表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/164

共犯者の解説

 時:1929年(昭和四年)、晩秋

 場所:東京・麹町 東郷平八郎邸


 東京にも、冬の気配が忍び寄っていた。

 東郷邸の奥座敷。


 そこには、世界を震撼させているニューヨークの狂乱とは無縁の、枯れた静寂があった。

 だがその静寂の中心に座る「軍神」東郷平八郎の眉間には、日本海海戦のときよりも深い皺が刻まれていた。


 彼の手には、新聞が握られている。


『米株式市場、大暴落!』

『日本海軍、米市場を買い支え! 「サムライ・プット」発動!』

『米FRB、金利引上げを発表! 公定歩合6%へ!』


「……分からん」

 平八郎は、新聞を畳の上に放り出した。

 彼は海戦の天才だ。風を読み、潮を見極め、鉄の艦隊を指揮することはできる。


 だがこの「カネ」という名の、姿の見えない砲弾が飛び交う戦場だけは、老いた英雄の直感をもってしても霧の中だった。


「一成の奴、何を考えておる。

 敵の市場が崩れたのなら、放っておけばよいではないか。なぜわざわざ敵の株を買って助ける?」


 その呟きに、お茶を淹れていた少女の手がぴくりと止まった。


 東郷幸。

 一成の養女であり、この家の「羅針盤」たる少女。


 彼女は普段は内気で、どこかおどおどとした小動物のような愛らしさを持っている。

 だがひとたび「スイッチ」が入ると――その瞳には、深淵を覗き込むような、恐ろしいほどの知性と没入感が宿るのだ。


「……お爺様」

 幸は、お盆を静かに置いた。

 その所作は、まるで能役者のように静謐だった。


 彼女は前髪をそっと払うと、伏し目がちに、しかし凛とした声で言った。

「……説明、してもいいですか?

 お父様が今、アメリカで……どんな“手品”を使っているのかを」


 平八郎は、孫娘の顔を見た。

 いつもの「お爺様っ!」と甘えてくる孫ではない。

 そこにいたのは、戦況図の前で敵将の思考を完璧にトレースせんとする、冷徹な参謀の顔だった。


「……うむ。頼む、幸」

 幸はコクリと頷くと、少しの間、目を閉じた。


(……集中して。今の私は、お父様。そしてアメリカの銀行家……)


「では、軍事に例えてご説明します」

 幸は、茶碗と茶托をテーブルの上で動かした。


「まず、アメリカ経済という『巨大な艦隊』が、燃料(お金)切れで漂流していると思ってください。

 エンジンは止まりかけ、兵士(国民)はパニックを起こして、海に飛び込もうとしています」


「うむ。それが今の暴落だな」


「普通なら、この艦隊の司令官であるFRB(連邦準備制度理事会)が、予備の燃料タンクを開放して、燃料を補給してやらなければなりません。これを『金融緩和』と言います。


