仁義なき戦い(国家編)
時:1930年(昭和五年)、1月
場所:ワシントンD.C. 司法省・捜査局(BOI)長官室
部屋の空気は、安物の葉巻と、それ以上にタチの悪い「権力の焦り」の匂いで満ちていた。
若き局長J・エドガー・フーバーは、目の前の男が放つ冷気にあてられ、身じろぎ一つせずに直立していた。
財務長官アンドリュー・メロン。
かつてアルミニウム王と呼ばれ、今は破綻寸前のアメリカ財政を預かるこの老人は、一枚の署名付き命令書をデスクに叩きつけた。その音は、銃声よりも冷酷に響いた。
メロンは、一枚の命令書をデスクに叩きつけた。
「エドガー。やれ」
「シカゴ・ニューヨークなどのマフィア……彼らは邪魔だ」
エドガー局長は、眉をひそめた。
「長官。彼らの脱税捜査は進めていますが、決定的な証拠が……」
「脱税? そんな生ぬるい話をしている場合か!」
メロンの怒号が飛んだ。彼は立ち上がり、窓の外の雪景色を睨みつけた。
「いいか、よく聞け。シカゴやニューヨークのマフィアども……奴らは今や、犯罪者ではない。『商売敵』だ。
政府が『医療用ウイスキー』を5ドルで売っている横で、奴らは密造酒を3ドルで流している! おかげで国庫に入るはずの金が、奴らの懐に消えているんだ!」
エドガーは息を呑んだ。
財務長官は今、法務の話をしているのではない。市場シェアの話をしているのだ。
メロンは、葉巻の煙をエドガーの顔に吹きかけた。
「いいか。奴らの在庫を全て奪え。生産設備を破壊しろ。
そのための法的な“牙”は、すでに用意してある」
メロンは、一枚の法案ドラフトを見せた。
『1930年・国家火器法(National Firearms Act of 1930)』
「マシンガン、ショートバレル・ショットガン、サイレンサー。これらを民間人が所持することを事実上禁止する。違反者は連邦刑務所行きだ。
……これで奴らの武装を取り上げろ。丸腰になったところを、貴様の部隊が踏み込むんだ」
「……法的根拠は?」
「『州際通商の規制』だ。酒も銃も、州を跨げば連邦の管轄だ。
文句を言う判事がいたら、私とスティムソンが黙らせる。
……エドガー。君の組織を『FBI(連邦捜査局)』として格上げし、拳銃の携帯と逮捕権を認める法案もセットだ。 予算は、軍事予算を削ってでも最優先で回す。
やりたまえ。これは戦争だ」
メロンは、エドガーの肩を掴んだ。その指が食い込む。
⸻
時:数日後
場所:シカゴ・ノースサイド、雪の降る夜
氷点下の風が吹き荒れるシカゴの裏通り。
一軒のクリーニング店の裏口に、数台の黒塗りのトラックが音もなく滑り込んだ。
荷台から飛び降りたのは、お決まりの制服警官ではない。茶色のトレンチコートに中折れ帽、そして手には最新式のBARやトンプソン・サブマシンガンを携えた男たち――新生FBIの機動部隊だった。
指揮を執るメルヴィン・パーヴィス捜査官が、ハンドシグナルを送る。
「突入!」
重い鉄扉が、斧の一撃で粉砕される。
「動くな! 連邦捜査局だ!」
地下の醸造所は、一瞬にして修羅場と化した。
カポネ・ファミリーの残党たちが、慌てて懐の拳銃や隠していたトミーガンに手を伸ばす。
だが、遅い。
連邦捜査官たちの容赦ない銃撃が、ボトルの山とギャングたちをなぎ倒す。
ガラスの砕ける音、悲鳴、そして火薬の臭い。
「撃ち返すな! 投降しろ!」
ギャングの一人が叫ぶが、捜査官たちは止まらない。
彼らは逮捕しに来たのではない。「殲滅」しに来たのだ。
「国家火器法違反だ! その銃を持っているだけで重罪だぞ!」
制圧は、わずか数分で終わった。
血の海の中で、生き残ったギャングたちが手錠をかけられ、地面に転がされている。
だが、この作戦の真の目的はここからだった。
パーヴィスは壁際に積まれた数百樽のウイスキーと、ボトルの山を見渡した。
かつてのエリオット・ネスなら、これらを斧で割り、下水に流していただろう。「正義」のために。
だがパーヴィスは、部下に冷酷に命じた。
「……積み込め。一本残らずだ」
「へっ?」
血を流して倒れているギャングの幹部が、信じられないものを見る目で呻いた。
「てめえら……サツのくせに、俺たちの酒をネコババする気か……?」
パーヴィスは男の顔の横にブーツを置き、冷ややかに見下ろした。
「人聞きが悪いな。これは『政府管理倉庫』への移送だ。
成分分析のあと、適切なラベル(財務省認可)を貼って、国民の精神衛生を守るための『医療品』として再利用される」
「……ふざけんな! それは俺たちの商品だ! 俺たちのシノギだぞ!」
「黙れ。カポネは違法だ。我々は合法だ。それが全てだ」
トラックのエンジン音が響く。
マフィアが命がけで作り、守ってきた「商品」が、国家権力という最強の強盗によって、合法的に略奪されていく。
⸻
時:数日後
場所:フィラデルフィア、東部州立刑務所・特別独房
その独房は、刑務所の中にある高級ホテルのようだった。
ペルシャ絨毯、アンティークの家具、そしてラジオ。
「暗黒街の帝王」アル・カポネは、自ら演出した逮捕劇によって、抗争のほとぼりが冷めるのを優雅に待っていた……はずだった。
だが今、彼の顔には焦燥と信じられないものを見るような色が浮かんでいた。
面会に来た部下のフランク・ニッティが、震える声で報告している。
「……ボス。シカゴが、茶色いです」
「茶色? 何の話だ」
「制服の色です。警察じゃない。連邦捜査局(FBI)とか名乗る、新しい連中です」
ニッティは悲鳴のような声を上げた。
「奴ら、令状もなしに我々の醸造所や倉庫を襲撃しています!
