第七章 ~『疑いとアレルギー』~
数日後、琳華は再び託児館に足を運ぶ。明るい朝日が庭先に差し込む中、穏やかな表情で歩いていた。
玄関を超えて、広間に向かうと、梅香がちょうど子供たちの朝食の準備を終えたところだった。琳華の姿に気づいた彼女が、にこやかに迎え入れてくれる。
「琳華さん、おはようございます。今日はどうされたのですか?」
「二人の様子が気になりまして……」
「春燕さんと蘭芳さんなら働き者ですから。猫だけでなく、子供たちの世話も頑張ってくれていますよ」
「それを聞いて安心しました」
「ただ……蘭芳さんについては少し心配な点があります」
梅香は少し言葉を選びながら続ける。
「コミュニケーション能力が高い春燕さんは、他の人たちとすぐに馴染みました。一方で蘭芳さんは、気が強くて、周囲から浮いてしまっています」
「積極的に人と関わるタイプではありませんからね」
「それに加えて、話しかけても拒絶するような態度を見せることが多くて……そのせいで、周囲から反感を買い始めています」
「それは何か手を打たなければなりませんね……」
周囲に溶け込む良い方法はないものかと思案していると、金切り声が広間に響く。
「あなたが盗んだんでしょ!」
奉仕者の女官の一人が蘭芳に言い放つ。広間には緊張感が漂い、誰もがその声の主を注視した。
「何があったのですか?」
争い事を止めるために琳華が駆けつけると、声を張り上げた女官は騒がせたことを申し訳ないと頭を下げる。その傍には大切そうに巾着を抱きしめる春燕の姿もあった。
「春燕様、説明をお願いしても?」
「実は、この中に仕舞っていた猫の玩具が消えたんです」
「あの羽を束ねた玩具ですよね?」
琳華の問いに春燕は小さく頷く。つまり玩具を盗んだ犯人として蘭芳が疑われており、糾弾されている状況だったのだ。
「私は盗んでないわ」
疑いをかけられたことに苛立ちを覚えながら、蘭芳はきっぱりと反論する。
「私も蘭芳さんは犯人じゃないと思います!」
「春燕……」
春燕個人としては蘭芳を疑ってはいなかった。建前ではなく、本心からの言葉だと分かるからこそ、一つの疑問が浮かぶ。
「なぜ蘭芳様が疑われたのですか?」
「巾着を置いていた物置に入ったのが、持ち主の私と蘭芳さんだけでしたから……」
「なるほど」
十分すぎるほどの根拠だった。周囲の疑いを晴らすためには、納得するだけの説明が必要だった。
「春燕様、物置に入ったのが二人だけなのは間違いないのですか?」
「物置の前で遊んでいた子供たちがそう証言しているんです」
「そうですか……」
釈然としない感情に包まれていると、蘭芳を犯人扱いした女官が改めて口を開く。
「私が蘭芳を犯人だと疑ったのは、他にも根拠があるんです……蘭芳は過去に窃盗の罪で捕まったことがありましたから」
「ふん、その件なら証拠不十分で釈放されたわ」
「でも火のないところに煙は立たないとも言いますから」
疑いが増していく中、女官たちの視線は鋭くなっていく。その流れを止めるため、琳華は子供たちに目を向ける。
「皆さん、少し話を聞いてもいいですか?」
優しく声をかけると、子供たちは戸惑いを見せるが、静かに頷いて琳華の質問に耳を傾ける。
「他に物置に近づいた人を見ませんでしたか?」
琳華の問いかけに、子供たちはお互いに顔を見合わる。重々しい空気が流れるが、誰も質問に答えようとはしなかった。
「なるほど、そういうことですか」
琳華は子供たちの反応から真相にたどり着く。
「謎はすべて解けました」
「本当ですか!」
真っ先に声をあげたのは春燕だった。彼女の声には驚きと期待が入り混じっており、その瞳には強い光が宿っていた。
他の者たちも琳華に注目を向ける。続く言葉が、真実を明らかにする内容であると期待が集まる中、静かに推理を語り始めた。
「子猫の玩具を盗んだ犯人は子供たちです」
その宣言に子供たちは驚きながらも不安げに顔を伏せる。その反応が半ば答えとなっていたが、琳華は推理を続ける。
「そもそも蘭芳様が玩具を盗むはずがありません。体質の問題で彼女は猫を触れませんから」
アレルギー症状が起こり、目の痒みや咳が止まらなくなる。そんな彼女の体質を琳華は見抜いていた。
「なぜ私の体質を?」
「近づかなくても済むようにと杓子を使って餌をあげていましたから。一方、羽の玩具は距離を取って使えるものではありません。蘭芳様には玩具を盗む動機がなかったんです」
ここまで説明すれば、女官たちも真相を察する。蘭芳が犯人でないとするなら、物置に入ったのは春燕のみ。だが持ち主が自分のものを盗むはずがない。
なら考えられる選択肢は唯一つ。証言そのものが誤っていた場合だ。子供たちは子猫の玩具を盗み、怒られないようにと嘘を吐いたのだ。
「本当のことを話してくれませんか?」
子供たちを諭すように問いかけると、その内の一人が頭を下げる。
「ごめんなさい……猫さんと遊びたくて……」
その声に続くように他の子供たちも謝罪する。
「遊び道具を勝手に持ち出すのはいけないことです。それと、蘭芳様と春燕様に謝りましょうか」
子供たちは改めて謝罪する。その表情には反省の色が浮かんでおり、二度と同じことが起きることはないだろう。
「私からも謝罪するわ。ごめんなさい」
蘭芳を犯人扱いした女官も素直に謝罪する。その言葉を受け、蘭芳は眉を釣り上げるものの、小さく息を吐いて、冷静になる。
「ふん、次はないから」
蘭芳が歩み寄ることで、一件落着となる。彼女も本心では皆との友好を望んでいるのだと感じ取れ、琳華は微笑ましさを覚えるのだった。




