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第五章 ~『桂華からの招待』~


 昼食後の仕事も円滑に進み、一日が終わりを迎えようとしていた。疲労と充足感に包まれた琳華(りんふぁ)は、宿舎へ帰るために廊下を進む。


 庭の木々は夕焼けに染まり、温かい光が葉の隙間から差し込んでいる。夕方の静けさの中で、小鳥たちがさえずりを交わし合い、穏やかな風が髪を優しく撫でる。


翠玲(すいれん)様も定時で帰れたようですし、仕事は順調ですね)


 業務が効率化され、新人も増えた。これから負担はどんどん軽減されていくはずだと、期待に胸を膨らませていると、柱の影から一人の宮女が姿を現す。タイミングから琳華(りんふぁ)がやってくるのを待っているようだったが、知らない顔だった。


「あなたが琳華(りんふぁ)さんですか?」


 宮女は少し緊張した様子で訊ねる。彼女の声はわずかに上擦っており、確信のなさが感じられた。


「ええ、私が琳華(りんふぁ)です。どうしましたか?」

「実は、桂華様の配下の方から伝言を頼まれまして……この後、都合の良い時間に部屋を訪問して欲しいとのことです」

「桂華様がですか……」


 桂華と聞いて、琳華(りんふぁ)の心に不信感が芽生える。彼女が自分を呼び出す理由に見当がつかなかったからだ。


「招待の用件は聞かされていますか?」

「なにも。たまたまこの辺りに用事があったので、ついでに伝えて欲しいと頼まれただけですから」

「そうですか……」


 宮女の少し困ったような顔は嘘を吐いているように思えなかった。


「少し考えさせてください」

「それは琳華さんの自由ですので……では、私はお伝えしたので、これで失礼しますね」


 宮女は深くお辞儀をして、その場を去っていく。足音が廊下に響いて、やがて姿が見えなくなるほど遠ざかっていった。


 琳華(りんふぁ)は廊下の静けさの中で立ち尽くす。桂華からの招待をどう受け止めるべきかを心の中で模索していた。


 そんな時、人の気配が近づいてくると気付く。振り返ると、天翔が駆け寄ってきた。


琳華(りんふぁ)、ここにいたんだね」

「どうかされましたか?」

「君が玉蓮(ぎょくれん)と揉めたと聞いてね。心配になったんだ」


 天翔の声には琳華(りんふぁ)の身を案じるような響きが込められていた。その優しさに感謝しながらも、彼の耳にまで情報が届いていることに驚く。


「もしかして噂になっていますか?」

「宮女たちの間では、その話題で持ち切りさ。なにせ琳華(りんふぁ)玉蓮(ぎょくれん)も有名人だからね」


 上級女官の候補に選ばれるほどの二人が衝突したのだ。皆が興味のひかれる話題は広がりも早く、天翔の耳にまで届くほどの騒ぎになっていた。


「特に玉蓮(ぎょくれん)の知名度は中級女官の中では随一でね……人は誰しも病気になる可能性を秘めている。もしもの時に備えて、優秀な薬師の評判は知っておきたいだろうからね。彼女の名は広がりも早かった」


 さらに玉蓮(ぎょくれん)は治療困難な病をいくつも治してきた実績を持つ。薬師としての腕が本物だからこその評判の高さだった。


玉蓮(ぎょくれん)様は凄い人なのですね……」

「実力はね。でも上昇志向が非常に強いから、良い条件があればすぐに派閥を鞍替えするんだ。心ない者は彼女を蝙蝠と揶揄するほどにね」


 その悪評がさらに玉蓮(ぎょくれん)を有名にしたのだと、天翔は続ける。


「それでも尚、引く手数多なのですね」

「悪名以上の実力があるからね。上級女官のほとんどが声をかけているんじゃないかな。あの桂華でさえも自分の派閥に招き入れていた時期があるほどだからね」


 女官の中でも最大の権力を握る桂華でさえ欲した才能。だが今は彼女の下から離れたという。


 資金力に優れた桂華が部下を逃したことに違和感を覚えるものの、人が離れるのは給金以外にも理由がある。考えても仕方がないと頭の片隅に追いやると、思い出したように琳華(りんふぁ)は口を開く。


「桂華様といえば、会いに来るようにと招待されました」

「……桂華が君を誘う理由に心当たりはあるのかい?」

「いえ、まったく」

「なら考えうるのはスカウトかな」


 ありえない話ではない。かつて琳華(りんふぁ)桃梨(とうり)を通じて誘われたことがあるからだ。


「ですが、既に断っていますよ」

「なら何か企みがあるのかもね。彼女の部屋を訪れたら、罠が待っているかもしれない。最悪の場合、危害を加えてくる可能性さえある」


 天翔は眉をひそめながら不安を吐露する。対象的に琳華(りんふぁ)は、落ち着かせるように優しく微笑む。


「私に危害を加えたりはしないと思いますよ」

「どうしてそう思うんだい?」

「言伝を頼まれた宮女が桂華様の直属の部下ではありませんでしたから。もし本当に私を始末するつもりなら、証拠は残らないようにするはずです。本人か、もしくは側近がやってくるでしょうから」


 もし琳華(りんふぁ)が行方不明にでもなれば、宮女が桂華から伝言を頼まれたと証言するだろう。そうなれば、上級女官の桂華といえども立場が危うくなる。


「それに私に危害を加えても、桂華様の利益に繋がりません。きっとあの人は、無意味なことをしない人ですから」


 桂華の人物像に対する考えに天翔も同意する。


「優秀だからこそのある種の信頼があるわけだね」

「感情だけで動く人間とは違います。思慮深く、行動の一つ一つに意味があるタイプでしょうから」


 琳華(りんふぁ)の分析に、天翔は感心して舌を巻いた。


「君の観察眼は相変わらず凄いね」

「いえ、そんなことは……」

「謙遜しなくても、君には評価されるだけの力がある。僕が保証するよ」

「天翔様……」


 親友が太鼓判を押してくれたのだ。なら恐れる理由はないと深く息を吸い込んで決心する。


「私、桂華様に会ってみます」


 相手の狙いを把握するためにも火中に飛び込む覚悟を決める。そんな彼女に、天翔は信頼の眼差しを向けるのだった。



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