モンロー・リクイデーション(裏庭の叩き売り)後編
前話の続きです。
メロンは、さすがに顔をしかめた。
「……鉄、銅、錫。戦略物資のオンパレードか。だがヘンリー、日本のアキレス腱は『石油』だ。油がなければ艦隊は動かん。その首根っこは、まだ我々が握っているはずだ」
スティムソンは深く、重い溜息をついた。
そして最後にして最悪の報告書を、テーブルの中央に滑らせた。
「……アンドリュー。君は、ペルーという国を何だと思っている?」
「インカ帝国の遺跡と、アルパカの国だろう?」
「違う」
スティムソンは首を振った。
「ペルーは、南米有数の産油国だ」
メロンが絶句する。スティムソンは地図上のペルー北部、太平洋岸のタララ地方を指し示した。
「アイテム4:ペルー(石油と非鉄金属)」
「タララ油田。ここは長年、スタンダード・オイルの子会社であるIPC(インターナショナル・ペトロリアム・カンパニー)が独占的に支配してきました。我々の聖域です。
しかしレギア政権の崩壊と財政破綻により、事態は一変しました」
スティムソンは、現地の領事館から届いたばかりの電文を読み上げた。
『……日本海軍、ペルー政府に対し、対米債務の全額肩代わりを提案。
見返りとして、タララ油田における新規鉱区の採掘権、およびIPCの独占契約の破棄を要求。
ペルー政府、これを受諾の方向……』
「馬鹿な!」メロンが叫んだ。「スタンダード・オイルが黙っていないぞ!……まさか、スタンダード・オイルが売ったのか?」メロンが呻く。
「正確には、親会社の銀行が『売らせた』のです」
スティムソンは吐き捨てるように言った。
「ペルーのレギア政権は、アメリカの銀行への借金で首が回りませんでした。東郷はその債権を買い取り、ペルー政府にこう持ちかけました。
『借金はチャラにする。その代わり、IPC社が独占しているタララ油田の石油、その輸出枠の50%を日本海軍に優先的に割り当てろ』と」
「IPC社は反対しなかったのか!?」
「するわけがありません! 彼らも不況で原油が売れずに困っていたのです。そこに日本が『制度債』で全量買い取ると言ってきた。しかも、その制度債はウォール街で非課税で換金できる。
……スタンダード・オイルは、喜んで日本に石油を流していますよ。アメリカ本土を通さずにね」
フーヴァーは、天井を仰いだ。
石油。日本が最も欲しがり、アメリカが最も強力な外交カードとして使ってきた戦略物資。
その供給源を、日本はアメリカの鼻先で手に入れたのだ。
「……さらに」スティムソンは追い打ちをかけた。
「ペルーには、セロ・デ・パスコ銅山があります。ここからは銅だけでなく、亜鉛、鉛、そして銀が産出される。
亜鉛はトタンや電池に、鉛はバッテリーに不可欠です。
日本はこの一回の買い物で、近代産業に必要な全ての鉱物資源の供給ルートを、太平洋を挟んだ対岸に確保してしまったのです」
フーヴァーは、椅子に深く沈み込んだ。
これは悪夢だ。
アメリカが恐慌と金本位制の崩壊に喘いでいる間に、日本は「制度債」という魔法の杖と、アメリカから吸い上げた「金」を使って、西半球の資源地図を塗り替えてしまった。
「……つまり、こういうことか」
フーヴァーは呻くように言った。
「我々は日本の艦隊を封じ込めるために、石油と鉄の輸出を止めるという『脅し』を持っていた。
だが東郷は、我々が混乱している隙に、我々の裏庭からその石油と鉄を調達するルートを完成させてしまった。
……我々の手札は、もう何もない」
メロンは震える手で葉巻に火をつけようとしたが、うまくいかなかった。
「……ですが大統領。輸送路はどうです? 南米から日本までは遠い。有事になれば、我々の艦隊がその補給線を断てば……」
「できるわけがないだろう!」
フーヴァーが怒鳴った。
「その南米の国々は、今や日本の『制度圏』だ。彼らの経済は日本の制度債で回っている。
もし我々が日本の輸送船を攻撃すれば、南米諸国は一斉にアメリカを『侵略者』と見なし、日本側につくだろう。
我々は、太平洋だけでなく、南アメリカ大陸全体を敵に回して戦うことになるのだぞ!」
沈黙が、オーバルオフィスを支配した。
外では雪が降り続いていた。ホワイトハウスの暖房は効いているはずだが、三人の男たちは、骨の髄まで凍えるような寒さを感じていた。
東郷一成。
あの静かな東洋人は、アメリカの市場を救い、銀行を救い、そしてその代償として、アメリカの覇権の根幹を、外科手術のように鮮やかに摘出してしまった。
「……ヘンリー」
フーヴァーは、疲れ切った声で言った。
「ロンドン会議だ。……頼むぞ。
もはや、力で日本をねじ伏せることはできん。
