表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/162

ベティ 前編

新年あけましておめでとうございます。本日は外伝短編的2話を投稿します。


当時の平均的なアメリカ人の視点です。

 1929年8月、シカゴ近郊。


 あたしの名前はベティ。17歳。

この界隈の公立高校じゃ、あたしの機嫌を損ねたらランチタイムに席がなくなるって、みんな知ってる。


別に意地悪をしてるわけじゃないの。ただ、あたしは「何がイケてるか」を知ってるだけ。スカートの丈は膝下何センチが粋か、ボブヘアのウェーブはどう作るか、そういうこと。


あたしのパパは製鉄所の工員だ。

「下流」? まあ、お偉い学者先生ならそう呼ぶかもね。でも1929年の夏、あたしたちは自分たちが貧しいなんて、これっぽっちも思ってなかった。


だって、世界はピカピカに輝いていたから。


「ベティ、見てみろ!」

その日の夕方、パパが誇らしげにリビングに運び込んできたのは、巨大なマホガニー色の箱だった。

RCAビクターのラジオ。家具調の、とびきりゴージャスなやつ。


「パパ! これ、すごく高いんじゃない?」


ママが目を丸くして、濡れた手をエプロンで拭った。ママは近所の洗濯物を引き受ける内職をしてるから、いつも石鹸の匂いがする。


「へへっ、心配すんなメアリー。今は残業、残業で稼ぎがいいんだ。週給は30ドルを超えてるんだぞ」


パパは胸を張っていた。

統計的に言えば、製造業の平均年収は1500ドルちょっと。週給にならせば29ドルくらい。でもこの「狂ったような好景気」のおかげで、パパみたいな現場の工員でも、週に35ドル近く持ち帰る週があった。


