第三章 ~『高まった評判』~
第三章始まりました!
ちょうど3万~4万文字くらいのボリュームになる予定です!
お付き合いいただけると幸いです
映雪が後宮を去ってから数日が過ぎた。退職理由については公にされていないものの、琳華がエメラルドの謎を解き、皇后の信頼を勝ち取ったという噂は流れ、彼女の評判は一気に高まった。
宮女とすれ違うたびに名前を口にされることも増え、多くの者たちから注目される存在となっていた。
評価された人材は需要も高まる。琳華の元には上級女官たちからのスカウトが山のように届くようになった。
自分の部下に引き入れたいと熱望する彼女たちは、高い給与や好条件を提示した。しかし琳華は、そのような申し出に心を揺さぶられなかった。
(どのような厚遇を提示されても、翠玲様の部下を辞めるつもりはないですからね……)
琳華は自室の机の上に積まれた手紙の束に対して、一つ一つ、断りの文をしたためる。少し疲れた表情を浮かべながら、リラックスのための深呼吸を繰り返していると、一通の手紙が目に留まる。
凝った装丁が施され、品のある書体で書かれた手紙には、給与を現在の五倍支払うと記されていた。差出人の名前は桂華。後宮に勤めて日が浅い琳華は、その名前に聞き覚えがなかった。
(評価してくれるのは嬉しいですが、いくらなんでも噂話だけでこの待遇は過大評価が過ぎるのでは?)
他の条件と比較しても、頭一つ抜きん出いている待遇に驚いていると、自室の扉が叩かれる。誰だろうかと、扉を開けると翠玲が立っていた。口元は微かに引きつっており、不安が滲み出ていた。
「朝早くにごめんなさい。琳華が心配になってしまって……」
「心配ですか?」
「実は昨晩から、あなたを引き止めるようなら許さないと圧力をかけられていて……それで琳華も移籍を無理強いされていないかと心配になったの」
「私は何もされていませんよ。ですが……」
琳華は驚きと共に葛藤を抱く。周囲から評価されたことで、却って彼女に迷惑をかけているのではと心配になったのだ。その心中を見抜いたのか、翠玲は優しげに微笑む。
「どれほど圧力を受けても、琳華を手放すつもりはないわ。私が守りきってみせるから大船に乗ったつもりでいてね」
「翠玲様は頼りになりますね」
「優秀な部下に負けてはいられないもの」
二人は笑みを零しながら、きっぱりと断る覚悟を決める。そんな彼女たちの決断を、柱の影で覗き見ていた人物がいた。
「それは許されない判断ですわね」
姿を現したのは小柄な女性だった。華のある容姿をしており、黒く艶やかな髪が綺麗にまとめられている。淡い朱色の袍服は、彼女の白い肌を引き立てており、品のある服装から上流の出自であると窺えた。
「あなたは……」
「はじめまして、私は桃梨。四大女官の一人である桂華様の遣いで参りましたの。あなたが琳華で、そちらが翠玲ですわね」
ジロジロと観察するような視線を向けた後、桃梨は目を細める。
「二人が揃っているなら話は早いですわね。桂華様のスカウトを断る理由を教えてもらいましょうか」
「翠玲様と一緒に働くのが心地よいからです……」
「ふふ、建前はいりませんわ……人は皆、金の虜ですもの。目的は報酬ですわね。五倍で足りないなら十倍の給金を出しますわ。これで悩む余地はありませんわね」
破格の給料を提示されながらも、琳華は動じなかった。それが桃梨にも伝わったのか、険悪な雰囲気へと変わる。
「どうしても求めに応じるつもりはないと?」
「百倍の報酬を提示されても、お断りします」
「なら強硬策に出るしかないですわね」
桃梨は冷たい口調で言葉を続ける。
「桂華様の権力は、あなたを後宮から追放できるほどに強大ですわ。素直に要求に応じなければ、居場所を失うことになりますわよ」
有無を言わせぬ圧力を秘めた脅しだが、琳華は毅然とした態度を貫き通す。
「どうやら私についての調査が足りないようですね」
「……どういう意味ですの?」
「私は頼まれて、後宮で働いているのです。クビは脅しになりません」
琳華が自分の立ち位置を示すと、桃梨にとっては想定外だったのか沈黙が訪れる。それでも尚、桃梨は強気で振る舞おうと鋭い目を向ける。
(簡単に退いてはくれなさそうですね……)
大人しくしていても問題が解決しないと悟った琳華は、反撃の狼煙を上げる。
「私を脅すことは桂華様もご承知の上なのですか?」
「それは……」
「いえ、答えはいりませんね。スカウトしに来たのなら、クビにしては本末転倒ですから。この脅しは、きっとあなたの独断ですね」
図星だったのか、桃梨は黙り込む。そんな彼女に対して、琳華は追撃の手を緩めない。
「ですがそれは悪手です。後宮で話題になっている私を無理にクビにしたとなれば、桂華様の悪評にも繋がりますから」
「うぐっ……」
「それを踏まえて、もう一度訊ねます。本当に私を後宮から追放するつもりですか?」
「~~~~ッ」
何も言い返せずに悔しさが込み上げたのか、桃梨は顔を耳まで真っ赤にする。その後、高ぶった感情を落ち着かせるために深呼吸を繰り返すと、彼女は背を向けた。
「誘いを断ったこと、必ず後悔させてやりますわ」
捨て台詞を残して、桃梨は去っていく。その後ろ姿を見送る琳華は、新たな困難を予感し、立ち向かう覚悟を決めるのだった。