彼らを国際協調の枠組みの中に繋ぎ止めるしか、我々が生き残る道はない」
「……分かっております」
スティムソンは、重々しく頷いた。
しかしその内心では、絶望的な予感が渦巻いていた。
資源を手に入れ、資金を手に入れ、そして南米という味方まで手に入れた日本海軍が、ロンドンのテーブルで、大人しくアメリカの言うことを聞くはずがない、と。
⸻
時:同日 午後
場所:ワシントンD.C. 合衆国議会議事堂・上院外交委員会
議事堂の円形ホールは、怒号と罵声の坩堝と化していた。
証言台に立たされたのは、ナショナル・シティ・バンク(NCB)のミッチェル会長と、財務長官メロンの代理人。
彼らを取り囲む上院議員たちの目は、まるで獲物を狩る狼のように血走っていた。
「……静粛に! 静粛に!」
委員長の木槌がかき消されるほどの怒声。
追及の先頭に立っているのは、孤立主義の巨頭、ウィリアム・ボラー上院議員だ。アイダホの農民の怒りを背負った彼の顔は、真っ赤に充血していた。
「ミスター・ミッチェル! 答弁を願おう!」
ボラー議員が、机を拳で叩き割らんばかりに叫ぶ。
「貴様らは、我々国民の預金を博打ですり減らし、その穴埋めのために、合衆国の安全保障上の生命線である南米諸国を、日本という異教の帝国に売り渡した!
たった15億ドルのために!
アイオワの農民が100ドルの借金で首を吊っている時に、貴様らは日本から金塊を受け取り、その代償に我々の子供たちの未来を売ったのだ!」
ミッチェル会長は、ハンカチで額の脂汗を拭いながら、弁明を試みた。
「ぎ、議員、誤解しないでいただきたい。これは純粋なビジネスです。
南米の債権は不良資産化しており、銀行の健全性を守るためには売却しか……。それに、日本側は正当な対価として『金塊』を支払いました。これはドルの防衛にも……」
「黙れェッ!!」
ボラー議員の怒声が響く。
「金塊だと? 銀行の金庫が潤えば、国の安全はどうでもいいと言うのか!
貴様らが売り渡したのは紙切れではない! チリの銅だ! ペルーの石油だ!
貴様らは日本の軍艦に、燃料と弾薬をプレゼントしたのだぞ!
将来、その銅と石油で作られた弾丸が、我々のアメリカの若者を殺すことになったら……君はその金塊で責任を取れるのか!」
議場が凍りついた。
あまりにも的確で、残酷な未来予想図。
傍聴席の市民からも、「裏切り者!」「ウォール街を焼き払え!」という野次が飛ぶ。
民主党の議員が、冷ややかに追い打ちをかけた。
「そもそも、財務省は何をしていたのですか?
東郷という一人の日本人が、アメリカの裏庭をショッピングモールのように買い漁っている間、メロン長官は指をくわえて見ていたのですか?」
財務省の代理人は、蒼白な顔で答弁書を読み上げた。
「……現行法上、民間銀行の資産売却を政府が止める権限はありません。また、現在日本は敵性国家認定もされていないため……」
「法だと? 法律の話をしているんじゃない!」
議員の一人が、分厚い報告書を投げつけた。
「これは『見えざる侵略』だ!
日本軍は一兵も送らず、銃弾一発撃たずして、南米大陸を制圧したのだ!
我々が南米に作った借金の網を、彼らは『制度債』という魔法のハサミで切り裂き、代わりに自分たちの鎖で南米を縛り上げた!
……諸君、認めようではないか。我々は、金融という戦場で完敗したのだ!」
議場は、重苦しい沈黙に包まれた。
誰もが理解した。
これは単なる経済スキャンダルではない。アメリカの覇権が、その足元から崩れ去った歴史的な瞬間なのだと。
その光景を、記者席のベン・カーターは冷めた目で見つめていた。
彼は手元のメモ帳に、記事のタイトルを書きつけた。
『モンロー・リクイデーション(裏庭の叩き売り)』
そして彼は、その記事の結びにこう書くつもりだった。
『我々は日本に負けたのではない。我々は、自らの強欲さに負けたのだ。
そしてその死体処理を、日本海軍という名の葬儀屋に高額な報酬(国家主権)を払って依頼したに過ぎない』
議事堂の外では、冷たい雨が降っていた。
その雨は南米のジャングルから吸い上げられた富が、太平洋を渡って日本へと降り注ぐ金色の雨のように思えた。
アメリカ帝国はその領土を失うことなく、その魂の一部を失った。
そして南米大陸では星条旗の代わりに、錨と桜のマーク、そして旭日旗が静かに、しかし力強くはためき始めていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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