未送信の手紙
机の上に置いた真っ白な便箋を、何度も何度も見つめていた。
ペン先が紙に触れると同時に、涙がにじむ。
これは送らない手紙だと分かっているのに、書かずにはいられなかった。
「あの夜、あなたに触れられた瞬間、全部を忘れられた。
カメラの前で作る笑顔も、台本通りのキスも、嘘みたいに遠くなった。
私はあのとき、本当にあなたのものだった。
でもね、あれは私のわがままだったの。
もう戻れない場所まで来てしまった私を、ほんの一晩だけ、昔の私に戻してほしかった。」
ペンを握る指が震える。
胸の奥で、後悔と安堵が混ざって膨らんでいく。
「あなたは優しかった。
何も聞かず、ただ抱きしめてくれた。
それが余計に、私を苦しめる。
本当は言いたかった。
“もう私に触れないで”って。
でも、言えなかった。
言ったら、本当に終わってしまうから。」
便箋に涙の跡がぽつぽつと落ちる。
それを拭いもしないで、彼女は書き続けた。
「 誰かに抱きしめられることも、求められることも、もう全部 “仕事” の一部になってしまった。
私はその世界で生きている。
でもあの夜だけは違った。 私は、ただの私だった。 」
ペン先が止まる。
言葉はまだあるのに、これ以上書けば泣き崩れてしまいそうで、手が動かない。
便箋を二つに折り、封筒に入れる。
切手を貼ることはしなかった。
机の引き出しを開け、その奥にそっと置く。
送らない。
送れない。
それでも、この手紙を書いたことで、彼女はほんの少しだけ息がしやすくなった。
そして、彼の温もりを忘れないまま、翌日もまた、ライトの眩しい現場へ向かった。