表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/75

プロローグ ~『想定外の事態』~

明軒(めいけん)視点》



 琳華(りんふぁ)との婚約を破棄してから数日が経過した。明軒(めいけん)の日常に変化はなく、強いてあげるとすれば、この数日で彼女が姿を消したことくらいだ。


琳華(りんふぁ)がまさか行方不明になるとはな……」


 織物を店頭に並べながら、梅蘭(めいらん)詩雨(しう)にぼんやりと呟く。店内に客はいないため、彼女らは手を止めて、その話に耳を傾ける。


「お姉様ったらどこに消えたのかしら?」

「俺たちの仕打ちに耐えかねて、街を離れたのかもな」

「傷心を癒やしたら、また元気な姿で帰ってきて欲しいですわね」

「今度はもう少し優しくしてやらないとな」


 言葉とは裏腹に明軒(めいけん)の声に後悔の色はない。それは詩雨(しう)も同じで「あんまり虐めては可哀想だ」と、嘲笑を漏らした。


琳華(りんふぁ)が帰ってきたら桃饅頭をご馳走してあげないとね。きっと喜ぶわ」

「お姉様の好物ですものね」

「美味しいものを食べれば嫌なことなんて吹き飛ぶんだから。素直で従順なお姉ちゃんなら、きっと分かってくれるわ」


 梅蘭(めいらん)詩雨(しう)は姉を称えるが、その声には感謝や尊敬の念はなく、ただの形式的な言葉に過ぎない。


 それを見抜いた明軒(めいけん)は口元に笑みを貼り付ける。


 姉を馬鹿にされても本気で怒らないのは、彼女らが琳華(りんふぁ)を便利な道具として扱っているからだ。


 本当に家族のことを思うなら、こんな反応にはならない。無自覚で寄生している家族が滑稽で仕方ないと、口元が緩むのを抑えられなかった。


「俺は本当に幸せものだな」

「どうしましたの、急に」

「いや、しみじみと感じてな」


 強く命じれば娘を罠に嵌める母親に、姉の婚約者と不義理を果たす妹。彼女らの根底にあるのは強者への服従だ。


 織物屋を継ぐために、ノウハウを習得してきた明軒(めいけん)は実質的な経営者となっていた。彼がいなければ仕事が回らない。欠かせない存在となったからこそ、どのような不義理も梅蘭(めいらん)は店のためだと受け入れる。


