第八章 ~『意外な組み合わせ』~
部屋の外に出ると、冷たい風が頬を撫でる。日暮れが近づいているのか、空が淡く茜色に染まっていた。
「琳華!」
声を掛けてくれたのは天翔だった。瞳にはいつもの穏やかさがあるものの、琳華を気遣う優しさと心配が入り混じっていた。
琳華は彼の元へ駆け寄ると、感謝を伝えるために一礼する。
「私を待っていてくれたのですね」
「君が慶命に連れて行かれたと聞いて心配でね」
「参考人として事情を聞かれただけですよ。今のところ容疑者にもなっていません」
「そうか……なら少しは安心だね」
肩の力を抜く天翔に、琳華は事情を一から説明する。すべてを聞き終えた彼は小さく頷くと、神妙な面持ちを浮かべる。
「琳華は玉蓮を疑っているんだよね?」
「十中八九、彼女の自作自演だと思っています」
「ならアリバイを生み出したトリックを暴かないとね。手掛かりはあるのかな?」
「いえ、現状は何も。これからの調査で見つけていくつもりです」
そのためにもどこから調査するべきかを定めなければならない。思案していると、突然、琳華が慶命から事情を聞かれていた部屋とは別室の扉が開かれる。何気なく目を向けると、退出してきたのは桂華と春燕だった。
「なぜ、あの二人が……」
琳華は思わず呟くと、天翔が反応する。
「もしかしたら今回の事件について聞かれていたのかもね」
「春燕様は毒を飲んだ玉蓮様の妹ですからね」
事情を聞かれても不思議ではないと納得しそうになるが、琳華はすぐに首を横に振る。
「いいえ、ありえませんね」
「どうしてだい?」
「玉蓮様と春燕様は姉妹ですが、不仲です。事情を聞いても有益な情報は得らません。桂華様なら二人の関係性を把握しているはずですから……」
桂華が優秀だからこそ、無駄な時間を使うはずがないと信頼できる。だが、その場合に二人が個室から出てきた理由が分からなくなる。疑念が頭をよぎった瞬間、扉が再び開いた。
次に姿を現したのは翠玲だった。彼女は琳華に気づくと、急ぎ足で駆け寄ってくる。
「琳華も事情を聞かれていたのね」
「ということは翠玲様もですか?」
「私は付き添いだけどね。春燕と一緒に事件発生時の状況について聞かれていたの」
「そうだったのですね……ですが、なぜ桂華様はお二人を選ばれたのでしょうか……」
会場にはたくさんの観客がいた。その中から春燕と翠玲を選んだのだから、そこには理由があるはずだ。
「春燕が元部下だからじゃないかしら」
「桂華様の下で働いていたことがあるのですか!」
姉の玉蓮が過去に桂華の部下だったとは聞いていたが、春燕までそうだとは知らなかったため、驚きを隠しきれなかった。
「でも途中で二人とも離れたそうよ。春燕は能力不足で、玉蓮はより高い報酬を提示されて移籍したそうよ」
「あの資金力に長けた桂華様以上の報酬ですか……」
報酬以外の別の事情があったのかもしれない。推察していると、琳華の頭に嫌な予感が過る。
(桂華様の下で働いていた……双子……まさか!)
琳華の心中に冷たい恐怖がじわりと広がる。最悪の想像が頭に浮かび、心臓が早鐘を打ち始めた。
(そんなはずありません……)
想像が外れていると信じて、琳華は翠玲に問いを投げかける。
「翠玲様に春燕様について、お聞きしても?」
「春燕がどうかしたの?」
「い、いえ……」
口を開こうとするが、琳華は質問を躊躇してしまう。そんな彼女の背中を押すように、天翔が微笑みかけてくれた。
(現実から逃げるわけにはいきませんね)
いつもの凛とした態度を取り戻した琳華は、翠玲をしっかりと見据えて、改めて問いかける。
「春燕様と会場で一緒にいましたよね。いつから一緒でしたか?」
「予鈴が鳴ってから二、三分後ね。その後はずっと一緒にいたわ」
「少しの間も離れたりしませんでしたか?」
「ないわ。ずっと二人で琳華を応援していたもの。それがどうかしたの?」
翠玲は不思議そうに首をかしげるが、琳華はその答えを聞いた瞬間、張り詰めていた緊張を解く。最悪の推理が外れていたと知り、安堵したからだ。
「私はどうやら馬鹿げた推理をしていたようですね」
琳華は苦笑いを浮かべる。その様子を見た翠玲は、少し意外そうな顔をするが、すぐに柔らかく笑った。
「琳華でも推理を外すことがあるのね。参考までに聞かせてくれないかしら」
「春燕様を疑ってしまいましたから。聞いて気分の良い推理ではありませんよ」
「もちろん春燕には秘密にするわ。なにか手掛かりを得られるかもしれないし、是非、話して頂戴」
躊躇うが、翠玲の言葉にも一理あった。ここだけの話だと前置きした上で推理を語る。
「玉蓮様のアリバイを成り立たせているのは、私の目撃証言です。ですが、もしあのとき見た玉蓮様が双晶のダイヤモンドを一時的に借りただけの春燕様だったとしたら、アリバイが崩れます」
「なるほどね……春燕は私と一緒にいた。予鈴が鳴った直後に玉蓮が薬房で毒を盗み出していたとしたら、一時的に借りた双晶のダイヤモンドを玉蓮に返すタイミングがないわけね」
双子が協力してのアリバイ作りは無理だと結論付けるが、天翔は推理を聞いた上で疑問を挟む。
「いや、もしかしたら可能かもしれないよ。例えば、受け渡しを春燕自身が直接行うのではなく、どこかに隠しておくのはどうかな? それを玉蓮が回収すれば、トリックは成立するはずだ」
天翔の推理に静かに頷きながらも、琳華は穴があると気づく。
「残念ながら隠すのは難しいでしょうね。あの周辺には人がたくさんいましたから……」
「誰にも見つからずに隠せる場所まで移動するには時間が足りないか……」
「同様に、第三者に預けたとも考えにくいです。双晶のダイヤモンドは玉蓮様のトレードマークになっています。顔が瓜二つの春燕様ならともかく、他の誰かが持っているところを見られたら、それだけで疑念を抱かれてしまいますから」
事件について調査が入った時に、印象に残った疑念を口にする者が現れるだろう。そうなれば折角のアリバイも崩れてしまうことになる。
「僕の推理も外れのようだね」
天翔は残念そうに肩を落とす。その様子に翠玲は笑みを零す。
「二人の推理は興味深いわ。でもやっぱり外れよ。だって春燕と玉蓮は不仲なのよ。協力し合うはずがないわ」
もし今までの出来事がすべて演技だとしたら、春燕は嘘吐きの天才だ。そんなことがあるはずもないと、翠玲は新たな提案を口にする。
「春燕のことは忘れて、玉蓮についてもっと知るべきね……」
「なら文書管理課で過去の経歴を調べるのはどうでしょうか?」
「良いアイデアね。そうと決まれば、さっそく行動しましょうか」
新たな手掛かりを得るため、希望を胸にした琳華たちは文書管理課へと向かう。次こそは真実に近づけると信じ、前を向くのだった。




