璧に見えたが、図面より0.05ミリ太かった。

 機械仕上げ品は、誤差0.005ミリ以内。


「あなたの手仕事は素晴らしいが、1本仕上げるのに3日かかる。そして、このシャフトは『このエンジンの、この軸受』にしか合わない。交換が効かない。

 だがこの機械なら、1日に10本削れる。そしてどのエンジンのどの軸受にも、無調整でスポリと入る」


 職工長は顔を赤くして反論しようとした。

「だが、耐久性は……!」


「機械の方が上だ」

 バルバルーは断言した。

「均一な研磨は、応力の集中を防ぐ。手仕事の微細なムラが、高速回転時に破断の原因になるのだ」


 川西龍三は、機械の銘板を見た。

 そこには『Property of Imperial Japanese Navy(日本帝国海軍所有)』の真新しいプレートの下に、製造年『1928』の刻印がある。


「……社長」竹崎が震える声で言った。

「我々が今まで『熟練工の神業』と呼んでいたものは、欧米ではただの『設備の欠如』だったのですね」


「ああ、そうだ」

 龍三は、悔しさとそれを上回る歓喜で身震いした。

「中島飛行機は、まだ職人の腕でエンジンを組んでいる。

 だがウチは……今日から『工業』をやるぞ」


 川西は、東郷一成と堀悌吉の顔を思い浮かべた。

 あの男たちは、2,000万ドルで会社を買ったのではない。

 「日本の航空産業がこれから流すはずだった10年分の血と汗と無駄金」を、先払いして消し去ったのだ。



 時:1931年(昭和六年)、秋

場所:横須賀・長浦湾沖合


 海面を切り裂くような甲高い爆音が、静かな湾内に轟き渡った。

 猛烈な白波を立てて滑走してくるのは、全長20メートルに満たない小型のボートだ。


 『第一号型魚雷艇』


 日本海軍が初めて本格的に量産した、ロレーヌ・エンジン搭載の高速艇だ。

 その速力は42ノットを記録。


 波を蹴ってジャンプするたびに、銀色のジュラルミンの船体が太陽に輝く。

 視察に訪れた軍令部次長・末次信正は、その圧倒的なスピードに唖然としていた。


「……速い。速すぎる。

 これなら、敵戦艦の懐に一瞬で飛び込めるぞ」


 そして、艇の左右から発射された45cm魚雷が、美しい直線を引いて標的艦に吸い込まれていく。

 量産効果で品質が安定した九一式魚雷の弾道は、定規で引いたように正確だった。


「……使える。これは使えるぞ!」

 末次は、子供のようにはしゃいだ。


「堀! これを量産しろ! 100隻、いや200隻だ!

 南洋の島陰にこいつを隠しておけば、米艦隊など恐るるに足らん!」


 その横で、堀は静かに水平線を見つめていた。

 彼の視線の先には、さらに遠く、黒潮の彼方に展開するであろう「長距離監視艇」の姿があった。


 同じ頃。横須賀のドックでは、奇妙な船の艤装が進んでいた。

 第一号型魚雷艇の船体だが、本来2基搭載されるはずの水冷12気筒1160馬力ロレーヌ・エンジンが、1基しか積まれていない。


「……よし、空いたスペースに燃料タンクを増設しろ!」

 監督する将校が指示を飛ばす。


 エンジン1基分とギアボックスで浮いた1トン以上の重量余裕。それは全て「航続距離」と「生存性」に振り向けられた。

 そして船首には、スイスから購入した「エリコン20ミリ機銃」が睨みを効かせている。


「速力は30ノット(約55km/h)に落ちるが、これと母艦を組み合わせれば、太平洋のど真ん中まで足を伸ばせる」


 将校は、完成しつつある「単発・長距離型ロレーヌ哨戒艇」の分厚い無線機マストを見上げた。

 これを母艦に載せれば、哨戒線に立つ乗員たちは「捨て石」ではなくなる。


 敵に見つかっても、30ノットの高速でジグザグに逃げ回りながら、確実に敵の位置を報告して生還できる「死なない小鳥」へと生まれ変わったのだ。


 (……アメリカさん。

 悪いが、我々の玄関チャイムは、漁船の鐘よりも少しばかり音が大きいぞ。

 こっそり空襲をかけようなんて考えは、捨てた方がいい)

いつもお読みいただきありがとうございます。


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