24セントの聖夜(サイレント・ナイト)
時:1929年12月20日
場所:ニューヨーク州オールバニ、臨時「日本海軍・救済事業兵站司令部」
その部屋の壁には、軍事作戦地図の代わりに全米500箇所の給食所展開図が貼り出されていた。
東郷一成は、提出された調達リストの最終チェックを行っていた。彼の隣では事業の受託者となったハリー・ホプキンスが、信じられないものを見る目で計算尺を弾いている。
「……計算が合いません、大佐」
ホプキンスは唸った。
「ビーフシチューに白パン、それに本物のコーヒーとプルーンのデザート付きだなんて。これを1食24セントで提供する? いくらデフレで物価が下がっているとはいえ、普通に買えば材料費だけで40セントは超えます。牛肉は、小売なら1ポンド(452グラム)40セント台です。
それを1人前5オンス(1オンス28.3グラム)も入れたら、肉だけで15セント前後飛ぶ。パンとコーヒーを足した時点で、もう24セントでは収まらない」
「普通に買えばな」
東郷は、一枚の契約書を指で弾いた。
「だが我々は、小売店で買うわけではない。
肉はシカゴの食肉処理場から、在庫過多で腐りかけているチャック・ロースト(肩ロース)を全量買い上げだ。キロ単位ではない、トン単位の『処分価格』でな。冷凍倉庫が満杯で、外食向け契約が飛んだ“処分ロット”だ。契約単価は1ポンド18セント。
小売の半値以下だ。理由は単純、在庫を現金化しないと工場が止まるからだ」
東郷は、メニューの原価構成表(BOM)を広げた。
『肉豆ポテト・シチュー(1人前570グラム)』
・牛肉:141.5グラム(廃棄寸前の在庫を一掃)
・乾燥白インゲン豆:42.5グラム(農家から直買い)
・ジャガイモ:170グラム(アイオワの農場から、二束三文で調達)
「農家は『出荷すれば赤字だ』と嘆いて作物を畑で腐らせていた。そこに我々がキャッシュ(ドル)を持って現れ、『全量買い取る。輸送も我々が手配する』と申し出た。……彼らは泣いて感謝したよ。原価は、驚くほど安い」
「こちらへの輸送は……ペンシルベニア鉄道ですか」
「ああ。彼らも貨物がなくて困っていたからな。我々の制度債(NCPC)を担保に、燃料代だけで車両を回させている」
ホプキンスはため息をついた。
この男はアメリカの不況そのものを「仕入れの好機」として利用し、恐ろしいほどの低コストで、最高品質のサプライチェーンを構築してしまったのだ。
「そして極めつけは……これだ」
東郷は最後の項目を指さした。
『暖房費・調理熱源費:スタンダード・オイル社製・艦艇用C重油(日本海軍納入価格)』
「本来なら、太平洋で貴国の艦隊と戦うために我々が備蓄していた燃料だ。
それを今、全米の凍える市民を暖めるストーブと、シチューを煮込むボイラーのために燃やす。
……なんとも贅沢なキャンプファイアだと思わんかね?」
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時:1929年12月24日、クリスマスイブ
場所:ワシントンD.C.、合衆国海軍省
海軍作戦部長チャールズ・ヒューズ大将の執務室は、冷蔵庫の中のように冷え切っていた。
暖房が効いていないのではない。止められているのだ。
予算不足である。
不況による税収の激減に加え、日本海軍による「巨額の損金計上」を利用した銀行団の法人税回避により、連邦政府の金庫は空っぽだった。
公務員の給与は遅配し、光熱費すら削減対象となっていた。
「……寒いな」
ヒューズはかじかむ手でコーヒーカップを握った。中身はコーヒーではない。薄い茶色のお湯だ。予算削減で、コーヒー豆の配給が止まっていた。
そこへ情報部の将校が、分厚い報告書を持って入ってきた。彼の顔色は寒さのせいだけでなく、怒りで青ざめていた。
「提督。ニューヨークおよび全米各地の『日本海軍給食所』の状況報告です」
「……どうせ、貧民に施しをして点数を稼いでいるのだろう」
「いいえ、事態はもっと深刻です。……これをご覧ください」
将校が差し出した写真には、タイムズスクエアの特設会場が写っていた。
そこにはGE製の最新鋭巨大ヒーターが赤々と燃え、半袖で作業する給仕たちの姿があった。煙突からは黒煙が上がり、周囲の雪を溶かしている。
「……何だ、この煙は」
「重油です、提督。スタンダード・オイル社が、我々合衆国艦隊への納入分として確保していた最高級のバンカーC重油を、日本側が『現金前払い』で横取りしました。彼らはそれを惜しげもなく燃やし、暖を取っているのです」
ヒューズはカップを落としそうになった。
「な、何だと……? 我々の艦隊は燃料不足で演習も中止しているというのに、奴らはその油でシチューを煮込んでいるのか!?」
「はい。しかも、そのシチューの具材ですが……」
将校は、悔しげに唇を噛んだ。
「牛肉の角切りがゴロゴロ入っています。我々の士官食堂のスープより、遥かに上等です。コーヒーも、ブラジル直送の本物です」
窓の外、ポトマック川の向こうに見える日本大使館からは、明るい光と、クリスマスの讃美歌が聞こえてくるような気がした。
一方ホワイトハウスと海軍省は、闇と寒さに沈んでいる。
「……負けた」
ヒューズは呻くように呟いた。
「……もう、戦争は始まっているのかもしれん」
老提督が、力なく呟いた。
「だが、敵は撃ってこない。ただ、美味しいスープを配るだけだ。……これに、どうやって大砲で勝てと言うんだ」
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社会学者:シカゴ大学 アーサー・ミラー教授の視点
場所:シカゴ、ユニオン・ストックヤード(食肉市場)前の給食所
雪が舞うシカゴの屠殺場跡地。私はそこで、社会学的な「実験」の結末を目撃していた。
私の目の前には、何千人もの失業者が列をなしている。彼らの手には、日本海軍のマークが入ったマグカップ。中身は、湯気を立てるビーフシチューだ。
「……計算され尽くしている」
私は、手元のメモに震える手で書き込んだ。
このシチュー(カイグン・シチュー)のレシピは、悪魔的だ。
1人前あたり5オンス(約140g)の牛肉。角切りの肉が、スプーンですくった時に「視認できる」大きさなのがポイントだ。
今のシカゴ市民にとって、「肉が見える」というのは奇跡に近い。
さらに、たっぷりのジャガイモと白いんげん豆。そしてブラジルから直送された、香りの強い本物のコーヒー。最後に甘いプルーンが2粒。
原価はわずか24セントだという。
だが、受け取った市民が感じる価値は違う。
「肉がある」=「日本には物流がある」。
「コーヒーが飲める」=「日本には外貨(購買力)がある」。
「温かい」=「日本には燃料がある」。
たった一杯のスープが、いかなる財務諸表よりも雄弁に、日本海軍の「支払い能力」を証明してしまっているのだ。
そして出口を見てみろ。
スープを飲み終え、体力を回復した男たちが向かう先はどこだ?