 お金を市場に流して、パニックを鎮めるんです。

 ……でも、お爺様。新聞を見てください。FRBは何をしましたか?」


 平八郎は新聞に目を落とした。

「金利を、上げた……とあるな」


「はい。これは軍事で言えば、『燃料が足りないと騒ぐ部隊から、さらに燃料を取り上げて、倉庫に鍵をかけた』のと同じです」


「な、なんだと!?」

 平八郎は絶句した。

「そんなことをすれば、艦隊は全滅するではないか! 司令官は気でも狂ったのか?」


「狂ってはいません。ただ……怯えているのです」

 幸の声のトーンが、少し沈んだ。それは悲運の運命を背負った者のように儚げだった。


「FRBは、燃料(金・ゴールド)が日本海軍という『隣の艦隊』に盗まれるのを怖がっているのです。だから、慌てて倉庫の鍵を閉めてしまった。


 ……でも、そのせいで自分の艦隊のエンジンが完全に止まってしまうことに、気づいていないのです」


 幸は、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。

「……苦しい……です。

 息ができないのに、首を絞められているみたい。

 アメリカの会社や、おじさんたちは、今、そんな気持ちだと思います……」


 その悲痛な表情に、平八郎も思わず眉をひそめた。

 まさに、自滅だ。敵ながら哀れとしか言いようがない。


「そこで、お父様の登場です」

 幸の表情が、一瞬で切り替わった。

 悲劇のヒロインから、全てを見通す名探偵の顔へ。

「FRBが燃料を出し渋っているその瞬間に、お父様は『サムライ・プット』を行いました。


 日本海軍の持っているドル(燃料)を、惜しげもなくアメリカの市場に注ぎ込んだのです。


 瀕死のGEやUSスチールといった『重要な船』に、直接パイプを繋いで、燃料を輸血してあげたのです」


「……助けてやったのか?」

「はい。でも、ただの親切ではありません」


 幸は、茶托の一つを裏返した。

「お父様が輸血に使ったそのドル。……その出処はどこだと思いますか?」


「……日本から送った金か?」

「いいえ」

 幸は首を振った。


「そのドルは、アメリカの人たちが、恐怖に駆られて日本大使館に持ち込んできたお金です。


『アメリカの銀行は危ない! 日本の“長期債”の方が安全だ!』って、みんながお父様のところに預けに来たお金なんです」


 平八郎は、呆気にとられた。

「つまり……アメリカ人から預かった金を、アメリカ人に貸してやったということか?」


「その通りです。でも、ここからが本当の『手品』です」

 幸は身を乗り出した。その瞳が、妖しく光る。


「お父様が発行した『長期債』。これには、ある魔法がかけられています。


 それは……『三年間、絶対に解約できない(ロックアップ)』という魔法です」


「……三年?」


「はい。アメリカ人たちは、ドルをお父様に預けました。お父様は、そのドルをすぐに市場に還流させて(株を買って)、市場を救いました。市場にはお金が戻りました。


 ……でも、アメリカ人たちが持っているのは、『三年後まで換金できない、日本の債券』だけなんです」


 幸は、両手で円を描いた。

「お父様は、アメリカ市場に大量のお金を供給(金融緩和)しました。


 でも、そのお金の“請求書”は、三年間、絶対に回ってこないんです。


 つまり……事実上、日本海軍は、アメリカ中央銀行(FRB)の代わりに、アメリカにお金を刷ってあげたのと同じことなんです!」


 平八郎の口が、ぽかんと開いた。

 軍事の常識では考えられない。

 補給もなしに、敵地で弾薬を調達し、それを敵に撃ち込み、その代金を敵に払わせ、しかも借金の取り立ては三年待たせる?


「待て、待て幸。整理させてくれ」

 平八郎は、額の汗を拭った。


「1.アメリカの司令官(FRB)は、ビビって燃料を止めた(利上げ)。


 2.そのせいで死にかけたアメリカ国民は、燃料を持って日本の艦隊(大使館)に逃げ込んだ。


 3.一成はその燃料を受け取り、『三年預かる』と言って証文(長期債)を渡した。


 4.そして預かった燃料を、即座にアメリカの戦艦(企業)に注ぎ込んで、沈没を防いでやった。


 5.結果、アメリカの戦艦は生き残ったが、そのオーナーは一成になった……」


「……そういうことです」

 幸は、にっこりと微笑んだ。

 それは控えめな笑みの中に満足感が混じった、極上の笑顔だった。


「FRBがやるべき『救済(金融緩和)』を、FRBが拒否したから。代わりに日本海軍がやってあげたんです。


 ただし、その代償として……アメリカの産業の首根っこを、頂いちゃいましたけど」


 平八郎は、天を仰いだ。

 そして、腹の底から呻くような声を出した。


「……あやつは、戦争をしておるのではないな。

 あやつは……アメリカという国を、経営しておるのか」


 FRBが引き締め(利上げ)を行い、日本海軍が緩和(買い支え)を行う。

 本来中央銀行がやるべき仕事を、外国、それも仮想敵の軍隊が代行している。


 しかも、その資金源は「三年間のロックアップ」によって、取り付け騒ぎのリスクから完全に隔離されている。


 FRB議長よりも、東郷一成の方が、よほどアメリカ経済のことを理解し、そしてコントロールしている。


「……お爺様」

 幸はふと素の表情に戻り、少し心配そうに言った。


「でも、これはとっても怖いことなんです。

 お父様は、アメリカという巨人を、人工呼吸器で生かしているようなものです。


 もしお父様が手を離せば、アメリカは死んでしまいます。でも……アメリカが元気になりすぎたら、今度はその力で、私たちを殴りに来るかもしれません」


「飼い殺し」か、「恩を仇で返される」か。

 そのギリギリのバランスの上に、今、父は立っている。


「……そうか」

 平八郎は、孫娘の頭をごつごつした手で撫でた。

「お前には、よく見えておるな。一成の羅針盤になるというのは、伊達ではないようじゃ」


「えへへ……」

 幸は、照れくさそうに笑った。

 だがその胸の内では、未来の記憶と現在の状況を照らし合わせ、冷徹な計算が続いていた。


(史実の大恐慌では、FRBの失敗でマネーサプライが収縮し、アメリカは壊滅した。


 でも今回は、お父様が『長期債』というポンプで、無理やり血液を循環させている。


 アメリカは死なない。でも、健康にもなれない。日本という点滴チューブが外せない体になってしまった……)


 彼女は、自分がワシントンに送った手紙を思い出していた。小百合に託した、アメリカ経済の破綻分析。


 あれが、父に「引き金」を引かせたのだ。

 父を修羅の道へと唆したのは、他ならぬ自分なのだ。


(私は、もう共犯者なんです。お爺様)

 幸は、憑き物が落ちたようにふわりと笑った。


「よし」

 平八郎は立ち上がった。

「幸の解説で、わしも腹が決まった。

 霞が関の連中に伝えてくる。


『アメリカの銀行(FRB)が馬鹿な真似をしている間に、日本海軍が世界の銀行になってしまったようじゃ。

 ならば、腹を据えてドンの如く振る舞え』とな」


 老元帥の背中は、久しぶりに若々しく見えた。

 幸はその後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。


「……頑張って、お父様。

 FRB議長よりも、ずっと頼りになる『海軍銀行総裁』さん」


 庭に落ちた紅葉が、鮮やかに燃えていた。

 それは海を越えた向こう側で燃え盛る、金融という名の戦場の炎の色に似ていた。

いつもお読みいただきありがとうございます。


もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマークや感想、ページ下の【★★★★★】で評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