ただの摘発じゃありません。『国家火器法違反』だとか言って、トミーガンを持っていた部下をその場で射殺し、在庫の酒を全部押収しました!」
「押収して、捨てたのか?」
「いいえ! 『政府管理倉庫』へ運び込んでいます!
奴ら、俺たちの酒に新しいラベルを貼って、薬局で売りさばくつもりです!」
カポネは葉巻を噛み砕いた。
掟破りだ。警察は賄賂で黙らせるものだ。だが、今回の敵は金を受け取らない。なぜなら、彼らのバックには「財務省」という、マフィアよりも強欲な集金システムがついているからだ。
「……メロン(財務長官)か。あの古狸め」
カポネは呻いた。
「俺たちのシノギを、国家権力で横取りする気か。……俺が刑務所にいる間に」
「それだけじゃありません、ボス」
ニッティは、一枚の新聞を広げた。
「ボスが計画していた『無料給食所』の件です。イメージアップのために、出所したらすぐにやろうと言っていましたが……」
新聞には、日本海軍の給食所の写真が一面を飾っていた。
整然と並ぶ市民。湯気を立てる肉入りのシチュー。そして、感謝の祈りを捧げる人々。
「……これを見てください。日本人のスープは、原価24セントですが、中身は一流レストラン並みです。
俺たちが計画していた『水増しスープ』なんか出したら、暴動が起きますよ。『日本より不味い!』って」
カポネは、記事を凝視した。
日本海軍。トーゴー。
遥か東洋から来た軍人が、自分の縄張りであるシカゴで、自分より遥かに上手く「民衆の心」を掴んでいる。
カポネは、鉄格子の隙間から差し込む冬の陽光を見つめていた。
その光の中に、埃が舞っている。それはまるで、彼の帝国の残骸のようだった。
「……おい、フランク」
カポネの声はいつもの威圧感を失い、どこか乾いた響きを帯びていた。
「俺たちは、何だったんだ?」
部下のニッティは、俯いたまま答えられなかった。
「俺は、必要悪だと思っていた。人々が欲しがる酒を提供し、警察には小遣いをやり、貧乏人にはスープを配る。……この街の潤滑油だと思っていた」
カポネは自嘲気味に笑い、葉巻を灰皿に押し付けた。
「だが、違ったな。
俺たちの上には『国家』という名の、本物の怪物がいたんだ。
奴らは法律というペン一本で、俺たちのトミーガンを鉄屑に変えちまった。
奴らは税金という名目で、俺たちの売上を合法的に強奪するシステムを作り上げた」
そして彼は、膝の上の新聞に視線を落とした。
そこには日本海軍に雇われた現地のアメリカ人が、シカゴの子供にコンビーフの缶詰を手渡している写真が掲載されている。
「そして、極東から来たこの『提督』だ。
東郷一成。……会ったこともないが、とんでもないタマだ。
俺が銃を突きつけても得られなかった民衆の“尊敬”を、奴はスープ一杯で掠め取っていきやがった」
カポネは立ち上がり、独房の壁に手をついた。
「上には上がいた。
法律を書き換えて商売敵を殺す最強のギャング。
そして世界中から物資をかき集めて民衆を餌付けする、究極の親分。
……俺なんて、ただのチンピラだ」
⸻
1930年3月。
出所したアル・カポネは、コートの襟を立てて、シカゴのユニオン・ストックヤード跡地に立っていた。
そこには、巨大な「日本海軍・第105救済給食所」が鎮座していた。
彼は列に並んだ。かつての部下に見つからないように、帽子を目深に被って。
渡されたシチューからは、濃厚な牛肉の香りが立ち上っている。
一口、啜る。
「……ちくしょう」
熱い液体が、冷え切った胃袋に染み渡る。
悔しいほどに、美味い。
自分が配っていた薄いスープとは、魂の込め方が違った。
これは「施し」ではない。「戦略」の味がした。
計算し尽くされ、管理され、そして圧倒的な資金力で裏打ちされた、国家の味がした。
「……完敗だ」
カポネは、ボウルの中の最後の一滴まで飲み干した。
シカゴの風は冷たかったが、腹の中だけは、皮肉なほどに温かかった。
いつもお読みいただきありがとうございます。国家火器法の制定は史実より4年早まってます。
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