第六章 ~『玉蓮とライバル』~
貴妃宮を後にした琳華は、両脇に庭園が広がる廊下を進む。冷たい風が頬を撫でる中、その途中で見知った顔の女性を見つける。
一瞬、春燕と見間違えるほどの瓜二つの容姿だが、胸元で輝く双晶のダイヤモンドのおかげで間違えることはない。宿敵である玉蓮が優雅な動作で歩み寄ってきた。
「こんなところで会うなんて奇遇ね」
「玉蓮様……」
琳華は少し驚きつつも、すぐに神妙な面持ちを返す。
「偶然ではありませんよね?」
「はぁ?」
「あなたはライバルとなる女官が誰かを把握するために、貴妃宮に出入りする人をチェックしているのではありませんか?」
琳華の問いに、玉蓮は眉を顰める。
「相変わらず、恐ろしい洞察力ね……」
「本気で側近の地位を狙うなら、情報は値千金の価値を生みます。玉蓮様が優秀だからこそ、そこまでやるだろうと推理しました」
誰が競争相手なのかを知れれば、打てる施策にも変化が生じ、自分の勝ちポイントがどこかも明確になる。
玉蓮が先に面接を受けたと知っていた琳華は、貴妃宮の傍で監視しているだろうと予想していたのだ。
だがそれでも琳華は玉蓮の登場に驚いた。情報収集のためだけなら、わざわざ姿を見せる必要性はないからだ。
「本当に厄介な女ね……でも呼び出された女官の中でライバルになりそうなのは琳華だけ。だからはっきりと伝えるわね。あなたは私の敵よ」
姿を現したのは宣戦布告のためだった。側近の地位は譲らないと、玉蓮の瞳に敵意が含まれていく。
「それほど地位が欲しいのですか?」
「より上へ立ちたいと望むのは人間の本能だもの。総尚宮や四尚宮になれば、富と権力は思いのまま。幸せな人生が手に入るわ」
玉蓮は欲望を隠そうともしない。価値観に相容れない部分を感じながら、琳華はゆっくりと首を振る。
「私は側近の地位を望んでいません。事実、貴妃様にもお断りを伝えました」
「欲がないと?」
「欲しいものはありますが、お金や権力に対してではありませんから」
「信じられないわね」
「ならそれでも構いません」
敵視したければすればいい。それだけ言い残して立ち去ろうとする琳華を玉蓮は呼び止める。
「少し薬房まで付き合ってくれないかしら。春燕に関わる大切な用件があるの」
「春燕様の……」
後輩の名前を出されたら従わないわけにはいかない。玉蓮に案内されて、琳華は薬房へと向かう。
薬房は後宮の一角に位置し、周囲の静寂と調和するように佇んでいる。外観は他の建物と同様に手入れされているが、質素で機能的なデザインが施されている。
案内されるがまま薬房の内部に足を踏み入れると、薬草や漢方薬の香りが鼻腔を擽る。室内は清潔に保たれており、壁には収納棚が並んでいる。これらの棚には、さまざまな薬が収められていた。
「ここが私の職場よ」
「薬師は玉蓮様一人なのですか?」
「助手がいるわ。二階にいるんじゃないかしら」
部屋の隅には上階へと続く階段があり、小さな物音が聞こえてくる。扉の鍵も開いていたため、彼女の言う通り、二階に人がいるのだろう。
「それで春燕様に関わる話とはいったいなんでしょうか?」
「心臓病のことよ。どれくらい詳しく知っているの?」
「重い病気とだけ聞いています」
「正確な情報を教えてあげるわ。春燕はもう三年も生きられないの」
「それは本当ですか!」
驚愕で声が自然と大きくなる。玉蓮は神妙な面持ちで頷く。
「治療法はないのですか?」
「あるにはあるわ。でも今飲んでいるような効果の小さい薬では駄目。外国で生産されている特効薬を使う必要があるの」
「その薬は手に入らないのですか?」
「とても高価なの。ただの女官では生涯働いても買えないほどにね。だから私はあの娘を後宮から追い出したいの。心臓病で妹を救えなかった薬師という噂が広がれば、私の評価が地に落ちるもの」
妹が危険な状態だというのに、玉蓮が口にするのは自らの保身だけ。そんな彼女に嫌悪を抱いていると、玉蓮は慎重な手つきで薬瓶を棚から取り出した。
「だから私にとっても、春燕にいま死なれると困るの。特効薬ではないけれど、症状を和らげる治療薬よ。春燕に渡してもらえるかしら」
朗らかな笑みを浮かべる玉蓮からの依頼に対し、琳華は冷静なまま首を横に振る。
「お断りします。あなたから渡してください」
琳華の拒絶に、玉蓮の口角が歪む。
「一応、理由を聞いてもよいかしら?」
「こちらの薬、毒ではありませんか?」
「なんですって……」
眉を吊り上げた玉蓮は反論しようと口を開く。だが琳華は静止するように手を前に突き出す。
「その可能性があるという話です。もし毒の場合、私が渡すと容疑者が二人になります。そのために私を経由させようとしているのではと疑っています」
琳華の指摘に納得したのか、玉蓮は怒りを治める。その分析内容に感心して、静かに頷いた。
「毒か薬かは答えないでおくわ。でも罠に嵌められる危険を瞬時に判断する力はさすがね」
「宝物殿で罪を被せられたことで学習しましたから」
目的を果たすためなら人の道から外れる者は少なからずいる。玉蓮も貴妃の側近になるためなら、毒を盛るくらいのことはやりかねない。
「こんな厄介な相手がライバルだなんて私も運がないわね」
「なら私を敵視するのを止めてください」
「安心しなさい。あなたを狙うのは諦めるわ」
「随分と潔いですね」
「直接、陥れようとしても無駄だと悟ったもの。でも琳華にも弱点はあるわ。あなたの周囲には凡人がたくさんいるもの」
玉蓮の脅迫に、琳華は鋭い眼差しを返す。
「私の大切な人たちに危害を加えるようなら、あなたを許しませんから」
「守れるものなら守ってみなさい」
薬房の空気が険悪なムードに包まれる。琳華は脅威を感じ取りながらも、屈しないと心の中で信念を貫く決意を新たにするのだった。




