表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

124/162

人間の輸入

 時:1929年11月中旬

場所:デトロイト、自動車部品工場


 その日、工場長のマイケルは、全従業員を食堂に集めていた。

彼の顔は土気色だった。手には、銀行からの通達書が握られている。


「……すまない、みんな」

 マイケルの声が震えた。


「今日で、工場を閉鎖する」

 どよめきが起きる。


「嘘だろ、ボス! 先月、株が戻ったじゃないか! 景気は良くなるはずだろ!」

「俺たちのローンはどうなるんだ!」


「株価は戻った!」マイケルは叫んだ。

「だが、金利を見てみろ!

 銀行は貸出金利を8%に上げた! 運転資金が回らないんだ!

 フォードからの注文も止まった。誰も車をローンで買えなくなったからだ!」


 これが、FRBの利上げがもたらした現実だった。

 ウォール街の株価ボードの上では「サムライ・プット」のおかげでGEやUSスチールの株価は維持されている。

 しかし実体経済の現場では、高金利という名の「空気不足」が、中小企業や消費者の首を絞めていた。


 工員の一人、ジョンは、呆然と立ち尽くしていた。

 家に帰れば、身重の妻と二人の子供が待っている。貯金はない。あるのは、この工場の給料という命綱だけだった。

「……どうすればいいんだ」


 その時、誰かが囁いた。

「……聞いたか? 日本大使館の話」

「なんだそれ」

「ワシントンD.C.に行けば、日本海軍がカネを預かってくれるらしい。しかも、絶対に減らない『長期債』ってやつに変えてくれるって」


「馬鹿野郎、俺たちに預けるカネなんてないぞ!」

「いや、違うんだ。向こうは『労働力』も買ってるらしいぞ」


 男は声を潜めた。

「海軍が出資した工場……たとえば西海岸の造船所や、日本国内の工場で働く技術者を募集してるんだ。『長期債』と1対1で交換できるNCPCでの給料払いでな。……ドルじゃないから、インフレになっても大丈夫だし、銀行が潰れても関係ない」


 ジョンの目に、光が宿った。

 アメリカの企業は自分をクビにした。アメリカの銀行は家を取り上げようとしている。

 だが、日本の海軍は「仕事」と「安全な金」をくれるというのか。


「……ワシントンへ行く」


 ジョンは呟いた。


「フーヴァー大統領は俺たちを見捨てた。……なら、俺はトーゴーを信じる」


 こうして、「第二の波」が始まった。


 最初の波は、資産を守りたい富裕層や投機家だった。

 だが今回の波は、生活を守りたい中産階級、労働者、中小企業の経営者たちだ。


 彼らは「愛国心」よりも「生存」を選び、アメリカという沈みゆく船から、東郷が用意した「方舟(長期債・NCPC経済圏)」へと、雪崩を打って移動し始めたのである。



 時:1929年(昭和四年)、11月

場所:ワシントンD.C. 日本大使館・移民労働局(臨時開設)


 大使館の裏庭に急造されたテント村は、異様な熱気に包まれていた。


 かつては金融業者や富裕層が並んでいた表門とは対照的に、裏門に詰めかけているのは、油にまみれた作業着を着た男たちや、製図板を抱えた技術者くずれ、そして農地を追われた農夫たちだった。


