日本帝国の下請け工場
時:1930年(昭和五年)、3月
場所:ロードアイランド州、海軍大学校・ウォーゲーム・センター
その日、海軍大学校の大講堂には巨大な太平洋の地図が広げられていた。
毎年恒例の戦略演習「オレンジ・プラン(対日戦)」のシミュレーションである。
集まった提督たちの鼻息は荒い。ワシントンでの予算不足の鬱憤を、この盤上の戦争で晴らそうとしていたからだ。
「……第3艦隊、真珠湾を出撃! マーシャル諸島へ直行し、日本艦隊を捕捉する!」
作戦側の提督が、長い指揮棒で戦艦の駒を威勢よく進める。
審判役の教官が、淡々と尋ねた。
「提督。艦隊の速力は?」
「20ノット! 全速だ!」
その様子を、観戦席にいた米海軍兵站局長のウィリアム・リーヒ少将は、冷めた目で見つめていた。
彼の隣には、ONI(情報局)から出向してきた若い士官がいる。
「……リーヒ少将。彼らは本気ですか?」
若い士官が囁く。
「本気だよ。彼らの頭の中ではな」
リーヒは、手元のメモ(現実の兵站データ)を見た。
そこには、東郷一成によって書き換えられた「現実」が記されている。
民間高速貨客船: 535型16隻、マトソン4隻、フーバー2隻が日本へ売却済み。主力は10ノット程度の欧州大戦で大量建造された「ホグアイランダー(Hog Islander)」に頼らざるを得ない。
海軍予備役給油艦: 予算不足で整備不良、稼働不能。
主力民間造船所: 日本のABSD(巨大ドック)建造で手一杯。
盤上では、米艦隊が快進撃を続けている。
だが、審判役が再び口を開いた。
「提督。マーシャル諸島到着時点で、駆逐艦隊の燃料が枯渇します。洋上給油が必要です」
「うむ。随伴の給油艦隊より補給を実施!」
提督は、盤上の隅に置かれた「給油艦コマ」を無造作に動かした。
そのコマの数は、規定通り「必要数」が揃えられている。
リーヒは、思わず天を仰いだ。
(……その給油艦は、どこから湧いてきたんだ?)
現実には、そんな給油艦は存在しない。
だがこのウォーゲームのルールでは、「兵站部隊は、開戦と同時に魔法のように出現する」という前提が置かれているのだ。
「……茶番だ」
リーヒは呟いた。
「彼らは『日本海軍』と戦っているんじゃない。『理想的な環境の自分たち』と遊んでいるだけだ。
現実の海では、艦隊はハワイを出て3日目でガス欠になり、漂流するところを日本の潜水艦にカモ撃ちにされるというのに」
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時:翌週
場所:ニューヨーク州ハイドパーク、ルーズベルト邸・テラス
ハドソン川を見下ろすテラスで、三人の男が冷えたレモネードを囲んでいた。
だが、彼らの会話は氷のように冷え切っていた。
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)。NY州知事。
ヘンリー・モーゲンソー・ジュニア。NY州農業諮問委員長(後の財務長官)。
ウィリアム・リーヒ少将。海軍兵站局長(後の統合参謀本部議長)。
テーブルの上には、ハースト系新聞の扇情的な見出しが踊っている。
『スティムソン、売国! 海軍の魂をスープ一杯で売る!』
『ヒラリー・ジョーンズ提督、ロンドンで孤立無援の闘い!』
「……見てくれ、ビル(リーヒ)。これぞ『アメリカン・デモクラシー』の末路だ」
FDRは、氷を噛み砕くように言った。
「ロンドンでは、国務長官と海軍顧問が世界の代表の前で喧嘩をしている。
ワシントンでは、財務長官と作戦部長が古道具(軍艦)の売値を巡って殴り合いをしている。
そして国民は、日本海軍のシチューを啜りながらその茶番劇を新聞で読んでいる。
……シェイクスピアでも、こんな酷い脚本は書かんぞ」
リーヒ少将は、苦渋に満ちた顔で新聞を握りしめた。
「……ジョーンズ提督の気持ちは分かります。
『金がないから負けを認めろ』と言われて、はいそうですかとサインできる軍人はいません。
ですが……」
「ですが、何だ?」