それがこの国の魔法だった。

「それに、これ全部払ったわけじゃない。頭金はたったの5ドルだ。あとは毎月少しずつ払えばいい。『信用クレジット』ってやつさ」


パパは真空管が温まるのを待って、ダイヤルを回した。

ノイズの向こうから、ジャズの旋律が溢れ出した。

あたしの狭いアパートのリビングが、一瞬でダンスホールに変わった。


「最高!」

あたしは弟の手を取って踊った。


このラジオがあれば、あたしは学校でみんなの話題の中心になれる。最新の曲、最新のニュース、大統領の声。

クラスの半分くらいの子はまだラジオを持ってない。農場から通ってる子なんて、電気も来てない家に住んでるんだから。


あたしは「持ってる側」の人間だ。


シボレーの新車は無理でも、ラジオはある。月賦で買ったレーヨンのドレスもある。

パパの工場は煙を吐き続け、アメリカは永遠にパーティーを続けるはずだった。


そう、あたしたちは「中流階級」の仲間入りをしたと信じ込んでいた。

本当は、借金という薄い氷の上に立っていただけなのに。


1929年10月、ある木曜日。

学校の廊下で、銀行家の娘であるサラが泣いていた。


彼女は本当のお金持ちだ。でも、その日はまるで幽霊みたいに青ざめていた。


「どうしたの、サラ?」

あたしが声をかけると、彼女は震える声で言った。

「パパが……パパが電話で叫んでたの。『全部紙くずだ』って」


ウォール街で何かが起きたらしい。株が大暴落したとか。

でも正直、あたしにはピンとこなかった。


だって、あたしのパパは株なんて持ってない。近所のおじさんたちもそうだ。

あれは、雲の上に住むお金持ちたちのゲームの話。


「大変ね」

あたしは努めて同情的な顔を作ったけれど、心の中では(明日のデートに着ていく服はどうしよう)と考えていた。


工場の煙突はまだ煙を吐いていたし、ラジオからは陽気な音楽が流れていたから。


1929年11月、凍てつく冬。


異変は、音もなく忍び寄ってきた。


最初は「残業」がなくなった。

パパが夕方5時に帰ってくるようになった。


「在庫が余ってるんだとさ。少し休めってよ」

パパはビールを飲みながら笑っていた。「骨休みが出来ていいさ」


でも次の週、勤務日が週6日から週4日に減らされた。

週給の封筒が薄くなった。35ドルが、20ドルになった。


「ねえ、パパ。新しい靴が欲しいんだけど」

あたしがねだると、パパは初めて怒鳴った。

「古いのが履けるだろう! 無駄遣いをするな!」


家の中の空気が張り詰め始めた。

ママの作るシチューから、肉の塊が消えた。ジャガイモと豆ばかりになった。


でも、家賃は変わらない。

大家のジョンソンさんは冷酷だ。

「不景気? 知ったことか。家賃は月30ドルだ。払えないなら出ていけ」


30ドル。

パパの給料が良かった頃は、週給の1回分で払えた。

でも今は、2週間分の給料が家賃に消える。


残りのわずかな金で、家族4人が食べていかなきゃならない。


そして、あの「魔法の箱」の支払いが残っていた。

月々5ドル。たった5ドル。


でもその5ドルが、今のあたしたちには巨石のように重かった。


「払わなきゃ。信用にかかわるわ」

ママは必死に内職を増やそうとしたけど、近所の人たちもみんな貧乏になって、洗濯物を頼む人なんていなくなっていた。


1929年12月、崩壊。


パパが工場から帰ってきた。まだ昼の2時だった。

顔色が、灰のように土気色だった。


「……クビだ」

パパの声は震えていた。


「俺だけじゃない。ラインごと閉鎖だ。在庫の山で、もう置く場所がないんだと」


バブルが高かった分、落ちる速度は猛烈だった。

工場は「減産」じゃなく「停止」した。


パパの年収見込みは1500ドルから、突然「ゼロ」になった。


その翌週、男たちがやってきた。

黒い帽子を被った、無愛想な二人組。


「支払いが滞っていますね」


彼らは土足でリビングに上がり込むと、あのマホガニー色のラジオを持ち上げた。


「やめて! お願い!」

ママが泣いてすがった。パパは拳を握りしめて、台所の隅で背中を向けていた。男としてのプライドが、粉々に砕かれていたから。


「規則ですので」

男たちは淡々と、あたしたちの「中流階級の証」を運び出した。


コードが引き抜かれ、音楽が止まった。

リビングには、四角い埃の跡だけが残された。


あたしは唇を噛んで見ていた。

悔しかった。悲しかった。

でも、それ以上に怖かった。


ラジオだけじゃない。ソファも、あたしのドレスも、全部「月賦」だった。

全部、借り物だったんだ。


翌日学校へ行くと、あたしのグループの子たちがヒソヒソ話をしていた。


「ベティの家、ラジオを持ってかれたんだって」

「パパが失業したらしいよ」

あたしは顎を上げて、カツカツと廊下を歩いた。


背筋を伸ばして。

でも、彼女たちの視線が痛いほど突き刺さる。

あたしはもう「クイーン」じゃない。ただの「貧乏人の娘」だ。


昨日まであたしが命令していた子たちが、今日は憐れみの目で見ている。あるいは、ざまあみろという目で。


あたしたちはアパートを追い出された。

今は、叔母さんの家の屋根裏部屋に、家族4人で転がり込んでいる。


パパは毎日、職業紹介所の前に並んでいるけれど、仕事なんてありはしない。日雇いの道路工事があればいい方だ。時給30セントにも満たない仕事に、何百人が群がっている。


ラジオがなくなった夜、あたしは知った。

この国には「二つの世界」があったんじゃない。


「持っている人」と「持っているフリをしていた人」、そして「最初から何も持っていなかった人」。


あたしたちは、真ん中の、一番愚かなグループだったんだ。


屋根裏部屋の窓から、外を見る。

通りの向こうで、誰かが捨てられた新聞紙を身体に巻いて寝ている。


「ベティ、手伝っておくれ」

ママが呼んでいる。叔母さんの家の掃除をしなきゃいけない。居候の身分だから。


「はい、ママ」

あたしは鏡を見た。


そこにはもう、学校の女王様はいなかった。

少し痩せて、目つきが鋭くなった、ただの労働者の娘がいた。


本日午後、後編を投稿します。

いつもお読みいただきありがとうございます。


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
まぁ史実の昭和恐慌時の日本と比較したらこんなんでも女の子なのに屋根ある場所で眠れて学校通えるだけ遥かにマシって言う…
子供が希望を持てない国は全てに劣るって婆ちゃんが言ってた。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