表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/75

第七章 ~『子猫と蘭芳』~


 謎解きを終えてから数分後、広間の扉が静かに開かれ、翠玲(すいれん)に連れられた春燕(しゅんえん)が姿を現す。


「やっぱり琳華(りんふぁ)の推理は正しかったわ」

「では春燕(しゅんえん)様が子猫のお世話を?」

「していたそうよ」


 名前が挙がったことで、春燕(しゅんえん)はビクッと肩を震わせる。目が大きく見開かれ、驚きと緊張に包まれていくが、琳華(りんふぁ)の安心させるような微笑みのおかげで、すぐに平静を取り戻した。


春燕(しゅんえん)様を責めるつもりはありませんよ。ただ事実を知りたかっただけですから」

「てっきり叱られるのかと思っちゃいました」

「子猫のお世話をしただけで怒ったりしませんよ」


 安心したのか春燕(しゅんえん)の口元に笑みが宿る。そして何かを思い出したように懐から巾着を取り出す。


「あの子は私に凄く懐いてくれて……この玩具で遊んであげると、愛らしく鳴いてくれるんです」


 巾着の中に入っていたのは、鳥の羽を束ねた猫用の玩具だった。白い羽がヒラヒラと揺れる姿が猫の狩猟本能を刺激するのだろう。子猫が戯れる様子が絵に浮かぶようだった。


「毛並みが良かったので世話をされているとは思っていましたが、託児館で飼っていたんですね」

奉仕者(ボランティア)の人たちで、持ち回りで世話をしているんです」

「あの、それなら私にも手伝わせてくれませんか?」


 春燕(しゅんえん)は少し緊張した様子で訊ねる。琳華(りんふぁ)は一瞬驚いた表情を浮かべるが、すぐに温かい笑みを返す。


奉仕者(ボランティア)はいつでも誰でも募集中ですから。春燕(しゅんえん)様さえよければ喜んで」


 琳華(りんふぁ)の答えに春燕(しゅんえん)の口元に満面の笑みが浮かぶ。


「私、猫も子供も好きですし、それに何より、業務外でも琳華(りんふぁ)さんや翠玲(すいれん)さんと一緒に過ごせるなんて夢のようです」


 春燕(しゅんえん)は喜びで瞳を輝かせる。慕ってくれる後輩に感謝していると、子供たちが縋るような目を向けていることに気づく。


「お姉ちゃん、夕飯ってまだなの?」

「そういえば、まだでしたね」


 問われたことで琳華(りんふぁ)も自分の空腹に気づく。翠玲(すいれん)春燕(しゅんえん)と目を見合わせると、夕飯作りのために厨房へと移動する。


 広々とした厨房には、大きな鍋が整然と並んでいる。調理台には新鮮な野菜や豆類が用意されており、それを見渡した琳華(りんふぁ)が唸り声をあげる。


「何を作るのか悩ましいですね……」

琳華(りんふぁ)さんと翠玲(すいれん)さんさえ良ければ、薬膳料理の八宝粥なんかはどうでしょう。きっと子供も気に入る味だと思いますよ」

「食べたことのない料理ですね。春燕(しゅんえん)様の得意料理なのですか?」

「はい。といっても、レシピは姉さんから教わったものですが……」

玉蓮(ぎょくれん)様も料理が得意なのですね」

「あの人はどんな些細なことでも完璧にこなす人ですから」


 春燕(しゅんえん)の口調はどこか誇らしげだった。今でこそ対立している二人だが、かつては仲の良い姉妹だったことが伺えた。


(いつか和解できるとよいですね)


 玉蓮(ぎょくれん)春燕(しゅんえん)を後宮から追い出そうとするのを止める未来を想像しながら、琳華(りんふぁ)は調理に取り掛かる。


 春燕(しゅんえん)にレシピを教わりながら、その手順に従っていく。白米ともち米を大きな陶器に入れ、水が透明になるまで何度もすすぐと、鉄鍋の中に小豆や栗と一緒に投入していく。


