第五章 ~『竹林と子供の頃』~
桂華との話を終えた琳華は帰路についていた。夜風が冷たく、体を震わせる彼女は、桂華との対決による緊張感を深い息と共に吐き出す。
(桂華様は予想以上の怪物ですね……)
人を意のままに操るのを得意とする桂華だ。自由に使える駒が桃梨一人だけとは考えにくい。
他にも何人か抱えていると考えたほうが自然だ。琳華の周囲にも息がかかった人間が潜んでいても不思議ではない。
(今まで以上に注意が必要ですね……)
大切な友人を守り抜くためにも油断はできない。そう覚悟を決めながら宿舎へ向かっていると、天翔が廊下で待っていた。
「無事なようで安心したよ」
「心配してくれたのですね」
「君は大切な人だからね」
天翔の声には深い思いやりが宿っていた。彼は琳華の顔をじっと見つめながら、その目を細めると、本題を切り出す。
「それで、桂華とはどのような話を?」
「実は……」
琳華はすべてをありのままに伝える。桂華の狙いや会話の内容、そして天翔を狙っている事実に、彼は時折、頷きながらも黙って耳を傾けていた。
「これが桂華様との会話のすべてです」
「まさか目的が僕とはね。驚いたよ」
天翔は自分が狙われていると知っても冷静さを保ち続け、琳華を安心させるために冗談混じりの言葉を続けた。
「顔が良すぎるというのも考えものだね」
「天翔様はお強いですね」
「僕は金に靡いたり、権力に屈したりすることがないからね。誰にも支配されない自信があるからこその余裕さ」
「ただ相手はあの桂華様ですよ」
他の者なら心配無用だろうが、桂華は一筋縄ではいかない難敵だ。
表情に不安が現れ、一瞬目を伏せる。そんな彼女の内心を読み取ったのか、天翔は柔和に微笑む。
「君の言う通り、桂華は怪物だ。でも僕らも黙ってやられたりはしない。降りかかる火の粉は振り払ってやればいいのさ」
「天翔様は前向きですね」
「その方が人生は楽しいからね」
「私も見習わないといけませんね」
人は自分にないものを求める。プラス思考は天翔の長所であり、琳華が彼を尊敬する理由の一つでもあった。
「善は急げだ。桂華を忘れるためにも、僕の気晴らしに付き合ってくれるかな?」
「私で良ければ喜んで」
「君ならそう言ってくれると思ったよ」
同意を得た天翔は、後宮の外れにある竹林へと先導する。
背の高い竹が密集して立ち並び、青々とし細長い幹が天を突くように伸びている。竹の葉が風に揺れる音が心地よく響き、冷たい夜風が竹の間を通り抜けて、ひんやりとした感触を肌に残してくれた。
「静かで落ち着きますね」
「僕のお気に入りの場所でね。君にも紹介したかったんだ」
天翔の声が柔らかく響く中、しばらく歩くと、竹林の中に屋台が見えてくる。
屋台の上には小さな提灯が吊るされ、ほのかな光を放って周囲を照らしている。手書きの文字で『団子』と書かれた幟もあがっており、風情のある雰囲気が漂っている。
「こんな遅くの時間でもやっているのですね」
「夜だからこそさ」
天翔が視線を空へと向ける。釣られて琳華も顔を上げると、高く昇る満月が目に入った。
「なるほど、お月見ですね」
「この竹林からだと月がよく見えるからね。せっかくだから僕らも団子を頂こうか」
「いいですね」
屋台に近づくと、年配の店主が笑みを向けてくれる。顔には深い皺が刻まれているが、その瞳は親しみやすさに満ちている。団子を串に刺して、炭火の上で丁寧に焼き上げていく動作は熟練の業を感じさせた。
「坊っちゃんが女性を連れてくるのは初めてですね」
「男を連れてきたこともないけどね」
「そうでしたね」
店主と天翔は顔見知りなのか、親しげに会話を交わす。
「天翔様はこの店の常連なのですか?」
「子供の頃からのね。暇さえあれば、月見をしながら団子を楽しんでいたよ」
「幼少時代の天翔様はさぞかし愛らしかったのでしょうね」
「よく女の子と間違えられたよ……まぁ、今でも稀に女性と勘違いされるけどね」
天翔の軽口に笑みを零すと、店主が微笑ましげに目を細める。
「坊っちゃんと仲良くしてくれてありがとうございます」
「いえ、私の方こそ、天翔様にはお世話になっていますから」
「昔から坊っちゃんは一人で過ごすことの多い方でしたから。友人ができて安心しました」
店主は感謝を伝えるように、串に刺した団子を琳華に差し出す。美しく焼き色が付いた団子は醤油の香りを漂わせていた。
「サービスです。どうぞ、食べていってください」
「お金ならきちんと払いますよ」
「坊っちゃんの友人から代金をいただくわけにはいきませんから」
店主は頑なに料金を受け取るの拒否する中、困り顔を浮かべる琳華に天翔が助け舟を出す。
「心配しなくても琳華は中級女官だ」
「それは凄い。お若いのに優秀なのですね」
「僕の自慢の友人だからね。そして中級女官は飲食代を支払わなくても、店が売った数を報告すれば、後払いで代金が支払われるようになっている。遠慮せずに受け取るといい」
琳華はそれならばと、団子を受け取る。店主に遠慮する理由がなくなったからだ。
「飲食代が無料になる特権は屋台にも適用されるのですね」
「子供の頃から後宮で過ごしてきた僕だが、一度も支払いを求められたことがないからね。この上位階級の特権は例外なく、すべての飲食店に適用されるはずさ」
何気ない一言だったが、琳華の表情が変わる。その言葉に違和感を覚えたのだ。
「どうかしたのかい?」
「……天翔様は子供の頃から中級女官に匹敵する地位だったのですか?」
不意を突かれたような問いに、天翔の瞳に困惑が浮かぶ。だがすぐにいつもの冷静さを取り戻した。
「さすがは琳華、よく気づいたね。君の言う通り、僕は子供の頃から中級女官より上の立場さ」
「やはりそうなのですね」
「その地位があるからこそ、桂華にも負けないと約束できる。だから心配はいらないよ」
天翔の自信に満ちた表情は琳華を安堵させる。彼ならばどんな困難も乗り越えられる。そう信じることにしたのだ。
(今は純粋にお月見を楽しむとしましょう)
空を見上げると、満月は周囲の星に照らされて輝きを増していた。絶景を鑑賞しながら、二人は団子に舌鼓を打つのだった。




