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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第二章

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絵画と弾薬庫

時:1929年(昭和四年)、9月末

場所:ニューヨーク州ハイドパーク、ルーズベルト邸


 窓の外では、秋の長雨が降り続いていた。ハドソン川の水面は鉛色に沈み、岸辺の木々は濡れた梢を寒そうに震わせている。フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)は、暖炉の熾火おきびを見つめながら、ロンドンの友人から届いた私信を指先で弾いた。


FDRは、ロンドンの友人から届いた私信を読み、呆れたように笑い声を上げた。

「……ハリー。聞いたかね。我らが財務長官、アンドリュー・メロン閣下の優雅な休暇の過ごし方を」


傍らのハリー・ホプキンスが首を横に振る。

「ワシントンでは『長官は欧州の金融情勢視察で多忙を極めている』と発表されていますが」


「ああ、多忙だとも」FDRは手紙を弾いた。

「彼は今、ロンドンの画廊にいる。ソビエト連邦が外貨欲しさにエルミタージュ美術館から放出した、ラファエロやボッティチェリの名画を買い漁っているそうだ。……なんという皮肉だ」


FDRは車椅子をきしませ、窓の外の雨雲を睨んだ。

「ソ連は共産主義の失敗で金に困り、国の宝を売る。

 アメリカは資本主義の暴走で金が余り、その宝を買う。


 そしてそのアメリカの財務長官は、自国の足元に埋まった『NCPC債』という名の時限爆弾の秒読みが聞こえないほど、芸術に夢中というわけだ」


 ダウ平均は600ドルを超えようとしていた。

 街では靴磨きの少年が「NCPC債は絶対に下がらない」と叫び、主婦が生活費を削って投資信託を買っている。

 そして東郷一成は、このタイミングで「年利0.5%」の長期債を静かに市場に置いた。


「……ハリー。東郷が市場に置いたあの『売れない長期債』。あれが何に見える?」

「……誰も買わない、ただの紙くずですが」

「違うな」FDRは目を細めた。


「あれは『非常口のEXITランプ』だよ。火事場の中で、唯一冷たく光っている。だが、ダンスに夢中の客たちは誰もその光を見ようとしない。


 東郷は、扉を開けて待っているのだ。『助かりたい奴はここから逃げろ』とな。だが強欲な我々アメリカ人のバカタレは、その扉を『ダンスホールの邪魔だ』と蹴飛ばし、シャンパンを浴びせかけている」


その時、FDRの妻、エレノアが書斎に入ってきた。彼女の手には一通の電報があった。彼女はそれを無言でホプキンスに手渡した。


「……フランク。悪いニュースと、もっと悪いニュースがあります」

「聞こう」

「悪いニュースは、ロンドンでクラレンス・ハトリーが逮捕されたことです。巨額の金融詐欺です」


「……なるほど。ロンドンの市場はパニックだろうな」FDRは頷いた。

「イギリス人は保守的だ。一つの詐欺が露見すれば、全ての信用を疑い始める」


「ええ。そしてもっと悪いニュースは……」

ホプキンスは顔をしかめた。


「……ウォール街が、それを『好材料』と解釈していることです。『ロンドンの資金が逃げてくるぞ! NCPC債がさらに買われる!』と。ハトリー事件を受け、NY市場は一時下落しましたが、午後にはNCPC債への逃避買いで全戻し、さらに最高値を更新しました。『アメリカは無傷だ』という楽観論が支配しています」


FDRは天井を仰ぐ。

「……最初のドミノが倒れたというのに、彼らはそれを『新しい積み木が届いた』と勘違いしているのか。……救いようがないな。神よ、この愚か者たちをお守りください」


FDRはマティーニを一口飲んだ。喉を焼く熱さが、焦燥感を和らげる。

「……メロンがラファエロの『アルバの聖母』を抱えて帰ってくる頃には、この国は画廊ごと燃え尽きているだろうな。準備をしておけ、ハリー。焼け跡から、我々の仕事が始まる」



時:同日

場所:ワシントンD.C. 海軍省作戦本部


 作戦本部の空気は、湿った火薬のように重かった。

レイモンド・スプルーアンス中佐は、日本国内の最新情報を記したONI(海軍情報局)のレポートを、握りつぶさんばかりの力で持っていた。


『日本海軍、国内ニテ限定的ナ納税代行業務ヲ開始。戦功ノアル国民ヨリ回収シタ税金ヲNCPC長期債ト交換シ、米ドルニテ納税ヲ実施中』


「……見たか、マーク」

スプルーアンスは、隣のミッチャーに低い声で言った。

「ジャップは、店じまいの準備を始めているぞ」


「店じまい?」

「そうだ。奴らは自国民の税金を吸い上げ、それをドルに換えて日本政府に渡している。そしてその対価として、国民には『長期債』という名の安全なシェルターを配っている。つまり、奴らは来るべき嵐に対して、自国のハッチを完全に閉鎖バッテン・ダウンし始めているんだ」


スプルーアンスは、壁のダウ平均チャートを指さした。

天井知らずの600ドル超えが確実となった、その狂乱のグラフ。もはや経済指標ではなく、熱病患者の心電図のように見えた。


「我々の国民が『NCPC債は神の恵みだ!』と叫んで買い漁っているその裏で、発行元の日本海軍自身は『そろそろ危ないから、身内だけは安全な場所に避難させよう』と動いている。

 ……分かるか? これは『売り抜け』の前兆だ。軍事用語で言えば『戦略的撤退』だ」


ミッチャーが青ざめた。

「レイ、もし日本海軍が……このバブルの頂点で、NCPC債の梯子を外したら?」


「……戦艦の弾薬庫に直撃弾を受けたようなものだ」

スプルーアンスは呻いた。


「推定で150億ドルに達したブローカーズ・ローン。その担保の大部分がNCPC債だ。もしその価値が揺らげば、マージン・コール(追証)の嵐が吹き荒れる。


だが、政府もFRBも、誰もそれに気づいていない。メロン長官はヨーロッパで絵画鑑賞中だ。フーヴァー大統領は『繁栄は永遠だ』と演説の練習をしている。作戦本部の能天気な提督たちは『日本の軍事予算が増えたなら、我々も予算を増やせ』などと能書きを垂れている!」


スプルーアンスは、机の上のカレンダーを見た。


1929年、10月。


赤い丸で囲まれた『海軍記念日(10月27日)』の前に、何でもない平日がある。24日、木曜日。何気なく24日の日付にコーヒーの染みがついているのを、この部屋の誰もが見落としていた。


「……敵は要塞(日本経済)の守りを固め、我々の要塞(アメリカ経済)の地下に爆薬を仕掛け終えた。

 あとは、誰かがマッチを擦るのを待つだけだ。


 そして一番恐ろしいのは……そのマッチを擦るのが東郷ではなく、我々アメリカ人の強欲さそのものであるということだ」


彼は、冷めきったコーヒーを流し込んだ。泥のような味がした。


「……祈ろう、マーク。この悪夢から覚めた時、我々の艦隊を動かす燃料代くらいは、国庫に残っていることをな」


ワシントンの空は、どこまでも高く、青かった。

その青さが、スプルーアンスには死人の顔色のように見えてならなかった。

いつもお読みいただきありがとうございます。


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