第四章 ~『評判を高める宝石鑑定士』~
朝の柔らかい陽光が降り注ぐ中、琳華は職場へと急いでいた。石畳の回廊を駆け抜け、息を整える間もなく、扉を開けると、ひんやりとした空気が迎えてくれる。
文書管理課の室内は厳かな静けさに包まれ、壁一面に設置された背の高い本棚には書物が整然と並んでいる。机の上には未処理の書類が山積みになっていた。
「遅くなりました」
息を切らしながら駆け込むと、翠玲が微笑みを向けてくれる。
「話は聞いているわ。事件を解決してきたのだから、むしろ胸を張って良いのよ」
翠玲の声は穏やかでありながらも、上司としての心強さを感じさせた。彼女は多くの困難を乗り越えたことで、文書管理課の長としての風格が漂うようになっていた。
「最近の琳華は本当に凄いわね。数々の謎を解いて評判は鰻登り。上司の私も鼻が高いわ」
翠玲の瞳に誇らしげな光が宿る。彼女の称賛は琳華にとって何よりの励ましではあるが、申し訳ないと感じている部分もあった。
「謎解きのせいで、文書管理課の仕事に時間を割けずにいるのが心苦しくて……」
言葉に詰まりながらも、自分の悩みを正直に伝えると、翠玲は笑顔のまま首を横に振る。
「仕事なら気にしないで。琳華なら短い時間でも結果を出してくれるもの。それに効率化を進めてくれたおかげで、仕事が溢れることもない。あなたの能力を活かせる場面があれば、私に気兼ねする必要はないからね」
翠玲の言葉には、信頼と期待が込められていた。
琳華はほっと胸を撫で下ろし、心の中に温かいものが広がるのを感じながら机に向かう。すると自席の隣に書物が積まれていると気づく。
「もしかして新人が来るのですか?」
「さすが琳華。素晴らしい洞察力ね」
「机の上に積まれた書物が新人向けのマニュアルでしたから」
次に来る新人が困らないようにと琳華が作成したものであり、見間違うはずもなかった。彼女の推理に翠玲は満足げに頷く。
「今度、宮女から下級女官に昇格した女の子が新人としてやってくるの。面接で一度だけ顔を合わせたけど、私よりも背が低くて、年齢は琳華よりも若いわ」
「私にも後輩ができるのですね」
先輩に恵まれてきた琳華だからこそ、後輩には優しくしたいと願っていた。表情に期待が浮かんでいたのか、翠玲は微笑む。
「その娘も琳華に会うのを楽しみにしていたわよ」
「そうなのですか?」
「琳華が図書室を発案したでしょ。そのおかげで文字を覚えたらしいの。宮女から下級女官になれたお礼を恩人に返したいそうよ」
後宮の識字率を上げるための貸し本施策が効果を発揮したのだ。達成感に満たされていると、翠玲は曖昧な笑みを浮かべる。
「ただ一つだけ懸念があるの……心臓に病を抱えていてね。頑張りすぎないかだけが心配なの……」
翠玲も過去に過労で倒れた経験がある。だからこそ彼女の瞳には、同じ苦しみを経験した者だけが持つ共感が宿っていた。
「ハンデがありながらも、下級女官に昇格したのです。優秀な人なのでしょうね」
「それは私が保証するわ。採用面接時に、十名以上いた候補者たちに書物の推薦文を用意してもらったの。その中でもピカイチの出来栄えだったわ」
推薦文の執筆は多くの力が必要になる。書物の内容を正確に把握する読解力、テーマや構造を解析する分析力、そしてそれを魅力ある言葉で伝える表現力など、文書管理課で働く上でも重要な力を見定められる。
翠玲が太鼓判を押すほどの推薦文がどのような内容か興味を引かれた琳華は、机の上に置かれていた推薦文の束に気づく。丁寧に目を通していくと、その内の一枚で感嘆の声をあげた。
「これが例の新人の推薦文ですね」
「そのとおりよ。頭一つ抜きん出ているでしょう?」
「理路整然とした内容にまとめられている上に、文字も一番綺麗です。とても覚えたばかりとは思えないほどです」
他の候補者たちの推薦文も素晴らしいが、比べると雲泥の差だった。期待の新人に胸を踊らせていると、彼女の頭に閃きが奔る。
「この推薦文、使えるかもしれません……」
琳華が瞳を輝かせる時は、必ず良い方向に結果が転がる。それを知っている翠玲は、彼女の提案を待つ。
「これらの推薦文を図書室に張り出してみるのはどうでしょうか?」
本人からの許可は必要だろうが、上手く行けば、書物の良い宣伝になる。読者が増えれば、それがまた識字率の向上へと繋がっていくだろう。
「さすが琳華。妙案ね」
「さらに副次的な効果として、今回面接で落ちた人たちのアピールにもなります。文字の読み書きができると知られれば、より給金の高い職種に誘われる機会も増えるはずですから」
人手不足の後宮だ。文書管理課の一員とならなくても、事務員が欲しい部署は他にもたくさんある。不合格者たちにとって宮女から女官へ昇格するチャンスにも繋がるはずだ。
「琳華は本当に凄いわね」
「いえ、たいしたことはありませんから……」
「謙遜しなくてもいいわ。あなたの力はまるで魔法よ。琳華のおかげで後宮がどんどん素晴らしい場所へと変わっていくわね」
キラキラと尊敬を浮かべた眼差しを受けて、琳華は微笑む。その期待に応えるためにも、仕事に打ち込んでいくのだった。