会場の隅に設置された、臨時の「NCPC債・小口販売窓口」だ。
彼らは富裕層ではない。だが彼らは靴下の底や、マットレスの下に隠していた、なけなしの「葬式代」や「逃走資金」――汚れた5ドル紙幣や10ドル紙幣を、そこで差し出している。
「銀行は俺たちの金を奪ったが、日本海軍は俺たちにメシを食わせてくれた」
「この5ドルは、俺の最後の希望だ。これを預けるなら、日本しかねえ」
これは慈善事業ではない。
これは全米の貧困層が隠し持っていた最後の「タンス預金(Mattress Money)」を根こそぎ吸い上げる、巨大な集金システムだ。
2億ドルをばら撒いて、彼らはその何倍もの「底辺の信頼」と「現ナマ」を回収している。……社会構造そのものが、書き換えられているのだ。
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共和党選挙参謀:ウィリアム・ハーストの絶叫
場所:ワシントンD.C. 選挙対策本部
私は、机の上の報告書を壁に投げつけたくなった。
全米各地から届く世論調査の結果は、共和党(フーヴァー政権)にとっての「死亡診断書」だった。
「……プライドはないのか! アメリカ人としての誇りは!」
私は叫んだ。
日本海軍が使っている物流網を見てみろ。
食材を運ぶのはペンシルベニア鉄道。調理器具はGE製。プレハブ小屋はUSスチール製。燃料はスタンダード・オイルの重油だ。
全てアメリカの企業だ! アメリカのインフラだ!
東郷一成という男は、我々の国のインフラを使って我々の国民を救済し、その手柄を全て日本海軍のものにしているのだ。
これは「占領」だ。兵士のいない、スープによる占領だ!
さらに最悪なのは、フーヴァー大統領が唱える「自助努力(Rugged Individualism)」というスローガンが、このスープの湯気の前では残酷なジョークにしかならないことだ。
ある州知事からの報告によれば、給食所の列に並ぶ子供たちが、こんな歌を歌っているという。
『フーヴァーはポケットに手を突っ込むだけ(何もしない)』
『トーゴーはポケットからパンを出してくれる』
……終わった。
次の選挙? 勝てるわけがない。
我々は国民の胃袋という票田を、日本海軍に丸ごと乗っ取られたのだ。
これは政治的敗北ではない。思想的敗北だ。
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ウォール街のアナリスト:アーヴィング・フィッシャーの懺悔
場所:イェール大学 研究室
私はかつて「株価は恒久的に高い高原に達した」と宣言し、笑いものになった経済学者だ。
だが今、私は別の意味で震えている。
私が注目しているのは、この炊き出しの「資金循環」の完璧さだ。
コスト試算を見てほしい。
月間5,000万ドル。その内訳のほとんどが、アメリカ国内の企業(鉄道、食品、エネルギー、鉄鋼)への支払いに充てられている。
つまり日本海軍は炊き出しを行うことで、不況で死に体だったアメリカの産業界に、毎月5,000万ドルの「特需」を発注していることになる。
この金はどこから来た?
我々アメリカ人がパニックで買った「長期債」の代金だ。
東郷は我々から吸い上げた金を我々の企業に還流させ、我々の国民を養い、その結果として「日本海軍は頼りになる」「NCPC債は盤石だ」という信用をさらに高めている。
信用が高まれば、さらに長期債が売れる。売れれば、さらに炊き出しができる。
ループだ。
「信用」を燃料にして「実体経済」を回す、完璧なエンジンだ。
そして恐ろしいことに、この炊き出し会場そのものがNCPC債の巨大な「広告塔」になっている。
500万人が毎日、あの「錨と桜」のマークを見る。
その500万人の背後には、家族がいる。親戚がいる。
全米の数千万人が、「日本海軍=食わせてくれる=絶対に潰れない」と刷り込まれていく。
もはやNCPC債は、単なる金融商品ではない。
「ドル」に代わる、アメリカ庶民にとっての「真の通貨(生活の糧)」になりつつある。
私は経済学者として断言する。
FRBが金利を操作しようが、大統領が演説しようが無駄だ。
「パンをくれる者」が、通貨の発行者なのだ。
アメリカドルの覇権は、ウォール街の暴落で死んだのではない。
この24セントのスープの中で、静かに撃沈されたのだ。
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