 詩雨(しう)もそうだ。次期店主としての力を持つからこそ、明軒(めいけん)を誘惑したのだ。


「美人な嫁に、大金まで手に入る。俺は三千世界で一番の幸せものだ」


 明軒(めいけん)は独り言のように呟く。その言葉に反応した梅蘭(めいらん)が優しげに微笑む。


琳華(りんふぁ)明軒(めいけん)のような素晴らしい人と出会えるといいわね」


 明軒(めいけん)は思わず吹き出しそうになる。その琳華(りんふぁ)から婚約者を奪っておきながら、娘の幸せを願う矛盾がツボに入ったのだ。


「談笑中に失礼するぜ」


 団欒を打ち壊すように、織物屋の扉を乱暴に開き、男が足を踏み入れる。広い肩幅にガッシリとした肉体、ヘビのような鋭い目付きは忘れたくても忘れられない。


 彼は借金取りだ。身に纏う雰囲気だけで、店の静かな日常を一変させる。梅蘭(めいらん)詩雨(しう)が固唾を飲んで見守る中、明軒(めいけん)が対応する。


「本日はどのような御用で?」


 明軒(めいけん)が腰を低くしながら訊ねると、借金取りの男は眉間に皺を寄せる。


「俺の仕事はなんだ?」

「金貸しですよね?」

「そうだ。なら用件は一つだろ。貸した金を回収しに来たんだ」

「ちょっと待ってください!」


 借金取りには琳華(りんふぁ)が連帯保証人であり、彼女が街の宝石店を所有していると伝えていた。


「あの宝石店を売れば、俺の借金を返してお釣りが来るはずです」


 あれだけの一等地ならすぐに現金化できるはずだ。だが男は期待に反して首を横に振る。


「借金はな、借りたお前から回収させてもらう」

「な、なぜですか!」


 人はより楽な方向に流れるものだ。明軒(めいけん)から無理矢理に金を回収するより、換金の容易な宝石店の処分を選ぶはずだ。


 その疑問に借金取りは答えない。それどころか拳を振り上げ、明軒(めいけん)の顔に叩きつけた。鼻を潰され、血が溢れ出した彼は、涙目で抗議の視線を向ける。


「……どうして殴るんですか?」

「お前が俺を騙そうとしたからだ」

「……騙す?」

「あの宝石店を差し押さえられるわけがないだろ。なにせあの物件は後宮の担保になっているからな」

「はぁ?」


 後宮とは皇帝の妃や側室が住まい、数多くの宦官が働く内廷である。次代の皇帝を輩出する組織だからこそ、その政治力は大きく、街の高利貸しなど吹けば吹き飛ぶような権力を有している。


「後宮が絡んでいるとはいったいどういうことですか!」

「知らん。だが結論は只一つ。多少面倒だが、宝石店を処分できない以上、お前から回収するしかないということだ」


 借金取りが鋭く言い放つ。その言葉は彼の胸を圧迫した。


 事態の不穏さを梅蘭(めいらん)も感じ取り、焦燥感を隠せずに声を上げる。


「つまり借金は明軒(めいけん)が返さないといけないの?」

「借りた奴が返すことになった。ただそれだけだがな」

「そんなの困るわ。これから子供が生まれて、お金もかかるし、結婚式の費用もたくさん必要なのよ。琳華(りんふぁ)の店を売ったお金がないと、盛大に祝えないわ」

「知ったことか。俺たちはしっかりと金を回収する。それだけだ」

「そう。でも残念ね。明軒(めいけん)から回収は無理よ」


 明軒(めいけん)は一文無しの遊び人だ。無い袖は振れないため回収は無理だと伝えると、借金取りの男は笑う。


「聞いたぜ。明軒(めいけん)はあんたの娘との間に子供を作ったってな」

「それがどうしたっていうんだい?」

「もう明軒(めいけん)はあんたの家族の一員だ。身内の借金返済には当然協力してもらう」

「協力?」

「この織物屋をもらっていく。街から外れた位置にあるから、物件の買い手を見つけるのには苦労するだろうが、後宮と揉めるリスクを背負うよりマシだ」

「この店は代々続く老舗なのよ。売れるわけないじゃない!」

「俺は金を回収するためなら何でもやる。無理矢理にでも売らせるだけだ」


 借金取りの男は絶対に退かないと、目の鋭さを増す。強面を向けられ、梅蘭(めいらん)は耐えられずに黙って俯く。


 二人の様子を傍観していた詩雨(しう)もさすがに不味い状況だと気づいたのか、焦燥で口を開く。


「待ってくださいまし! もし店がなくなったら私の生活はどうなりますの?」

「街に出れば仕事はいくらでもある。働け」


 何なら店を紹介してやると、借金取りの男は続ける。詩雨(しう)は蝶よ花よと育てられてきた。働いたことのない彼女が今更、額に汗を流すような生活に耐えられるはずがない。肩を落として落胆する彼女を庇うように、明軒(めいけん)が足を前へ踏み出す。


「この店がなくなるのは俺も困る!」

「それは金を返せないお前が悪い。ひとまずは金利代わりに商品を貰っていく。次までにしっかり金を用意しておけよ」


 明軒(めいけん)の懇願は、借金取りの心を動かすには至らなかった。容赦なく、店内の布地を回収し始める。


 金利分の商品を肩に乗せると、借金取りは店を去っていく。その背中を見つめながら、足から崩れ落ちた明軒(めいけん)は叫ぶ。


「いったい、何をしたんだ、琳華(りんふぁ)!」


 罠に嵌めたはずの琳華(りんふぁ)が、明軒(めいけん)の理解の及ばぬ方法で宝石店を守り抜いたのだ。詩雨(しう)梅蘭(めいらん)の嗚咽と共に、明軒(めいけん)の絶望の叫びが空しく店内に反響するのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
i364010
― 新着の感想 ―
[一言] そもそもお前の借金問題なんやが
[一言] うわぁうれしいです、連載。 更新を楽しみにしています❗️
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