「八宝粥はじっくりと煮込むのが大切なんです」


 竈に薪をくべて火の準備を進めていた春燕(しゅんえん)が、大量の水を鍋に加えて煮込んでいく。粥が煮立ってくると、米がふっくらと膨らみ、豆も柔らかくなっていく。


琳華(りんふぁ)さん、翠玲(すいれん)さん、これで完成です」

「美味しそうですね」

「子供たちもきっと喜ぶわね」


 食欲を唆る香りが厨房全体に広がっていく中、陶器に粥を丁寧に盛り付けていく。


 琳華(りんふぁ)たちが八宝粥を厨房から広間へ運ぶと、既に子供たちはテーブルに腰掛けており、小さな器を眼の前に並べていた。


「皆さん、お待たせしました。本日は八宝粥ですよ」


 子供たちは期待に満ちた目で鍋を見つめる。琳華(りんふぁ)は一人一人の器に八宝粥をよそい、丁寧に配っていく。


 粥を口に運ぶ子供たちは、笑顔の華を咲かせる。「美味しい!」という歓声が響く中、春燕(しゅんえん)は周囲を見渡し、何かを探していた。


「|春燕様、どうかされましたか?」

「子猫の姿がなくて……琳華(りんふぁ)さんは見かけませんでしたか?」

「残念ながら……」

「そうですか……」


 会話を聞いていた子供たちも子猫が消えていると気づいたのか、「少し前までここにいたのに」と不安げな表情を浮かべ始める。


琳華(りんふぁ)ならどこにいるのか推理できないの?」


 翠玲(すいれん)が期待するように問いかけると、琳華(りんふぁ)は少し考え込み、静かに答えた。


「実は、以前の寝室から子猫が消える事件ですが、小さな疑問が残っていました……それはなぜ宿舎に猫がいたのかです」

春燕(しゅんえん)が世話をしていたからでしょ」

「それは順序が逆で、宿舎前で子猫を見つけたからこそ春燕(しゅんえん)様はお世話をしたんです」

「あ、そうか」

春燕(しゅんえん)様が世話をする前から、宿舎には子猫の興味をひく何かがあったはずなんです」


 春燕(しゅんえん)の宿舎は託児館から遠い位置にある。わざわざ子猫がそこまで移動したのには理由があるはずだとの推理に、翠玲(すいれん)は感嘆の声を漏らす。


「さすが琳華(りんふぁ)ね。僅かな疑問から手掛かりを探るなんて……さっそく宿舎に探しに行ってみましょうか」


 翠玲(すいれん)の呼びかけに琳華(りんふぁ)春燕(しゅんえん)は頷く。


 子猫を見つけるため、託児館を出発した一行は、月明かりに照らされた静かな廊下を進んでいく。


 夜の冷たい風が頬を撫で、足音が響く中、琳華(りんふぁ)は子猫の行方を探るために周囲を注意深く観察して痕跡を見逃さないようにしていた。


琳華(りんふぁ)さん、あそこ!」


 宿舎前にある小さな前庭。木々が茂り、草花が美しく咲いている庭の一角で、一人の女性が長い柄の杓子を使って子猫に餌をあげていた。魚の切り身から作られた団子を子猫は嬉しそうに頬張っていた。


蘭芳(らんふぁん)さんがどうして子猫の世話を……」


 子猫に餌をあげていたのは、春燕(しゅんえん)を虐めていた宮女の蘭芳(らんふぁん)だった。声に反応した蘭芳(らんふぁん)が驚いたように振り向くと、鋭い眼差しを向ける。


春燕(しゅんえん)、私に何か用でもあるの?」

「猫を探していたら、ここに辿り着いただけです。それよりも蘭芳(らんふぁん)さんは猫が苦手ではなかったでしたっけ?」

「嫌いよ。にゃーにゃーと煩いじゃない」

「ならどうして……」

「この子は懐いてくれたからよ。私も人間だもの。好意を向けられれば好きにもなるわ」


 蘭芳(らんふぁん)らしくない言葉だが、だからこそ子猫に対する愛情が感じられた。


「もしかして、この子猫は春燕(しゅんえん)が飼っていたの?」

「いえ、私というより、託児館の奉仕者(ボランティア)が持ち回りで世話をしているんです」

「ふん、奉仕者(ボランティア)ね……」

「よければ、蘭芳(らんふぁん)さんも一緒にやりませんか?」


 春燕(しゅんえん)からの誘いに、蘭芳(らんふぁん)は目を見開く。虐めてきた相手が手を差し伸べてきたことに驚かされたからだ。


「なにか狙いでもあるの?」

「何もありませんよ。ただ動物が好きな人に悪人はいません。猫を通じてなら、蘭芳(らんふぁん)さんとも上手くやっていけると思っただけです。翠玲(すいれん)さんと琳華(りんふぁ)さんも構いませんよね?」

「もちろんよ」

「人手が増えると助かりますから」


 歓迎を伝えるように琳華(りんふぁ)たちは微笑む。本心だと伝わったのか、蘭芳(らんふぁん)は小さな声で答える。


「……後悔するわよ」

「そうかもしれませんね」


 暖簾に腕押しの態度に、蘭芳(らんふぁん)は小さく溜息を零すと、静かに頷く。


春燕(しゅんえん)からの誘いに乗るのは癪だけど、猫のためなら仕方ないわね」


 蘭芳(らんふぁん)春燕(しゅんえん)の提案を受け入れる。新たな仲間の加入に、皆は笑みを零すのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
i364010
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