FDRはONI(海軍情報局)の知人から内密に入手したレポートを、不自由な手でテーブルに広げた。
「……闘争心は立派だが、見たまえ、ビル(リーヒ)。
日本海軍が購入した5基の巨大ドック(ABSD)。その配置予定図だ」
リーヒは眼鏡をかけ直し、図面を覗き込んだ。
「……トラック島に1基。これは想定内です。前進基地用でしょう。
だが、残りの4基は……呉、横須賀、佐世保、大湊?」
リーヒは絶句し、思わずグラスを落としそうになった。
「なんてことだ。彼らはこれを前線用ではなく、『本土海軍工廠の拡張ユニット』として使う気か!」
「どういうことだい?」農業と建築が専門のモーゲンソーが尋ねる。「修理工場が増えるだけじゃないのか?」
リーヒは苦渋に満ちた顔で解説した。
「違うんだ、ヘンリー。
軍艦を作るには『乾ドック』や『船台』という巨大な設備が必要だ。これを作るには土地の買収から掘削まで、数年かかる。
だが日本はアメリカ製の浮きドックを『完成品』として買って、工廠の横にポンと浮かべるつもりだ。
そうすれば艤装や改装工事は浮きドックでやり、陸のドックは『新造』だけに専念できる。
……つまり日本の造船所の回転率が、物理的に倍速になるんだよ」
モーゲンソーは呆れ果てて口を開けた。
「……我々の民間造船所が、ライバルの生産設備を倍増させてやっているわけか。
……代金は?」
「もちろん、即金だ」FDRが皮肉な笑みを浮かべた。
「しかもメロン財務長官は、輸出許可証に喜んでサインをしたそうだ。
『海軍の老いぼれ(ヒューズ作戦部長)が嫌がる顔が見たい』という、ただそれだけの理由でな」
「……子供の喧嘩で、国の安全保障を売るのか」
リーヒは呻き、頭を抱えた。
さらにFDRは、別の写真を提示した。
日本の地方の工事現場の写真だ。そこには見慣れた形状のトラクターと、発電機が写っている。
「ビル、これに見覚えはないか?」
「……M1917軽戦車と、リバティ・エンジン……?」
リーヒは目を疑った。
「なぜ、米陸軍の装備が日本の土木現場にあるんだ!? これも輸出したのか?」
「マッカーサーが売ったんだよ」
FDRは肩をすくめた。
「『武装解除した払い下げ品』としてな。陸軍も金がない。倉庫のゴミが現金に変わるなら、相手が誰でも構わんのさ。
日本側は『優秀な牽引車と動力源だ』と喜んでいるそうだよ。
……おかげで日本の外地の飛行場建設と電力事情は、アメリカ陸軍のお下がりで劇的に改善されている」
モーゲンソーがこめかみを揉みながら整理した。
「待ってくれ、フランク。頭が痛くなってきた。
アメリカの造船所が、日本の造船能力を倍増させ。
アメリカの財務長官が、私怨でそれを許可し。
アメリカの陸軍が、日本のインフラ整備に機材を提供している。
……我々は一体、どこの国の味方なんだ?」
FDRは、レモネードのグラスを掲げた。
その瞳には深い絶望と、それを超えた冷徹な決意の炎が宿っていた。
「我々は将来、『民主主義の兵器廠』になるはずだった。
だが現実はどうだ?
我々は今、『日本帝国の下請け工場』だ」
FDRは、東の空を睨みつけた。
「東郷一成という男は、戦争をする気などないのかもしれん。
彼はただ、アメリカという国を『金で動く便利な自動販売機』として使い潰すつもりなのだ。
……そして今の我々には、コイン投入口を塞ぐ手段すらない」
リーヒは、拳を握りしめた。
「……我々が政権を取ったら、すぐに止めさせます。こんなふざけた出血大サービスは」
「ああ、止めさせるとも」
FDRは頷いた。
「だが、その頃には……日本はもう、我々の助けなど必要としない怪物に育っているかもしれんがな」
FDRはそう言うとワシントンの方角――ホワイトハウスのある南を指差した。
その指先は、怒りで小刻みに震えていた。
「そして何より! ハーバート・フーヴァー! あんたは何をしているんだッ!!」
FDRの絶叫が、ハドソン川の風に乗る。
「あんたは大統領だろう!? 『軍最高司令官』だろうが!
部下たちが世界中で恥を晒しているのに、なぜ出てこない!?
