第三章 ~『保釈金と条件』~
《桃梨視点》
オパール盗難事件の翌日、桃梨は策を講じるために後宮の外にいた。本来なら簡単には下りない外出許可を得られたのは、後宮内で権力を持つ四大女官の一人――桂華の派閥に属しているからだ。
桃梨が向かった先は、街の外れにひっそりと佇む牢獄だった。石造りの建物と重厚な鉄扉、逃亡を防ぐための監視塔が社会から隔絶された場所であると主張していた。
牢獄の正門に到着した桃梨は、門番に桂華の遣いだと伝える。敬礼と共に内部へと通された彼女は、表情を引き締めていく。
湿った空気に満ちた牢獄の内部では、時折、囚人たちの呻き声や鎖の音が聞こえてくる。
看守に先導され、桃梨は冷たい廊下を進んで牢屋の前まで案内される。そこには端正な顔立ちの男が、生気のない表情で鎖に繋がれていた。
「あなたが明軒ですわね?」
桃梨の声が牢獄の静けさの中で響くと、明軒はゆっくりと顔を上げる。彼の瞳には幽閉に対する疲労が映し出されていた。
「俺はたしかに明軒だが……あんたは?」
掠れた声は話すことが久方ぶりであると物語っていた。桃梨は人当たりの良い愛想笑いを浮かべる。
「私は桃梨。後宮の遣いですわ」
「……後宮の人間が俺に何の用だ?」
明軒は眉根を寄せて、不機嫌を顕にする。以前、後宮が宝石店を担保にしたせいで、借金取りに織物屋を奪われてしまったことがあった。次期店主の地位を失った原因の一端である後宮は、彼にとって憎むべき敵だった。
「そう警戒しないでくださいまし。私はあなたの味方ですわ」
「……どういう意味だ?」
「ここから出して差し上げますわ」
明軒はその言葉に沈黙し、壁に体重を預けながら感情を整理する。過去の後宮への恨みと牢獄からの解放を天秤に掛けた結果、彼は前向きな反応を見せる。
「保釈金を払ってくれるという理解でいいよな?」
「看守から金額は事前に聞いていますわ。あなたが私に協力するなら、今すぐにでも牢屋の外に出られますわよ」
「…………」
明軒が沈黙したのは、世の中に甘い話はないと知っていたからだ。助け舟に乗るための運賃に何を支払わなければならないのか。提案の裏にある危険性を感じ取り、不安に包まれていく。
「……やばいことでもやらせるつもりか?」
恐る恐る問いかけると、桃梨は鉄格子に顔を寄せる。明軒もゆっくりと身体を動かし、彼女の声が聞こえる距離まで近づいた。
「これからする話はここだけの秘密ですわ。約束できますわね?」
「口は固い方だ。任せておけ」
「では……」
桃梨は明軒の反応を確認するように、僅かに躊躇いながらも、重々しく口を開く。
「琳華の始末をお願いしますわ」
明軒は桃梨の要求に驚きを隠せずにいた。言葉を失い、絶句する中、彼は何とか言葉を絞り出した。
「ほ、本気か……」
「こんな冗談を口にはしませんわ。やってくれますわね?」
「それは……」
「あなたも琳華とは確執があるはず。躊躇う理由がありますの?」
桃梨の追い込むような質問に、明軒は声を震わせながら答える。
「俺は琳華のせいで人生が破滅した。当然、今でも恨んでいる……だが、それは俺の事情だ。あんたはどうして琳華を排除したい?」
危ない橋を渡るのだから納得感は重要だ。
明軒の問いに桃梨は一瞬表情を硬くするものの、彼の疑心を含んだ瞳から、秘密のままではいられないと観念する。
「琳華は私たちの秘密に勘づいた様子でしたから……口封じのためにも、生きていられては困りますの」
「その秘密の内容は……」
「……知りたいんですの?」
「いや、止めておく」
どのような秘密かと明軒は深追いしない。知れば自分の命も危険に晒されると悟ったからだ。
「保釈金以外にも、成功報酬を別途お支払いしますわ。さらに私の仲間の商人に、隣国への国外逃亡を手助けさせます。もちろん移住先の住居や仕事も保証しましょう。この条件なら如何です?」
現在の暗い牢獄生活から抜け出し、希望に満ちた未来を掴める提案は魅力的に映った。
だがリスクもある。もし失敗すれば、明軒は重罪人として死罪もあり得た。軽はずみな回答はできないと躊躇っていると、桃梨が決断を迫る。
「悩むなら他の者に頼みますわ。このまま牢屋の中で暮らすか復讐を果たすか。好きな方を今すぐ選んでくださいまし」
桃梨に催促され、明軒はゴクリと息を飲む。彼はとうとう覚悟を決めた。
「俺の座右の銘は『太く、短く』だ。琳華を始末して、悠々自適の生活も悪くないか……」
「契約成立ですわね」
「それで決行はいつになる?」
「琳華が外出を申請したそうですの。その日を狙ってくださいまし」
「任せておけ。必ずやり遂げてやる」
「期待していますわ」
桃梨は淡々とした声で明軒を激励し、彼の成功を心から願う。琳華を始末するため、二人の悪魔が手を組んだのだった。




