溶解する財閥
時:1930年(昭和五年)、1月
場所:ピッツバーグ、メロン・ナショナル・銀行本店・大会議室
「鉄の街」ピッツバーグは、かつてない静寂に包まれていた。工場の煙突から煙は消え、冷たい風が吹き抜けるだけだ。
だが、メロン財閥の総本山であるこの会議室だけは、怒号と悲鳴で沸騰していた。
財務長官アンドリュー・メロンの弟であり、実質的に財閥の指揮を執るリチャード・B・メロンは、各事業部門のトップたちからの報告を聞き、顔面蒼白になっていた。手元にあるのは、兄が推奨する「医療用ウイスキー(税金・手数料込み5ドル)」の空き瓶だけだ。
「……報告しろ。アルコア(Alcoa)はどうなっている?」
アルコアの社長、ロイ・ハントが立ち上がった。彼の顔には、王者の余裕は微塵もない。
「壊滅的です、会長。
ニューヨークの商品先物市場で、アルミニウムの価格が暴落しました。原因は……日本です」
ハントは、一枚のチャートをスクリーンに映し出した。
「日本海軍が、日本の横浜と大阪に建設中の1GW火力発電所。その余剰電力を利用して、大規模なアルミニウム精錬を開始するとの情報が流れました。
彼らの電力コストは、我々の試算では……キロワット時あたり0.5セント以下。
対する我々は、FRBの利上げによる水力発電ダムの建設遅延と、資金調達コストの高騰で、1.2セントを超えています」
リチャードは絶句した。
「……ダブルスコア以上だと? 日本の電気はタダ同然なのか?」
「はい。原料のボーキサイトはオランダ領インド(蘭印)から、燃料の石炭は……皮肉なことに、我々の足元、ウェストバージニアから日本へ輸出されたものです。
日本は『アメリカの石炭』を燃やして、我々の半値でアルミを作ろうとしています。
市場はすでに『アルコアの独占は終わった』と判断し、株を売り浴びせています」
「……待て。つまりこういうことか?」
リチャードはこめかみを押さえた。「医療用」と書かれた琥珀色の液体を煽らなければ、正気を保てそうになかった。
「我々がゴミとして捨てた石炭を日本人が拾って燃やし、その激安の電気でアルミを作り、我々のシェアを奪おうとしていると?」
「……はい。しかも、彼らが使っている最新鋭の発電機……あれは我々が資金繰りのためにGEへの発注をキャンセルした在庫品です。日本海軍がそれをキャッシュで買い叩いて持っていきました」
会議室に、乾いた笑い声が響いた。笑うしかなかった。
「自分の足を食べて太った敵に、殴られている」状態だ。
アルミの王者が、コスト競争で敗北する。それも、自国の資源を使われて。
「……次は、ガルフ・オイルだ」
石油部門の責任者が、苦渋に満ちた顔で口を開いた。
「完敗です、会長。ライバルのスタンダード・オイル社に、シェアを根こそぎ奪われています」
「なぜだ! 品質は互角のはずだ!テキサスの油田は我々も持っているだろう!」
「品質ではありません。『決済手段』です」
責任者は、一枚の契約書の写しを叩きつけた。
「スタンダード社は、日本海軍との取引で『NCPC債』を使っています。
彼らは南米やアジアで石油を売る際、代金をNCPC債で受け取り、それをウォール街で非課税で換金し、為替差益まで得ています。実質的な利益率は我々の倍です。
対して我々ガルフは……」
責任者は、恨めしげにリチャードを見た。
「……言わなくても分かる」
リチャードは呻いた。
「我々は『合衆国財務長官の家族企業』だ。
兄さんが『NCPC債は怪しい』と言っている手前、我々がそれを使って節税するわけにはいかん。
あくまでドルで受け取り、バカ正直に法人税を払い、為替リスクを被るしかない……」
「その通りです!
業界では『世界一正直な(=馬鹿な)石油屋』と笑われています!