なぜ『オーバルオフィス』にメロンとヒューズとスティムソンを呼びつけて怒鳴りつけ、一本化しないんだ!?」
ホプキンスが静かに答えた。
「……大統領は『各省庁の自律性を尊重』しておられるようです。
それにハースト系の新聞を敵に回すのを恐れて、ジョーンズ提督を更迭することもできない」
「馬鹿げている!」
FDRは車椅子の肘掛けを叩いた。
「『不干渉』? 『自律性』?
それは平時の贅沢だ! 今は国家の非常時だぞ!
トップが調整能力を放棄したら、巨大組織なんてただの『烏合の衆』だ!!」
ハイドパークの風は冷たかった。
だがその冷たさ以上に、アメリカの中枢を蝕む「セクショナリズム」という名の病魔が、三人の未来の指導者を震え上がらせていた。
海軍は予算を削られ、財務省は信頼を失い、議会は混乱の極みにある。
そしてその混乱の隙間を縫って、日本の輸送船団だけが、満載のモノとカネを積んで、悠々と太平洋を行き来していた。
頭が冷えたFDRは、別の報告書を広げた。イギリスからの情報だ。
「イギリスも酷いものだ。クイーン・メリー号の建造費を借りる代わりに、過去の栄光(戦艦スクラップ)を日本に差し出した。
……米英揃って日本の『制度債』というカジノの中で、身ぐるみを剥がされている」
「フランク。さらに頭の痛い情報があります」
リーヒは、一枚の写真をテーブルに置いた。
それは日本の長崎造船所をスパイが隠し撮りしたものだった。
「……これを見てください。日本が、さらに『フーバー型』の改良型を1隻長崎で起工しました。
電気推進、バルバス・バウ付き。
GEとウェスティングハウスの技師が、現地で指導しています」
「……なんだと?」
「日本は、我々の企業(GEなど)の大株主になった権限を利用して、『技術指導』の名目で失業中のアメリカ人技師と熟練工を大量に雇い入れています。
長崎には今、外国人居留地ならぬ『アメリカ人村』ができているそうです。
彼らは日本海軍の金(NCPC債とそれで稼いだドル)で高給を食み、家族を呼び寄せ、そして……日本の職工たちに、最新鋭の電気推進機関の造り方を手取り足取り教えている」
FDRは天を仰いだ。
「……技術の流出じゃない。
『頭脳の輸出』だ。
アメリカが彼らを食わせられないから、彼らは日本へ渡り、日本の軍艦(商船)を作って家族を養う。
……彼らを責めることはできんよ。悪いのは、彼らを見捨てたこの国の経済だ」
FDRの分析は冷徹だった。
その瞳には、来るべき巨大な公共事業――実質的な「再軍備」への決意が宿っていた。
だが、そのための莫大な予算をどう捻出するか。その答えはまだ、東郷のポケットの中にしかなかった。
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時:数ヶ月後
場所:長崎・三菱造船所 外国人技師居住区
長崎の坂道に、アメリカ風の白いペンキ塗りの家が建ち並んでいる。
そこは、不況のアメリカから脱出した技術者たちが暮らす、奇妙な楽園だった。
GEのタービン技師アルは、夕食の食卓で箸とスプーンを使いながら、妻に言った。
「……信じられないよ、ケイ。
ここの職人たちの飲み込みの早さは異常だ。
俺が図面を引いて説明すると、翌日にはもう試作品が上がってくる。
ピッツバーグの工場の倍のスピードだ」
「でもあなた、彼らが作っているのは……将来、私たちの国に向かってくる船なんでしょう?」
妻が不安げに尋ねる。
アルは窓の外を見た。
ドックでは巨大な貨客船もとい運送艦『海鷹(フーバー級改)』の巨体が、夜間照明に照らされて輝いている。
「……そうかもしれない。
だがな、ケイ。アメリカにいた時、俺たちはゴミだった。
ここでは、俺たちは『先生』だ。給料はドルとNCPC債で満額出る。住宅の家賃補助も出る。
……この国の海軍のボスは、俺たちに敬意を払ってくれているんだ」
アルは、一枚のNCPC債を取り出した。
「俺たちは、技術を売ったんじゃない。『生きる場所』を選んだんだ。
……国が俺たちを必要としないなら、必要としてくれる場所で働く。
それが、アメリカ人のフロンティア・スピリットだろう?」
長崎の夜景の中に英語の笑い声と、日本の作業唄が混じり合う。
その光景は歪で、しかし力強い繁栄の姿だった。
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