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第八章 ~『重要参考人』~


 玉蓮(ぎょくれん)が倒れ、宴席会場は緊張と混乱に包まれた。宮女たちが悲鳴を上げる中、琳華(りんふぁ)の動きは迅速だった。


「早く玉蓮(ぎょくれん)様を医官の元へ!」


 琳華(りんふぁ)の声に反応して、宦官たちが動き出した。玉蓮(ぎょくれん)の体を慎重に持ち上げ、急ぎながらも慎重に医房へと運んでいく。彼女の体はぐったりとしており、その姿は見る者に深い衝撃を与えた。


 宴席は一気に騒然となり、ざわめきが止むことはなかった。事態の収拾がつかないまま、一時中止となり、貴妃は退出することとなったが、去り際の彼女の表情は一貫して冷静そのものだった。


 数分後、後宮全体に非常事態を知らせる鐘が鳴り響き、会場の参加者たちは次々と退出していく。まるで何事もなかったかのように静まり返り、ただ重苦しい空気だけが残った。


 そんな中、琳華(りんふぁ)は宦官に指示されて、別室へと案内される。そこは、決して取り調べ室のような堅苦しい場所ではない。狭くも広くもない部屋には、質素な机と椅子が並び、窓からは柔らかな光が差し込んでいる。


(事情を聞かれるのでしょうね)


 玉蓮(ぎょくれん)が倒れた現場の近くにいたのだ。容疑者の一人に選ばれても不思議ではない。


 ほどなくして、慶命(けいめい)が部屋に入ってくる。彼は琳華(りんふぁ)を安心させるために笑みを浮かべる。


「大変なことになったな」

「まさかこんなことが起きるとは思いませんでした」

「残念だが、琳華(りんふぁ)は重要参考人だ。話を聞かせてもらうことになる」

「もちろん、事件に関する情報はすべてお話します」


 琳華(りんふぁ)は、毒見役として鮑を口にしたが問題なかったこと、その料理を玉蓮(ぎょくれん)が貴妃と自分の席に運んだことなど、知る限りの情報をありのままに伝える。だが耳を傾けていた慶命(けいめい)は釈然としない表情を浮かべる。


「それは間違いないのか?」

慶命(けいめい)様相手に嘘を吐いたりはしませんよ」

「そうか……」

「何か気になる点がありますか?」

「実はな、医官からの報告によると、玉蓮(ぎょくれん)が口にしたのは即効性の毒だそうだ」

「それはおかしいですね……」


 毒が料理に盛られていたのなら、琳華(りんふぁ)も倒れているはずだ。だが体に異変はない。そこに矛盾が生じていた。


 琳華(りんふぁ)は毒見で無事だった事実に対し、状況を冷静に整理していく。


「私が食べた段階で毒が盛られていなかったとしたら、犯行が可能なのは私と貴妃様の二人だけ……ただ立場や権威を考えれば貴妃様に疑いは向けられないでしょうね」


 さらに困ったことに琳華(りんふぁ)には疑われるだけの理由がある。


 世間から琳華(りんふぁ)玉蓮(ぎょくれん)は、貴妃の側近候補のライバルとして扱われていた。邪魔だった玉蓮(ぎょくれん)を排除しようとしたと邪推されれば動機が成立してしまう。琳華(りんふぁ)が毒を盛ったと疑われるのは避けられない状況だった。


「私は犯人ではありません」


 琳華(りんふぁ)が無実を主張すると、慶命(けいめい)は深く頷く。


「儂も琳華(りんふぁ)を信じている。だからこそ、無実を証明するためにも、この事件の謎を解かなければならない」


 慶命(けいめい)の信頼がほんのわずかな安堵を与えてくれる。だがそれでも状況は厳しい。毒見で無事だったことを考えると、状況証拠からすると疑われるのが当然だからだ。


(あれ? だとするとなぜ私は……)


