表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

120/162

逆張りの預言書

時:1929年(昭和四年)、11月

場所:東京・三宅坂、陸軍省軍事課長室


 軍事課長室の空気は、タバコの紫煙と、一人の男の押し殺した屈辱感で澱んでいた。


 部屋の中央には、直立不動の姿勢をとる東條英機大佐。


 その向かいのソファには、行儀悪く足を組み、薄ら笑いを浮かべる石原莞爾中佐。


 そして、デスクの奥でドイツ製の万年筆をいじりながら、感情を消して座る永田鉄山大佐。


 石原の手には、一冊の薄い報告書があった。表紙には『米国経済及ビ海軍新証券ニ関スル視察報告』とあり、起案者の欄には東條の署名がある。


「……いやあ、見事だ」

 石原は、報告書をペラペラとめくりながら、感嘆したように言った。その声色は、珍しい昆虫の標本を愛でる学者のようだった。


「東條大佐。貴官のこの報告書、実に素晴らしい。ここまで完璧に、一寸の狂いもなく“逆張り”できる才能が、この帝国陸軍に埋もれていたとは」


 東條の頬が、ピクリと引きつった。だが彼は動かない。軍人としての規律が、彼をその場に縫い止めていた。


「……どういう意味か、石原中佐」

「言葉通りの意味ですよ」

 石原は報告書の一節を指先で弾いた。


「ここだ。『海軍の新証券(長期債)は、年利0.5%という非常識な設定ゆえ、市場価値は皆無である』……。


 ほう、皆無ですか。実際のところ、今やあれは金塊よりも価値のある、世界最大級の“絶対安全資産”として崇められているわけですが」


 石原は次のページをめくる。

「次。『東郷大佐は独自の理論に固執し、米国の好況という現実を直視していない。破綻の可能性大』……。


 クックック……。傑作だ。これを書いた翌週に、現実の方が破綻して、東郷の独自理論だけが生き残った」


 石原は報告書を閉じ、テーブルに放り投げた。

「東條さん。あんた、この報告書を『予言書』として出版したらどうです?


 タイトルは『東條英機の大逆神予言』。あんたが『ダメだ』と言ったものは必ず成功し、『安泰だ』と言ったものは必ず滅びる。ウォール街の相場師たちが、あんたの逆を行くために大金を払って買いに来ますよ」


「……貴様ッ!」

 東條が、ついに激昂した。顔を真っ赤にして拳を震わせる。


「私は! 当時の経済指標と常識に照らし、最も合理的で蓋然性の高い結論を記述したまでだ!


 当時のNYダウは最高値を更新し、金利は5%を超えていた! その状況で0.5%の塩漬け債券など、経済合理性を欠くゴミ屑と判断するのは、将校として当然の帰結ではないか!」


「当然?」

 石原の目から、笑い色が消えた。冷徹な、猛禽類のような光だけが残る。


「それが“平時”ならな。だが東條、我々は軍人だぞ。

 戦場において『敵が教範通りの陣形を組んでいないから、攻撃してくるはずがない』と報告して、その直後に奇襲を受けて全滅したら、お前はなんて言い訳するんだ?


 『敵が非合理的でした』と言って、死んだ部下が生き返るのか?」


 東條は言葉に詰まった。

「お前はワシントンまで行って、何を見てきたんだ?

 砂漠のど真ん中まで行って、足元の砂だけをすくって『水はありません』と報告して帰ってきたのか?


 ……そのすぐ背後で、東郷一成という男が巨大なオアシスを掘り当てて、万全の陣地を築いている槌音が響いていたというのに」


 石原は、ソファから立ち上がった。

「お前の敗因は一つだ。お前は“ルール”を見た。東郷は“人間”を見た。


 お前は『好況だから安全だ』と数字だけを見て判断した。


 東郷は『好況だからこそ、人間はその裏にあるものに不安になり、逃げ場所を欲しがる』という心理を見抜いた。


 ……その差だよ。カミソリ東條殿。お前の刃は、紙の上でしか切れん」


 東條は唇を噛み締め、沈黙した。反論の言葉が見つからない。結果があまりにも残酷に、彼の無能(あるいは視野の狭窄)を証明していたからだ。


「……その後の大恐慌は」東條は、絞り出すように言った。「……誰にも予見できなかった、天災のようなものです」


「誰にも、か?」

石原は、意地悪くニヤリと笑った。


「……ワシントンの東郷大佐と、まだ十にもならぬその娘。


 そして、大陸を横断してまでその父に危機を知らせに行った、元・お前の配下のスパイ少女以外には、な」


 東條の顔色が、怒りから蒼白へと変わった。

 小百合。かつて自分たちが使い捨ての駒として扱った少女が、自分が見抜けなかった世界の崩壊を見抜き、東郷の元へと走ったという事実。それは彼のプライドを何よりも深く傷つけた。


「……もうよい」

 それまで沈黙を守っていた永田鉄山が、静かに口を開いた。彼は東條の報告書を手に取り、ゆっくりと引き出しに仕舞った。


「東條。この報告書は、ある意味で貴重だ。

『凡人が世界をどう誤認するか』という、素晴らしいサンプルとしてな」


 永田の言葉は、石原の罵倒よりも遥かに冷たかった。

「だが、現実は現実だ。海軍は勝った。我々は負けた。

東郷は今や、アメリカ経済の救世主であり、最大の債権者だ。そして我々は完全に出遅れた。

……東條、お前には罰を与える」


「はっ……いかなる処分も」

「罰として、お前は今後、海軍との折衝担当になれ」


「……は?」

東條は、間の抜けた声を出した。


「海軍が吸い上げた莫大なドル。あれを陸軍の近代化予算として分捕ってくるのが、今後のお前の仕事だ。


 お前が『ゴミ』と断じた証券から生まれたカネで、お前の部下たちが飯を食い、銃を買うのだ。


 その屈辱を噛み締めながら、東郷に頭を下げてこい。……それが、現実が見えていなかった者への授業料だ」


 東條は全身を震わせながら、ギリギリと音が出るほど奥歯を噛み締めた。

 そして、血を吐くような声で答えた。

「……拝命、いたします」


 東條が退室した後、石原は大きく息を吐き、天井を仰いだ。

「……やれやれ。あんな石頭に、東郷との交渉が務まりますかね」


「務まるさ」永田は薄く笑った。

「東郷も、天才相手なら警戒するが、あんな石頭が相手なら、憐れんで小銭くらいは恵んでくれるだろうよ。

……それにしても、石原」


「なんです?」

「お前、楽しそうだな」


「ええ、楽しいですとも」

 石原の瞳に、狂気じみた光が宿った。

「東郷一成。あの男は、世界を壊した。

 アメリカという巨人が倒れ、世界中が悲鳴を上げている。


 ……これぞまさに、『世界最終戦』の前奏曲ではありませんか。

 さあ、次は我々の番だ。海軍が作った瓦礫の山の上に、新しい城を築く時が来た」


窓の外では、冷たい冬の風が吹いていた。

いつもお読みいただきありがとうございます。


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
あ、石原「中佐」が東条「大佐」を楽しそうにいびっている(汗)永田大佐の面前とはいえ中々の所業。 東条英機、後に東條兵団を率いて戦功を挙げたことになっている人ですが(内実はボロボロ)、臨機応変な戦術の冴…
これまでに読んだ仮想戦記で最も東條と米国が可哀想な作品 最早火葬してやれよとすら思う 仮想戦記としては非常に異色だけど、経済モノとしてもマジでトップクラスに面白い マジで好き
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