2話 美味しい水
「水は美味しかったかな?」
沙優は次の日、またなんとなく山を訪れた。
老人もまた現れて、水の感想を聞いた。
「美味しい?食べてないし分かんない。みずって食べ物なの?」
「なんと。それじゃ意味が無いではないか」
その老人は昨日初めて会ったときほど不気味な感じでは無かった。
昨日は日が沈む頃に、日の光の届かない深い森の方で会ったから怖く感じだが、昼に会ってみると雰囲気が違っていた。
ツヤツヤとした黒い服を着ているが、優しそうな顔をしたおばあさんだった。
「もう一度あげるから、飲んでみい」
「のむ?どうやるの?」
「ああ、そこからか。ほれ、見とけよ」
おばあさんは水の入った筒の縁を唇につけて、器用に中の水を口に運ぶようにした。
そしてゴクゴクという感じに喉を鳴らした。
沙優にはそれがなんだか美味しそうに見えたのだった。
「私もやろっかな…」
「ああ!やってみい。美味しいぞ」
おばあさんは優しそうに見えたから、沙優は警戒を解いて、手渡された水を今見たのと同じようにして飲んだ。
「わぷっ…」
「!ためらっちゃダメぞ!そのまま、飲む!飲むのさ!」
「んむ…ん〜!」
ゴクッ…!
「!…」
「どうだ。美味しかろ?」
「なにこれ!味がないけど、美味しい!」
「ははは、いける口だの娘よ。また来ると良いぞよ。また汲んでくるからの」
「?…うん!また来るね!」
沙優は昨晩指が水に濡れて顔をくしゃくしゃにして不安がっていたのが嘘のように、水を飲んでルンルンで家に帰った。
「お母さん!水美味しかった!お母さんも…」
沙優は家に帰ると、お母さんに水の美味しさを伝えようとした。
まだ家に一杯残っていたからそれも飲みたかったし、明日母と山に行ったら母と一緒に水が飲めると思ったからだ。
このときの彼女は水に夢中で、また勝手に山に入ったことを怒られる可能性は頭から抜けていた。
そして、この先それを思い出すことも無かった。
「沙優、水は!水はもう無いの!?」
「えっ…うん。でも明日行ったらたぶんまた貰える…」
「本当でしょうね!明日になったら…今日じゃダメなの?今日の水はもう終わりなの!?」
「お母さん…?」
沙優の母は様子がおかしかった。
異常に水を欲していた。
しかし沙優には分かった。
母は水の味を知った顔だった。
娘に隠れて昨日の水を飲んだらしかった。
「ずるい!お母さんも飲んだんだ!私も飲みたかったのに!」
「あれは私が貰うって言ったでしょ!?」
「違うもん!預かるって話だったもん!」
「それは…!」
沙優の母はここで少し冷静さを取り戻した。
自分も、自分に似て穏やかな沙優も、こんなに感情を表に出したことなんて無かったことに気づいたからだ。
「今、沙優の目の下、光らなかった?」
「?なんのこと…?」
「ううん、なんでもない。ごめんね沙優。水を勝手に飲んだこと、謝るわ」
「うん…」
「それで、水が貰えるというのはどこなの?案内してくれる?」
「すぐそこの神社の裏山だよ。今から行くの?もう夜だよ?」
「ええ、一緒に行きましょ!」
「…うん」
いつもより少し必死な母に違和感を覚えながらも、沙優は母と一緒に山を訪れた。
そこにはやっぱり老人がいた。
しかし、昼とは少し違っていた。
「やっと水をもらいに来たか」
「はい。もらえますか?おじいさん」
「えっ…」
ライトで照らしながら夜の山道を少し進むと、老人はいた。
しかしいたのは、おばあさんではなく、おじいさんだった。
服は昼のときと全く同じ、フード付きで黒くてツルツルのコートなのに、おじいさんなのだった。