 デトロイトからヒッチハイクでたどり着いたジョンは、凍える手で整理券を握りしめていた。

 彼の前には、長机が並べられ、海軍の主計下士官と、英語を陸軍で叩き込まれ堪能な橘小百合が面接を行っている。


「次の方。……職業は?」

「旋盤工です。フォードの工場で5年、エンジン部品を削っていました」

「採用。行き先は日本の横須賀、あるいは佐世保。家族同伴可。給与はNCPC債と現地の通貨で支給。……どうされますか?」

「行きます! どこへでも!」


 ジョンは息を呑んだ。

 自分の番が来た。

「……職業は?」

「プレス工です。……あと、トラクターの修理もできます」

「ふむ。……追浜おっぱまの航空機工場で、プレス技術者を探しています。行けますか?」

「はい!」


 ジョンは、渡された「雇用証明書」と、旅費代わりの少額のNCPC債を抱きしめた。

 これで、家族を食わせられる。

 アメリカンドリームは死んだ。だが、極東にはまだ「仕事」がある。


 執務室前の廊下からその光景を見下ろしていた東郷一成は、複雑な表情でコーヒーを啜った。


「……皮肉なものだな、伊藤君」

「はっ」

「我々は『技術』を買うつもりでいた。そして、結果として『技術者そのもの』を輸入することになった。

 彼らは、アメリカが捨てた宝だ。熟練工、設計技師、ラインの管理者……。

 彼らを日本の工場で指導者として放り込めば、我が国の工業レベルは一気に十年は進むだろう」


 東郷は、一枚の報告書に目を落とした。それは日本の農林省と商工省が共同で作成した、国内の農業政策に関する機密文書だった。

 そこには、『過剰人口の満州送出による、内地農村の救済』という文言が踊っていた。


「……だが、東京の連中はまだ分かっていないようだな」


 東郷は呟いた。

「土地があれば豊かになれる、という古い神話を信じている」



場所:東京・築地、料亭「躍雲」


 雪の降る夜だった。

 商工省工務局長・岸信介は、一人の海軍軍人と差し向かいで酒を酌み交わしていた。


 佐藤市郎、海軍大佐。

 岸の実兄であり、海軍兵学校第36期を首席で卒業した秀才。そして何より、東郷一成の数少ない理解者の一人でもある。


「……信介。お前、まだ満州に百姓を送るつもりか」

 市郎は、猪口を置いて静かに言った。その目は弟の才覚を認めつつも、どこか哀れむような色を帯びていた。


「兄貴、仕方ないだろう」

 岸は、苛立ちを隠さずに言った。

「東北は冷害と不況で地獄だ。娘を売る話が後を絶たない。

 国内の耕地は限界だ。彼らを食わせるには、満州の広大な大地に移住させ、自作農として自立させるしかない。

 拓務省も農林省も、それしか答えを持っていないんだ」


 岸の論理は、当時の日本の「常識」だった。

 人口過剰、食料不足、農村の貧困。これらを解決する魔法の杖が「満州開拓」だと、誰もが信じていた。


「……それが『古い』と言うんだよ」

 市郎は、懐から一通の手紙を取り出した。ワシントンの東郷から届いた私信だ。


「東郷が、アメリカ大陸横断鉄道で何を見たか、知っているか?」


 市郎は手紙の一節を読み上げた。


『……アイオワ、ネブラスカ、カンザス。見渡す限りの大平原。肥沃な大地。

 日本の農民が夢見るような、広大な耕地を一戸の農家が所有している。


 だが、彼らは飢えていた。

銀行に土地を取り上げられ、ショットガンを持って抵抗し、最後には着の身着のままで放り出されていた』


 岸は、杯を止めた。

「……なぜだ? 土地があるのに、なぜ食えない」


「システムだよ、信介」

 市郎は、弟の目を射抜いた。


「資本主義の構造下では、農産物の価格は市場が決める。

 豊作になれば価格が暴落し、不作になれば売るものがない。

 そして機械化のために借金をすれば、金利が首を絞める。


 アメリカの農民は『広大な土地』を持っていたがゆえに、より巨大な『借金』と『過剰生産』の罠に嵌ったんだ」


 市郎は、手紙を畳んだ。


「東郷は言っている。

『土地だけ増やしても、貧困は解決しない。それはただ、貧困の場所を内地から満州へ広げるだけだ』とな。


 満州に百姓を送っても、彼らはアメリカの農民と同じ運命を辿る。

 大豆の価格が暴落すれば、彼らは満州の荒野で飢え死にするだけだ」


 岸は、絶句した。

 自らが「国策」として推進しようとしていた満州移民計画が、根底から否定されたのだ。

 しかも、圧倒的な「アメリカの現実」という証拠を突きつけられて。


「……じゃあ、どうしろと言うんだ、兄貴。

農村の余った次男三男を、このまま座して死なせるのか」


「そこで、これだ」

 市郎は、別の書類を差し出した。

 それは、海軍省経理局が作成した『高度技術者・熟練工受入計画』、通称「人間の輸入」リストだった。


「アメリカから、失業した技術者や熟練工が、数千人規模で日本へ渡ってくる。

 彼らは最先端の技術を持っているが、食い扶持がない。……信介。お前の商工省がやるべき仕事は、満州にくわを送ることじゃない」


 市郎は、畳に指を突き立てた。


「このアメリカ人たちを教師にして、日本の農村の余剰人員を『工業労働者』へと改造することだ。

 農民を、旋盤工にしろ。溶接工にしろ。

 彼らに『土地』ではなく、『技術』という武器を持たせるんだ」


 岸の脳裏で、何かが弾けた。

 パラダイムシフト。

 「農業国・日本」から「工業立国・日本」への、強制的な転換。


「……アメリカの技術者を、農村の若者の教師にする……?」


「そうだ。海軍が、金(制度債)と箱(工場)は用意する。

 中身(機械)もドイツとアメリカから買い集める。

 あとは『人』だ。

 日本の農村には、勤勉で、手先が器用で、我慢強い若者が溢れている。

 彼らは、最高の工員になる素質がある。

 ……彼らに、アメリカの合理的な生産技術を叩き込めば、どうなると思う?」


 岸は、身震いした。

 それは、恐ろしいほどの可能性だった。

 アメリカの最新技術と、日本の勤勉な労働力。この二つが融合した時、日本はアジアの工場どころか、世界の工場になり得る。


「……東郷の奴は、そこまで考えているのか」

 岸は、呻いた。

 市郎は、岸の盃に酒を注いだ。


「信介。お前は政治力はあるが、頭の回転は俺の方が上だと言ったな。

 だが、東郷の頭の中にある『国家の設計図』は、俺たち兄弟が束になっても敵わんかもしれんぞ」


 岸信介は、無言で酒を飲み干した。

 その瞳には、野心とは違う、ある種の「覚悟」の光が宿り始めていた。

いつもお読みいただきありがとうございます。


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いつも楽しんで読ませていただいています。 ワシントンという表記がありましたが、アメリカにはワシントン州とワシントンDCの両方が存在し、私も一瞬意味を取り違えました。しっかり読むと文章としては自明に近い…
佐藤市郎、岸信介兄弟のサシ飲み佐藤栄作氏は鉄道省で残業中ですかね? アメリカから熟練工の輸入ですか。 メートル法(一部では尺貫法)の日本とヤードポンド法のアメリカ この違いの改善をしなければ現場の混乱…
明日のパンの為に仮想敵国の海軍に縋り付くとは、もはや愛国心もプライドも無いですね。かつて先住民を白人が追い出し、その子孫達がアメリカに愛想を尽かし去ったあとは、アメリカの大地に何が残るのでしょう?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