 ここは取調室ではない。慶命(けいめい)があえて個室で彼女に話を聞く理由は、容疑者ではなく、事件の重要参考人として扱っているからだ。


「もしかして慶命(けいめい)様は、私が犯人ではない根拠をお持ちですか?」

「そこに気づくとは流石だな」


 慶命(けいめい)が感心して称賛の言葉を呟くと、一息吐いて口を開く。


「実は、薬房から消えた毒があってな。それと玉蓮(ぎょくれん)が飲んだ毒が一致していると、医官の調べで判明している」

「その毒はいつ消えたのですか?」

「事件の起きる直前、予鈴の鐘が鳴った時点ではまだ薬房で管理されていたそうだ」


 薬房では定期的に棚卸しをしている。公式の記録にも残っているため、正午の十分前に毒が存在していたことは間違いない。


「その後、棚卸しを終えた薬師は、宴席のために薬房を後にした。盗まれたとすると、正午の十分前からということになる」

「薬房に鍵は?」

「かかっていたが、数日前にその鍵が盗まれたと報告を受けている。ちょうど鍵を交換している最中を狙われたのだ」


 慶命(けいめい)の説明を聞き終えた琳華(りんふぁ)は、自分が容疑者でない理由に納得する。


「私は予鈴が鳴った時点で宴席会場の近くにいました。薬房から毒を盗み、戻ってくるには時間が足りません。犯行は不可能です」

「承知している。天翔も琳華(りんふぁ)のアリバイを証言しているからな。だからこそ容疑者ではなく、重要参考人になっているのだ」


 疑いを跳ね除ける根拠はあるのだ。だが慶命(けいめい)の表情は晴れない。


「普通に考えれば、琳華(りんふぁ)は無実だ。だが……玉蓮(ぎょくれん)が毒を飲んだのは偶然で、本来は貴妃が狙いだったのではと疑う者がいるのだ」

「私にアリバイがあってもですか?」

「狙われたのは皇族だ。誰かに責任を取らせなければ、後宮はこの件を終わらせることができないからな。たとえ無実だとしても、真犯人が見つからなければ、琳華(りんふぁ)がその責任を負わされる可能性は十分にありえる」


 琳華(りんふぁ)は一瞬、言葉を失う。理不尽に感じながらも、貴妃が本当に狙われた場合、誰もお咎めなしでは済まないとも理性では理解していた。


「事件の謎を解く。これこそが琳華(りんふぁ)の救われる道だ」


 嘆いていても、何も変わらない。今やるべきことは明白だった。琳華(りんふぁ)は深く息を吸い込み、心を落ち着けると、脳内で一つ一つの手がかりを慎重に整理していく。


「まず貴妃様は犯人ではないでしょうね」

「それについては儂も同感だ」


 貴妃がわざわざ目立つ宴席で毒殺する必要などない。中級女官程度の立場であれば、権力を使って、もっと簡単に排除できるからだ。


「だとすると犯行可能な人物がいなくなるな」

「問題はそこですね」


 疑わしい人物がいれば調査の方向性も定まってくる。だが今は候補となる人物さえいない状況だった。


 困り顔を浮かべる琳華(りんふぁ)たち。そんな時、静かに部屋の扉が開かれ、医官がゆっくりと足を踏み入れる。白い衣装をまとった医官は、深い敬意を払いつつも、急を要する様子で慶命(けいめい)に近づいた。


慶命(けいめい)様、玉蓮(ぎょくれん)が命を取り留めました」


 医官は落ち着いた声で報告する。その報告を聞いていた琳華(りんふぁ)は心の中で小さく安堵した。


「命が助かったのは僥倖だな。だがなぜだ?」

「毒の量が致死量よりも少なかったためです。犯人が分量を誤ったのでしょうね」

「そうか……」


 静かに頷く慶命(けいめい)に対し、医官は一礼をしてから退出する。その背中を見送った後、琳華(りんふぁ)は話を切り出す。


慶命(けいめい)様、もう一人、犯行が可能な人物がいました」

「本当か!」

「はい、それは玉蓮(ぎょくれん)様自身です」


 琳華(りんふぁ)の言葉に慶命(けいめい)は黙り込む。だがすぐに思い返したように、ハッとした表情を浮かべる。


「動機は琳華(りんふぁ)を嵌めるためか……」

「私をライバル扱いしていましたからね」

「なぜ犯人が致死量の毒を盛らなかったのかと疑問だったが、その謎も解消されるわけだな」


 本当に殺意があるなら毒の量を抑える理由もない。確実に命を奪うために、多めの量を仕込むはずだからだ。


玉蓮(ぎょくれん)の自作自演だとすれば、犯行も成り立つ。宴席の会場に姿を現したのは、正午の三分前だと聞いている。十分前に薬房から薬を盗んでも、片道であれば間に合う距離だ。その後、宴席の場で毒を飲めば――」

「自作自演の服毒が成立します」


 薬師の玉蓮(ぎょくれん)であれば、死なない量に調節することや、薬房から迷わず持ち出すこと、事前に鍵を盗んでおくことも容易だ。


「これで事件は解決だな」


 事件の謎が進展したことへの安堵からか、慶命(けいめい)はほっとしたように微笑む。だが琳華(りんふぁ)は苦々しい表情で首を横に振る。


「いえ、無理ですね。玉蓮(ぎょくれん)様にはアリバイがあります」

「どういうことだ?」

「実は正午の十分前に宴席会場の近くで玉蓮(ぎょくれん)様を見かけているのです」

「だとすると犯行は無理だな……」


 慶命(けいめい)は静かに呟く。彼の顔には解決の糸口が消えたことに対する失望が浮かんでいた。


 薬房と宴席会場を往復するための時間的制約がある以上、玉蓮(ぎょくれん)に犯行は物理的に不可能だ。


 ただ琳華(りんふぁ)だけは玉蓮(ぎょくれん)への疑いを抱き続けていた。


(トリックがあるなら必ず解いてみせます)


 琳華(りんふぁ)が決意を沸き立たせると、その様子を見ていた慶命(けいめい)は、微かに口元に笑みを浮かべる。彼女が持つ冷静さと強い意志、それが安心感を与えたのだ。


琳華(りんふぁ)、お主にこの事件の解決を任せてよいか?」

「必ず、慶命(けいめい)様の期待に応えてみせます」


 琳華(りんふぁ)は深く一礼する。自分を信じてくれる人がいる。それが彼女の心に大きな力を与えてくれるのだった。



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