スタンダードの連中は、日本の軍艦に給油するたびにボーナスが出ているのに、我々は給料カットです!」
リチャードは頭を抱え、空になった「医療用ウィスキー」の瓶を凝視した。
兄はマフィアを潰して国の金庫を潤しているが、そのあおりで実家の金庫は穴だらけだ。
兄の「政治的地位」が、一族のビジネスを殺している。
「財務長官の会社」であるがゆえに、もっとも儲かる「脱法的な錬金術(東郷システム)」に手を出せない。
「……そして、銀行は?」
メロン・ナショナル銀行の頭取が、死刑囚のように立ち上がった。彼はもう気力さえ残っていないようだった。
「……貸し剥がし(コール)の実行により、地元ピッツバーグの中小鉄鋼メーカー、機械工場……約30社が、今週だけで倒産しました」
「……回収はできたのか?」
「いいえ。担保である工場や土地を競売にかけましたが、買い手がつきません。誰もドルを持っていないからです」
「なら、不良債権の山じゃないか!」
「……いえ、訂正します。買い手は一社だけいました」
頭取は、震える声で言った。
「日本海軍のダミー会社(日本商工省の息がかかった商社)です。
彼らは我々が差し押さえた最新鋭の旋盤やプレス機を、スクラップ同然の価格で買い叩いていきました。
支払いはドルですがその原資は……もちろん、NCPC債です」
リチャードは天井を仰いだ。
兄のアンドリューが唱える「清算主義(腐った企業は潰せ)」を忠実に実行した結果、身内の銀行が顧客を殺し、その死体をライバル(日本海軍の傀儡)に安値で提供している。
メロン財閥は、自らの手で自らを解体し、そのパーツを日本という新しい巨人に移植しているに等しかった。
メロン銀行が、地元の企業を貸し剥がしで殺す。
その死体(設備)を、日本が安く買って国へ持ち帰る。
その設備で日本が安い製品を作り、メロン財閥の企業を攻撃する。
完璧な「自殺のサイクル」だった。
メロン財閥は一生懸命働けば働くほど日本を強くし、自分たちを弱くしている。
これはもはや経営ではない。ボランティアだ。
「……電話だ」
リチャードは、ふらつく足取りで立ち上がった。
「ワシントンに繋げ。……あの、石頭の兄貴にだ」
⸻
時:同日 夜
場所:ワシントンD.C. 財務長官公邸
アンドリュー・メロンは、満足げに葉巻をくゆらせていた。彼の手にもまた、自分が増税した高級スコッチのグラスがあった。
机の上には、新生FBIからの報告書がある。シカゴのマフィアから押収した大量の密造酒が、無事「医療用」として再包装され、市場に出回ったという報告だ。これで少しは税収が確保できる。
その時、直通のホットラインが鳴った。弟のリチャードからだ。
「やあ、リチャード。元気かね。
聞いたよ、ピッツバーグでも不採算企業の整理が進んでいるそうだな。結構なことだ。腐ったリンゴを取り除けば、経済はまた健康になる」
『……兄さん』
受話器の向こうの声は、地獄の底から響くようだった。
『腐ったリンゴを取り除いた結果、カゴの中身が全部、日本人のランチボックスに入ってしまったよ』
「何の話だ?」
『アルコアは日本の電気代に負けた。ガルフは日本の為替差益に負けた。そして銀行は…もう銀行じゃない。港だ。日本行きの港。
……兄さん。あんたがマフィアと遊んで小銭(酒税)を稼いでいる間に、我々の一族の資産は半分になったぞ』
「な、何を言っている! 私は国家財政のために……!」
『国家財政? 笑わせるな!
あんたが守っているのは「ドル」という名の紙切れだけだ!
東郷という男は、そのドルを使って我々の「工場」と「資源」と「技術」を全部持って行ったんだ!
……兄さん、あんたは財務長官としては立派かもしれないが、メロン家の当主としては最低の無能だ!』
リチャードの笑い声が聞こえた。泣いているような笑い声だった。
『知ってるか? ピッツバーグの労働者たちが感謝しているのは政府じゃない。日本海軍だ。
メロン家は労働者の敵だが、日本海軍は救世主様だからな。
……あんたが大統領になる夢は、これで完全に潰えたな。日本人にここまでコケにされた財務長官を、国民が支持するわけがない』
ガチャン!!
電話が切れた。
メロンは弟リチャードからの電話を切った後、受話器を置くことさえ忘れて立ち尽くしていた。
部屋には、彼が収集した高価な絵画が飾られている。レンブラント、フェルメール。
だが、それらの資産価値も今や暴落しているだろう。これらはただの「かつての栄光の残骸」だ。
「……私は、何をしていたのだ」
メロンは、ウィスキーのグラスを手に取った。
「腐った部分は切り捨てるべきだ(Liquidation)」
厳格な財政規律と、痛みを伴う調整こそが、経済を強くすると。そう信じてきた。
だが切り捨てた腐肉を拾い集め、繋ぎ合わせ、怪物を作り上げる男がいるとは、計算外だった。
日本海軍は、メロンが捨てたゴミで城を築いた。
そしてメロンは、自分の城の城壁を削って、それをゴミ捨て場に放り込んでいたのだ。
メロンは悟った。
自分が財務長官の椅子に座り続ける限り、メロン財閥は「人質」としてなぶり殺しにされるのだと。
「……皮肉なものだ」
メロンは呟いた。
「私は……ドルを守った。だがドルが、私を守らなかった」
彼は机の引き出しを開けた。そこには、辞表が用意されていた。
だが、署名をする手は止まった。今辞めれば、後任がドルをバラ撒き、インフレが起きる。それは彼の美学が許さない。
彼は辞表を戻し、代わりに自分用の「医療用ウイスキー」を取り出した。
琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
「……5ドルか。高いな」
自嘲気味に笑い、彼は一気に飲み干した。
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